岩村城下町の女城主の里を食べ歩きランチしにアクセス!400年前からの歴史にふれてみませんか?

ランチ、グルメ、食べ歩き
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岐阜県恵那市岩村町の城山の周辺には、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された古い町並みが残された城下町があります。

ここは「女城主の里」として知られた、繰り返しますが古い町並みの城下町として、観光名所にもなっています。

この女城主の里の城下町というのも、日本三大山城としても名高い岩村城跡があります。

今回は、この女城主の里でも知られる戦国の壮絶な歴史が伝わる岩村城跡と、江戸時代の風景が残る城下町にスポットを当て、戦国歴史の名残ある町並みやその壮絶な歴史と、恒例の食べ歩きランチのグルメなお店の紹介もしていきます。

ぜひ最後までこの私のブログに、お立会いしていって下さいませ。



岩村城下町の女城主の里を食べ歩きランチしにアクセス!

岩村城下町を食べ歩きランチ 食事処ふる里

城下町を少し外れた国道418号線沿いに、お食事処のふる里があります。

ご飯ものにそば,うどんとそろっていて、比較的にお値段もリーズナブルです。

人気のメニューは、恵那鶏唐揚定食(1300円)やそばかうどんにちょっとした口直しのデザートがついた、五平餅定食(1100円)が人気です。

ですが、お腹が空いていると、ミックスフライ定食(1200円)に串カツ定食(1250円)のボリューム感も捨てがたいです。

ご予約メニューの帆立釜飯定食(1600円)に山菜釜飯定食(1550円)と五目釜飯定食(1500円)もあります。

どれもなかなか美味とクチコミも良好です。

営業時間:11:00~15:00(水木定休日)

☎0573434418

〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町568

岩村城下町を食べ歩きランチ かんから屋

少し濃いめの出汁の親子うどん(650円)やしの田うどん(500円)とシンプルなものだけど、とても美味しくて人気メニューですね。

冬にここ来たら、餅入りうどん(550円)か餅玉うどん(600円)がおすすめです。

かんから餅(450円)を注文すると、一皿5個入りのごまときな粉にあんころ餅がでてきて、食べると柔らかなつきたての味わいでおいしゅうございます。

2018年のNHKの朝ドラで、「半分、青い」のロケ地でもでてきた古民家に行ってみては。

営業時間:9:00~16:00(水曜定休)

☎0573432068

〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町806−1

岩村城下町を食べ歩きランチ share cafe Hyakkei (百経)

ちょっと古民家カフェ風な百経は、季節のデザートやぼた餅おはぎやかき氷などもあって、休憩がてら寄るにもいいお店です。

ランチタイムでは、素朴な野菜を重視したプレートや雑穀米にカレーが入ったプレートなど、装飾料理なランチがいただけます。

立春・立夏限定の筍のバター醤油炒飯は絶品です。

営業時間:11:00~16:00(月火定休)

☎09099161546

〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町308

岩村城下町を食べ歩きランチ うどん処みつば

古民家をリノベーションしたお店のみつばは、食券を購入してから席に着くスタイルのお店です。

人気は、海老おろしうどんに肉おろしうどん(1000円)にお好きなトッピングに温泉玉子(100円),揚げもち(150円),海老の天ぷら(350円)をのせるのも乙です。

寒い季節に入ると、味噌煮込うどんも始まりましたの張り紙看板が、何とも食欲をそそられます。

営業時間:11:00~14:00(月火定休)

☎0573435038

〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町264

岩村城下町を食べ歩きランチ 泉源

何かお城の櫓を思わせるような店構えが、城好きの人は足を止めてしまいそうな外観です。

日本料理店で弁当配達もしているこの泉源のメニューは、うどん,ざるうどん,そば,ざるそばと始まります。

自分的には、ランチならとんかつ定食か焼き肉定食(1000円)にいってしまいます。

でもどて煮定食(1000円)も捨てがたいし、にんにくましまし鶏から定食(1000円:土日限定),味噌煮込みうどん定食(1000円)もいい。

なんてったってコスパがいい!

営業時間:13:00~16:00(月曜定休)

☎0573432178

〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町225−1

岩村城下町を食べ歩きランチ グリーンハーブ Green Herbs

イタリア料理のグリーンハーブは、ホテルやレストランで調理師をしていたシェフが作る一品です。

自家製のハーブや野菜をこの岩村で栽培して、収穫したものがお店の料理にされています。

建物もイタリアンな土塀の煙突つきかわら屋根の外装にリニューアルされて、内装もスタイリッシュな空間になっていて、食事も会話も弾む店です。

ランチセットのパスタやチキンとほうれん草のパスタに、ビザがどうしても食びた~い人にもうれしいマルゲリータなどやスパゲティーなどメニューが豊富です。

ハンバーガーランチも食べ応えありです。

営業時間:10:00~15:00 17:30~21:00(水曜定休)

☎0573321589

〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町179−1

岩村城下町を食べ歩きランチ お食事処鳥兵

岩村城下町で一番岩村城に近い食事処がここ鳥兵です。

やっぱりここでは恵那鳥の親子丼(1130円)か、恵那鳥の唐揚げ定食(1580円)しかないっしょ。

と言いたいところですが、とんテキ,みそかつ,豚しょうが焼き,天ぷら刺身定食と、どれもこれもうまそうで悩んだあげくは、恵那鶏の照り焼き丼(1300円)に私はしました~

期間限定ですがうな丼,うな重,うなぎ・炭焼きもありますよ。

営業時間:11:00~14:00 17:30~21:30(木曜定休)

☎0573432525

〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町237

岩村城下町を食べ歩きスイーツ かすてらcafeカメヤ

外観は古民家カフェ風ですが、店内はスタイリッシュな和と洋のあわせもった風通しの良い雰囲気がいい。

メニューはミニカステラがついてくる温かいお飲物には、スペシャル珈琲,和紅茶,オルゾ(680円)などがあり、冷たいお飲物は、アイスコーヒー(430円),カフェオレ(460円)があります。

女子会の旅でこの店に寄ったのなら、和洋甘味もプラスして、話しに華を咲かせて、焼き立てかすてぃら,かすてぃら 3種食べ比べ,一斉もなか(320円)やそれが合体した、かすてぃら&一斉もなかセット(480円)はどうでしょう。

また店内入り口は、かめや菓子舗としてお土産店となっており、焼き栗きんとんやもちろん極上かすてぃらなどや、季節のお菓子が店内に並びます。

目に楽しいお菓子の数々が、心をくすぐり購入してしまいますな~

営業時間:9:00~18:00(月曜定休)

☎0573432208

〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町291

岩村城下町の女城主の里にアクセス!400年前からの歴史にふれてみませんか?

岩村城下町の女城主の里にアクセス!恵那市岩村町本通りの重要伝統的建造物群保存地区を歩こう

岐阜県恵那市にある岩村城下町には、今も時が止まったかのような古い町並みが残っている城下町があります。

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その町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された木造建築で漆喰壁や、なかには海鼠壁(なまこかべ)で造られた建物も見てとれます。

金沢城下町ではおなじみの海鼠壁で、気候に合わせて寒い地域によく活用された復元されている金沢城跡や金沢城下町にもたくさんの海鼠壁があったということで、多く用いられています。

ここで良かったら後で、金沢城に関するブログも投稿しておりますので、後で読んでみて下さい。

金沢城の天守閣はなぜなくなった?石垣とその歴史は?加賀百万石を築いた前田利家の城下町を巡る(がんばれ金沢!)
まさかの2024年1月1日に起こった、能瀬半島地震の被害に遭われた方たちには、心よりお悔やみ申し上げます。救援物資が地震による影響で、なかなか支援が届かない状況などや、電話に電気,ガス,水道が使えない状態で、現在の状況やこれからの情報なども...

さてそれでは、国の重要伝統的建造物群保存地区の岩村城下町を周っていきましょう。

冒頭でも記しました、この岩村城下町は別名”女城主の里”とも呼ばれており、毎年たくさんの観光客が押し寄せます。

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重伝建の中心部には、山の恵みの純度が高い水を湧き出たせる、井戸の水でつくられた地酒で有名でもあるこの地には、城下町の象徴でもある400年前に掘られた井戸の天然水からつくる地酒店があります。

それは岩村醸造という老舗で、店の玄関口には酒屋ならでは大きな杉玉が飾られていて、おいしいお酒が出来るようにとの祈願が込められています。

蔵の中には約400年前に掘られた井戸水が湧きでていて、昔も今も変わらずその井戸水の天然水を使って酒造りを続けている伝統的な酒屋です。

戦国時代に織田信長(おだのぶなが)氏に裏切り者の誹り(そしり)を張られ、逆さ磔(はりつけ)の刑で殺されてしまったおつやの方を偲ぶ命名のお酒、女城主という名のお酒が造られている名店でもあります。

地元の美味しいお水で造られた米とで醸造された、岩村醸造のお酒を求めてくるお客様は多くいて、建物も創業200年以上の歴史をもつ建造です。

何といっても、戦国期の籠城(ろうじょう)の時には、豊富な地下水が岩村城攻めを手こずらせたように、恵まれた水があったことを歴史が記しています。

そこの美味しい水と、その水で育んだ米で造られる純米酒だからこそのうまい酒になるんです。

さてさてこの恵那市岩村町本通りには、重要伝統的建造物群保存地区お膳立てのように、大正から昭和のレトロな時代を感じてもらえる風景があり、大人の方はもちろんのことで、子供さんにも居心地のいい場所に感じられること間違いないでしょう。

まずは明智鉄道の岩村駅を降りると、町並みは昭和のレトロな感覚のそば屋や飲食店に理容室などが目に入ります。

駅前を周りこむと、学校の授業の歴史の教科書でちょっとだけでてきた鴨長明(かものちょうめい)氏の伝鴨長明塚もあります。

鴨長明氏というと、高校生の授業で現代国語の文学史のところでも、枕草子などに並んで鴨長明氏の方丈記を学んだ気がしますが、あまり内容は覚えていないですね、、、

先に進むと、車が1台通れるほどの県道をすすんでいくと、Y字路に交差して道が広がると、岩村町本通りです。

約1.2kmにわたる城下町には、和風な日本建築物が並び、屋根は瓦ぶきで、古き良き伝統を継ぐ通りになっています。

やはりこちらの重伝建地区も歴史的美観を損ねぬよう、電柱はなく地中を通す工夫がされているんね。

下町枡形の看板を過ぎた一本道は、岩村城の山城に向けた風景と、重要伝統的建造物群保存地区の風景のコラボが、心躍らせてくれます。

なかでも、宿場を営んでいた大きな庭もある勝川家、そして幕末に大庄屋を務めていた浅見家はこの岩村藩の窮地を支えたお家でした。

その目の前は、この岩村町本通り暖簾を提供していた染物屋の土佐屋に、藩の財政を支えていたという豪邸だった家柄の木村邸というような、江戸時代の幕末ですが、古くから残る木造建築が見ることが出来ます。

そうして重伝建の街並みをあっという間に通っていくと、上町常夜灯(かみちょうじょうやとう)のある場所を岩村川の方へ向かえば、岩村城の登城口があります。

歴史を受け継ぐ重要伝統的建造物群保存地区の投稿も、秋田県角館や民宿の多い奈良井宿に倉敷美観地区、津山城下町、萩と津和野、日南市飫肥、近江八幡市、出石城下町などの掲載をしていますので、良かったら後で読んで下さい。

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さあお待ちかねの次は、岩村城跡へ行きましょう!

岩村城下町の女城主の里にアクセス!岩村城跡を歩こう

岩村城下町は、岩村城無くしては語れないお城です。

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目印は、上町常夜灯ある所のT字路を岩村川の方へ左折して、道なりに右に折れ曲がる温故の井を横目にしながら進めば、何やら櫓が道の先方に見の先きます。

そちらはりっぱな櫓と門ですが、太鼓櫓(たいこやぐら)と知新館正門(ちしんかんせいもん)があり、その太鼓櫓は平成元年から、平成2年に渡って藩主邸の機能として造られた建造が、復元されています。

時を知らせるための太鼓櫓に、藩邸の威厳ともいうべき正門です。

そしてその横に沿うように建てられる知新館正門は、1702年の元禄15年の時期に松平乗紀(まつだいらのりただ)氏によって創建されています。

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しかし知新館正門は、後から昭和58年に今の太鼓櫓との隣接した場所に移築され現在に至ります。

登城を進むとすぐに、明治から大正にかけて教育に生涯を注いだ下田歌子(しもだうたこ)さんの下田歌子勉学所が復元されています。

女性が学問などけしからんという時代に、祖母に読み書きを教わり、ついには英国に渡り、その地で学ぶなど勉学に勤しみ、女子教育の礎となる実践女学校(現在の実践女子大学)」を創設した方の名残の建造です。

先に進み、足元が石畳の藤坂を行くと、枡形に折れ曲がった道に初門跡があり、ここに防御施設があったことがみれます。

ここからやや急勾配の道を歩いていくと、一の門跡が見え、石垣好きの私も含めて、萌えスポットの始まりです。

そして土岐門跡,畳橋と続き、追手門・三重櫓跡とありまして、この辺りから要塞の迷路を進んでいるような面持ちです。

この辺りの往時は、石垣の上に櫓や土塀などが造られていたことを想像しながら、進んでいくのがおすすめです。

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そして水が良く湧き出ていた岩村城のなごりで、龍神の井と霧ヶ井があります。

その霧ヶ井には古くからの伝承で、敵が奇襲に来た時に蛇骨を井戸の中に投げ込むと、たちまち霧が湧き出て、城を覆い隠したといわれています。

その先には、帯曲輪跡,菱櫓跡と続き、いよいよ岩村城の看板石垣の六段壁(ろくだんへき)がお出迎えです。

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なかなかの迫力に圧倒されますが、この石垣群は、江戸期に石垣の補修を繰り返したことで、この形になったということですが、見応えある萌え萌えスポットです。

六段壁の先が本丸跡になります。

周辺にも石垣群があり、長局埋門跡と本丸裏門跡や納戸櫓

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跡などの、石垣をここまでもというほど、お腹いっぱいに堪能できる山城跡に仕上がっています!

山頂からの城下の景色もぜひ登城したら、味わってほしいと思います。

 

岩村城下町の女城主の里にアクセス!岩村歴史資料館

岩村城跡登城口より岩村藩主邸跡の方へ進むと、近代的な入母屋の造りの建造物なのが岩村歴史資料館があります。

岩村城跡を散策する前に寄ると、岩村城の歴史が学べていいと思います。

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戦国期をのり越えてから、江戸期の松平岩村藩としての多くの史料を見ることが出来ます。

この一帯は、昔海であったの名残で、鯨の化石なども見れますが館内の撮影はNGとなっています。

また個人的にはおつやの方の資料がないことが残念と伝えておきます。

ここには佐藤一斎(さとういっさい)氏の銅像が建てられており、この人が儒学者で江戸の幕末におったことで、時代が切り開かれたといっても過言はない人物でありました。

岩村城下町には、たくさんの佐藤一斎が残した言葉の碑文碑(ひぶんひ)が置かれていますのも見ていって下さい。

佐久間象山(さくましょうざん)氏や勝海舟(かつかいしゅう)氏に西郷隆盛(さいごうたかもり)氏、坂本龍馬(さかもとりょうま)氏などビックネームの歴史人に多大な影響を与えたといい伝わります。

営業時間:9:00~17:00(4月~11月) 9:30~16:00(12月~3月)

入館料:300円

☎0573433057

〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町98

岩村城下町の女城主の里にアクセス!岩村城簡単歴史

岩村城の歴史も古く岩村遠山(いわむらとおやま)氏は、平安末期の武将で、鎌倉時代の源頼朝(みなもとのよりとも)公に仕えた御家人だったといわれています。

その遠山氏がここ岩村に所領を与えられ、本拠地としたことが始まりとされています。

その後岩村遠山氏は時の流れに順い、承久の乱(じょうきゅうのらん)では

北条泰時(ほうじょうやすとき)氏に従い、南北朝の時には足利尊氏(あしかがたかうじ)側に就き、遠山氏は時代を凌いでいきます。

しかし転機は戦国時代に甲斐武田氏と尾張織田氏に奮闘戦に巻き込まれていき、年下ではありましたが、織田信長(おだのぶなが)氏の叔母におつやの方がいました。

容姿端麗だったといわれる叔母のおつやの方を政略結婚に遠山景任(とうやまかげとう)氏に戦の道具で嫁がせます。

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ここからが歴史に残る、女城主おつやの方の数奇な運命につながります。

すでに難攻不落な山城の岩村城にありながら、いくつもの石垣の櫓や土塀に門などでしっかり護りを固めた城で、さらに山城でありながら水に恵まれていて、井戸がいくつもあり、霧ヶ井は先にお伝えした伝説の残る井戸もあるほどです。

さて武田軍に攻め入れられ、籠城するおつやの方を城主とした岩村城も、すでに兵糧も底をつき始めており、織田軍の救援もなく、武田軍の秋山虎繫(あきやまとらしげ)氏との婚姻し、開城すれば籠っていた一兵残らず安堵することという取り立てをし、疲弊する岩村城内の家臣たちや女子供を守るべく、開城しました。

その時、織田信長氏より預かっていた四男の御坊丸は、人質として甲斐の武田氏に送られました。

その後事態は急変し、武田信玄(たけだしんげん)氏が崩御すると、織田軍は武田勝頼(たけだかつより)征伐に一気の動き、長篠の戦(ながしののたたかい)で鉄砲を導入した戦法で鮮やかに武田勝頼軍の騎馬隊を倒します。

織田軍は、そこから武田軍より苗木城も奪取し、おつやの方もいる岩村城も攻め入りました。

あまりの織田軍の速さに、秋山氏らは籠城することで凌ごうとします。

しかし織田軍包囲網は約5万とも6万ともいわれる兵力で、岩村城を取り囲み力攻めで圧倒します。

ことごとく秋山虎繁氏側の遠山氏一族は討ち死に追い込まれ、織田軍に降伏を申し出ました。

降伏内容は、城を明け渡すことで、籠城していた者たちの命を安堵することとなっていました

しかし織田信長氏の怒りは、おつやの方の裏切りにこれを許さず、盟約を反故(ほご)にし、城に籠城していた武田兵をことごとくだまし討ちをしていきます。

秋山虎繫氏やおつやの方等は、甲斐に帰国するところを捕らえられ、岐阜城近くの長良川の河原に逆さ磔(はりつけ)にされて、死に至らされるおぞましいやり方であったといわれています。

その後は織田氏方の城となった岩村城は、家臣の河尻秀隆(かわじりひでたか)氏が岩村城の改修をし、現在に近い城郭となったといわれています。

すぐに武田氏が天目山の戦い(てんもくざんのたたかい)で、織田軍に滅亡させられると、河尻秀隆氏は甲斐国へ移封を命じられ、代わって団忠正(だんただまさ)氏が入城します。

しかし、時代を揺るがす本能寺の変(ほんのうじのへん)で、重臣である明智光秀(あけちみつひで)氏によって織田信長公が討たれ、共にその時に明智軍と戦った団忠正氏は、二条新御所に籠りますが討死にしています。

その後は、森長可(もりながよし)氏から森忠政(もりただまさ)氏へ受け継がれ、戦国末期を向かえました。

そして、天下分け目の天王山の関ヶ原合戦(せきがはらのかっせん)において、東軍徳川家康(とくがわいえやす)軍が、西軍石田三成(いしだみつなり)軍を破り、名実ともに天下統一を成し遂げます。

そうして江戸期を迎え、松平 家乗(まつだいら いえのり)氏が入城を果して、美濃岩村藩の藩主となって、岩村城下町を整備して岩村周辺を治めていきました。

何回か城代を変えながら、松平乗紀(まつだいらのりただ)氏が小諸城より入城し、藩校や知新館を設け、明治維新まで大給松平氏が受け継ぎます。

しかし時代の流れとは残酷で、廃城令が下されると岩村城は建物は全て壊されてしまい、石垣だけが残る城跡となってしまいました。

岩村藩主邸は残されたようですが、明治14年に火事で全焼しました。

その後昭和47年にその跡地に、岩村町歴史資料館(現在は岩村歴史資料館)が開館されました。

平成18年には日本100名城に指定され、現在も恵那市によって岩村城跡の発掘調査や整備が施されています。



岩村城下町の女城主の里をアクセス!交通機関

岩村城下町の女城主の里をアクセス!電車、徒歩

〇JR名古屋駅~JR恵那駅(中央本線 中津川行) 恵那駅~岩村駅(明智鉄道)

〇岩村駅前~岩村上町(上矢作線 バス)

〇岩村上町停留所より国道418号線(東美濃さわやか街道)を約2,5kmほど徒歩にて岩村城跡本丸付近へ到着(約2時間30分)

岩村城下町の女城主の里をアクセス!マイカー

〇名駅通を経由して名古屋高速都心環状線へ入る~丸田町JCT左折~名古屋高速2号東山線~東山トンネル~高針JCT左折~名古屋第二環状自動車道~上社JCT左~東名高速名古屋IC~日進JCT左~長久手足助~名古屋瀬戸道路~長久手料金所~猿投グリーンロード~猿投インター下車~T字路左折~県道349号線(深見亀首線)~交差点の深見常楽信号左折~国道419号線(豊田多治見線)~道なりに進む~T字路右折~国道363号線(ハナノキ街道)~看板明智7km 山岡7kmを山岡側へ左折~山岡ゴルフカントリーと東濃硅粉砿業株式会社看板のある交差点を左折~交差点長沢の信号を右折~県道33号線(中馬かんてん街道)~道なりに進む~交差点山岡駅前信号を左折~国道363号線(ハナノキ街道)~一色信号を右折~国道418号線(恵南ハクウンボク街道)~岩村城看板を左折すれば登城口に到着

名古屋城 to 岩村城跡

*お出かけの際、ETCカードの差し忘れがないことをご確認ください

岩村城下町の女城主の里にアクセス!苗木城跡にもアクセス

岩村城下町からほど近いといってもいい距離で、旧中山道の中津川宿跡もあるJR中津川駅の方向へ向かい、恵那山街道の中津川が合流する木曽川の玉蔵橋を越えます。

北恵那鉄道恵那峡口駅跡のそばを通り、恵奈山へ向かう道を登っていくと、なんと苗木城跡が、岩村城下町から車なら約26km足らずであるではないですか!

こちらの苗木城跡も山の自然の岩石を余すことなく利用し、そこに石垣を施して、掘立柱を括りつけて、櫓や門を立てた痕跡が残る素晴らしい山城です。

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古(いにしえ)の鎌倉時代初期に源実朝(みなもとのさねとも)公に仕え、この地を治めた、遠山景朋(とうやまがげとも)氏の嫡男の遠山景長(とうやまかげなが)親子が砦(とりで)を築いた所から始まったと伝わります。

しかしそこは、戦国の世には交通の要所となり、武田氏や織田氏の標的となり、幾度となくその戦に晒されながらも凌いでいきますが、岩村城を攻め落とした織田軍の勢いに押され、とうとう落城になったといわれています。

その後徳川家康(とくがわいえやす)氏に下った遠山氏は、再度苗木城を攻略したことで、家康氏より城を安堵され、明治維新の廃藩置県(はいはんちけん)で廃藩となるまで、苗木藩としてこの地を治めていきました。

さて、苗木城の見どころポイントは何といっても、三ノ丸にある大矢倉跡で、江戸時代の藩時代に石垣の補修をさらに石垣を施し、石垣の膨れが発生した場所に修復を施して、予算の削減する補強で、やりくりをした方法が執られました。

その石垣群がまるで要塞のような遺構となり、今もその形が残っていて見ることが出来ます。

また巨大な自然石の馬洗岩は、戦で兵糧攻めをされた時に、井戸の水が無くなっていないと敵の目を欺くために、この巨石の上で馬の体を洗う水の代わりに、米を水に見させて、まだ井戸の水は尽きていないと思わせる策をしたという話が残ります。

こちらも見学する際は、苗木遠山史料館によって、苗木城の歴史を学ぶと城跡見学もしやすいので、ぜひ立ち寄って下さいませ。

岩村城下町 to 苗木城跡

〒508-0101 岐阜県中津川市苗木

岩村城下町の女城主の里を食べ歩きランチしにアクセス! あとがき

今回は岐阜県恵那市にある岩村城跡にスポットを当てましたが、そんなに有名ではないお城も歴史を遡ると、色々な歴史ストーリーが見られることにより、その背景がより鮮明にでてきますね。

ここ岩村城もしかるに、これだけの石垣をお世辞にも大名といえどさほど大きくない藩主で、これだけの石垣の城を継続しつつ、藩の財政のやりくりして、明治維新まで護ったことは脱帽です。

また今尚、江戸期の町並みが残るこの女城主の里にみなさんも立ち寄って、宿泊や観光をして頂けたらなと思います。

さて今回も最後まで私のブログにお立ち寄りして頂きありがとうございました。



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