大山阿夫利神社の不思議なスピリチュアル!江戸時代に大山詣りで大ブームになり旅人で賑わった地へ

毎年に1回ほどですが、大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)にサイクリングで行くようになったのは、50歳を過ぎてからのことです。

まあ電車代を浮かせるのと、体をいつまでも痛めつけて動いていけるようにするためですが、、。

ただ、ロードバイクをこいで大山街道を伊勢原の愛甲石山から登っていって、参道へ着いたらそこから歩いて山をさらに登っていくことを考えると、行くと決めたことを途中でやめにしようかと思ってしまうこともあります。

それだけ大鳥居から二の鳥居に三の鳥居と、徐々に勾配がきつくなっていきます。

しかし、頭の中には”水戸黄門”の🎵歩いていくんだ しっかりと 自分の道を踏みしめて♪を声に出さずにリズムを取りながら、楽しみながら進んでいきます。

それは、江戸庶民の信仰と行楽の地として、大山詣り(おおやままいり)のブームが起こり、ごぞって大山阿夫利神社に足を運ぶ人たちの気持ちと同じだったのではないかと?

そして大山阿夫利神社には、不思議なスピリチュアルな体験をすることもあるといわれています。

そんな、大山阿夫利神社の歴史や魅力をお伝えしていきたいと思います。

ぜひ今回も最後までこのブログにお立会いして下さい。

大山阿夫利神社の不思議なスピリチュアル!江戸時代に大山詣りで大ブームになり旅人で賑わった地へいってみよう!

大山阿夫利神社の不思議なスピリチュアル!大山阿夫利神社の御利益は?

現在の神奈川県伊勢原市に位置する、標高1252mの霊験あらたかな大山が大山阿夫利神社の総本山になります。

ちなみにこの大山阿夫利神社は、山の神様の大山祇大神(おおやまつみのおおかみ)に雷の神様の大雷神(おおいかずちのかみ)それと、水の神様の高龗神(たかおかみのかみ)が御祭神が祀られています。

立身出世や所願成就の御利益が得られることで知られています。

この土地に清らかな天の恵みで、伊勢原市や秦野市など鶴巻温泉付近にかけ所々から湧き水が出ていて、山の恵みが豊富な地域です。

丹沢山や塔ノ岳にも近い位置にあり、この周辺の地区が、霊験あらたかな土地でもあり、ハイキングコースとして現在では、林道コースなどが開通されていて、登山客も多い場所です。

その大山阿夫利神社の歴史は古く、古代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代と続いて、江戸期中世には、商人や漁船業に農民など雨乞いや、海の安全祈願を願い参拝に足を運ぶ旅人で、大ブームになったといわれています。

今のように電車や車も無く、ましてや自転車、オートバイも無い時代ですから、お金がある民はこしに揺られてある程度来ることもできましょうが、ほとんどの市民は歩いて何日も、途中宿場で休みながら大山阿夫利神社を目指したもんなのでしょう。

そんなわざわざ何日も歩いて参拝していたことには、それだけの大山阿夫利神社のスピリチュアルや御利益が恵まれていたことに他ならないでしょう。

この令和も、たくさんの観光の大人から小人やペットの犬まで、大山阿夫利神社の本社をめざして、雪解け時期は、ぬかるむ道を元気よく登り降りして、すれ違う観光客が多くいます。

モノレールでも行ける阿夫利神社駅より、山頂に入る中継場所となる、大山阿夫利神社下社から先の登拝門をくぐり、急な石段を登っていくと徐々に空気感が、下社本殿よりさらに変わっていきます。

そして山道を登っていく途中途中で、何か人生の事柄で、過去の自分を振り返ったり、未来予想をするような構想があなたの脳裏にも浮かぶはずですよ。

もし本社もめざして山頂へ行かれる時は、砂利道やぬかるんでいるやまみちも多いので、歩きやすいスニーカーと飲料水などを持参の上、本社に向かうことをおすすめします。

また途中途中の登山道に、大山の見学ポイントもありますので、大変さの中で心くつろがされるキーワードがありますので、最後まであきらめたりめげずに登っていきましょう。

大山阿夫利神社の不思議なスピリチュアル!大山名水 神泉

下社の参拝後には、100円でペットボトルを購入して頂き、つねに湧き出ている大山の水の恵み「神泉(しんせん)」をもらっていきましょう。

清らかに澄んだお水が、龍神の口より送られていて、飲み水として安全な飲料水ですから、これから上社へ向かうのならばこの神泉を持参すること間違いなしです。

そしてこのお水が湧き出ている空間も、パワースポットであり、澄んだ空気と躰にパワーが入ってくるようなエネルギーを感じられます。

しかし、逆に霊感が強い方は、気分が悪くなったり、頭が痛くなったりするという現象も聞かれますので、そこは無理せず参拝は中断して、下山も考慮して下さいませ。

さあ、ペットボトルにいれた神泉を持って、ここからが本番の大山阿夫利神社の上社をめざして、登山していきましょう!

大山阿夫利神社の始まりは2200年以上前

大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は、2200年以上前の崇神天皇(すじんてんのう)の頃に創建されたと伝えられている式内社です。

古来では別名「あめふり山」とも呼ばれ、雨乞いや五穀豊穣(ごこくほうじょう)の祈願の対象でした。

その後、奈良時代以降は神仏習合(しんぶつしゅうごう)の霊山として、武家政権下では武運長久(ぶうんちょうきょう)の祈りの場所として栄えました。

庶民からの崇敬も厚く、江戸時代以降は年間20万人を超える人々が「大山詣り」を行ったと記録されています。

また、庶民の心を捉えた大山詣りを背景に、多くの文化が生み出されてきたことも大山の特徴です。

源頼朝(みなもとのよりとも)公が当社に刀を納めたことから生まれた「納太刀」という風習は、現在も復活のための活動が行われています。

また、当社の御祭神が富士山の御祭神である「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」とその姉神の「磐長姫命(イワナガヒメノミコト)」が父君に当たることから、大山と富士山の両山をお参りする「両詣り」も盛んに行われました。

このように、大山阿夫利神社は、時を超えて人々のあらゆる願いを受け止め続けてきました。その伝統と文化は今もなお継承され続けています。

                           大山阿夫利神社の御由緒より

そんな歴史のある大山阿夫利神社に続く大山街道から、ようような行き方がありました。

大山街道は、江戸の赤坂御門を起点に、雨乞いで有名になった大山阿夫利神社までの道をさし、三軒茶屋~溝口村,二子宿~荏田宿~長津田宿~下鶴間~国分~厚木~愛甲~糟屋~大山が宿場となりこれが”矢倉沢往還”として庶民が行き来した街道となっていきました。

これは私が地元民で一部知る「青山通り大山道」の道順ですが、全部で主要なものは8道あってほかに「府中通り大山道」、八王子通り大山道」、「柏尾通り大山道」、「田村通り大山道」、「羽尾通り大山道」、「六本松通り大山道」、「蓑毛(みのげ)通り大山道」とあります。

そもそも阿夫利神社は、水田の日照りが続くと稲が育たなく、雨降りの神にお詣りをすると雨が降り、乾いた土地を潤すことを祈願することが、いつしか”あめふり山”から”あふり山”に言葉を変えて、伊勢原市にある神社が江戸時代後半から、明治に入ると「阿夫利神社」と呼ばれるようになり厚く信仰されてきたと伝わります。

また大山寺では雨降り山を山号で「雨降山(あぶりさん)」とよぶいわれもあったようです。

そこを調べるていくと、江戸時代中期の大山詣りの大ブームが起き、約20万人の観光があった時期に大山道が開通していったようです。

大山祇大神(おおやまつみおおみかみ)は富士山に鎮まるとされる木花咲耶姫の父であるため、大山と富士山の両詣りも盛んで江戸っ子の中では、「富士に登らば大山にのぼるべし、大山に登らば富士に登るべし」といわれていたほどです。

大山阿夫利神社へある日サイクリングに行く

ある2020年の3月末に、大山阿夫利神社をめざしてサイクリングしました。

朝6時に鷺沼と溝の口の間にある自宅より出発して、ひたすら国道246号線を西へ進みます。

まだ寒い3月で気になるのは、3日前に降った雪がどのような影響になるかを考えながら進んでいました。

青葉台駅付近の登り下りを越えると、フィールドアスレチックつくし野がある所を過ぎ、16号線と交差するところに道祖神石碑があり、そこでスポーツドリンクで一息。

その後もさらにロードバイクをこいで深見を過ぎ、海老名、厚木に入ります。

本厚木を越えればすぐに愛甲石田に入ります。

せっかくだから、ようこそ鶴巻温泉への看板を見に寄り道して、さらに秦野のラーメン好きの私は、”なんつッ亭”も行きたいなとか、その手前の”出雲大社相模分祠”に寄りたい気持ちを抑えて、城好きなのでGoogleで検索してみて、鎌倉時代に源実朝公の首を埋葬するのに手助けした、波多野氏の居城の波多野城に寄ってから、ようやくまた246号線に戻り、新善波隧道をくぐり612号線より大山へ向かいました。

比々多神社を過ぎ、だんだん上り坂になっていき、まずは大山阿夫利神社参道三の大鳥居があります。

車の少ないほうの旧大山街道を選び登っていき、とうふ参道、とうふ坂がサイクリングにはきつい登りの坂道です。

やっとで阿夫利神社御神燈に着き、パーキングに自転車を停めてこれから歩いて阿夫利神社の本社をめざします。

阿夫利神社参道を歩いて進んでいる、とサイクリングでこいできた足の疲れは忘れて、ひたすら下社をまず目指す自分がいつもいます。

こま参道に着くと毎回この大山は水の良いところで、たくさんのお豆腐店が立ち並び、その清水の恵みでおいしい豆腐ができるんだなとようやくリラックスしながら歩いて進みます。

お土産店や旅館にお食事処などもあるこま参道は、目にも楽しく、どこもそうですが神社に来た時の楽しみのひとつです。

こま参道が終わり大山ケーブル駅に着くとここからが本番!のような気持になります。

毎回男坂と女坂の分かれ道で男坂選びハ意思兼神社(やごころおもいのかねのかみやしろ)の石垣をみながら急な石積みの階段を進むのがお決まりになってます。

ひたすらハイキングコースの山道を30分くらいかけて登っていくと、八大坊上屋敷跡が見えればあと一息。

すぐに国土安泰、天下泰平の鳥居が見えればそこは大山阿夫利神社 下社拝殿です。

展望台の景色は最高ですが花粉症の私は、木々がすべて杉の木に見えてしまいますが、気のせいですかね。

いよいよここから本本番の登拝門を登りさらに先に進みます。

ここから空気が変わり、異次元に来たような錯覚もありつつ山道を進んでいきます。

白山神社の石碑を過ぎると、国定公園の千本杉があります。

険しい山道を進んでいくと夫婦杉が祀られていて、さらに険しい岩がごろごろ転がっている山道をただただ進みます。

どのくらい登ってきたのかと思っていると、ぼたん岩と天狗の鼻突き岩に癒され、その先に十六丁目追分の碑があり、この辺から雪の影響であぜ道になっていき、所々雪どけ水が細い川をつくっていました。

富士見台 二十丁目を越えれば本社まであと少しです。

22丁目、25丁目をこえると大山阿夫利神社の本社銅鳥居が見え、その先が大山頂上本社で”御神木 雨降木”があり撮影スポットです。いえ~!

大山山頂広場に着くとコロナ化にも関わらず、200人を超える人たちが、昼1時過ぎの昼食をする方に、山登り本格な方がベンチ付きテーブルで自家製珈琲をたてている方、みなそれぞれ大山の山頂を満喫していました。

私も下の参道で購入しておいた缶コーヒーを飲んで一息いれたら、本社、奥社に手を合わせて、下山していきました。

急な山道は下りの方が足腰にきて、さらに急な石階段は恐怖すら感じながら下ります。

下社に戻りここからはケーブルカーを横目に大山女坂七不思議の言い伝えを楽しみながら下っていきます。

その七 眼形石(めかたいし)

その六 潮音洞(ちょうおんどう)

その五 無明橋(むみょうばし)

その四 逆さ菩提樹(さかさぼだいじゅ)

その三 爪切り地蔵(つめきりじぞう)

その二 子育て地蔵(こそだてじぞう)

その一 弘法の水(こうぼうのみず)

数字が逆になっているのは、下りの順になっているからです、一応。

この大山女坂七不思議の名の意味はぜひ、大山に登る際に女坂を登りあるいは下るときに看板を訪ねながら拝見してほしいと思いますが。

途中には大山寺の大師堂や来迎院本堂、龍神堂(俱利伽羅堂)も見ることが出来ます。

行きか帰りにぜひケーブルカーを我慢して、大山女坂七不思議も訪ねながら登城道を歩いてみて下さい。

そしてようやくこま参道を通り駐車場へ戻り、帰路にはまたロードバイクをこいで帰りました。

大山阿夫利神社で食べ歩き おまけ

この大山阿夫利神社近辺もたくさんのおすすめな店は多い場所ですが、こちらを。

@下社までケーブルカーを使わずに歩き登りしたら、ちょっとここで休憩を「茶寮 石尊」でスイーツに舌鼓。

伊勢原市大山12

@お子様連れのご家族も「茶屋処さくらや」で夏はかき氷と冷ややっこのミスマッチやちょっと寒い日は大山湯とうふ山菜うどん、そばが人気。

伊勢原市大山12

@「こま参道」にはおみやげ屋さんのだんご屋や和菓子、洋菓子にお食事処で大山とうふがいただけるところや旅館で豆腐料理づくしもありますよ。

伊勢原市大山574

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