戊辰戦争の蛮行による会津の歴史を訪ねて鶴ヶ城周辺で食べ歩きや「八重の桜」観光とレトロな街あるき

ランチ、グルメ、食べ歩き
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会津若松というと会津磐梯山(あいずばんだいさん)や猪苗代湖(いなわしろこ)を思い出し、山や川に湖がある水の良い街というイメージがあります。

そこは今では想像もつかない悲劇の、日本人同士が争った「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」の地であり、NHK大河ドラマ「八重の桜」にもクローズアップされた戊辰戦争のタブーとされるエピソードの歴史にも目を向けていきたいと思います。

戊辰戦争の蛮行(ばんこう)による会津の歴史にも少し触れていきます。

また、お水が良いといいお米が収穫され、いいお酒が製造されるなどシュミレーションが発展しますが、観光名所にもなっている会津若松にグルメな観光におでかけしませんか。

鶴ヶ城城下周辺のレトロな七日町通りなど練り歩き、いいお店を見つけていきましょう。

ぜひ食べ歩きの参考にもしてください。

今回もこのブログにぜひ最後までお立ち寄りください。


戊辰戦争の蛮行による会津の歴史を訪ねる!幕末の鶴ヶ城(会津若松城)の壮絶な歴史

戊辰戦争の蛮行による会津の歴史を訪ねる!幕末の鶴ヶ城戊辰戦争へのカウントダウン

中学の歴史の授業で簡単に徳川幕府が、第15代徳川将軍徳川慶喜(とくがわよしのぶ)公によって、大政奉還(たいせいほうかん)がされて、武士より天皇家へ政権が返上奉られたことは、みなさんもご存じですよね。

これで江戸幕府は終わって明治維新が起こり、次の明治時代へというような流れで教わったように思います。

しかし、新政府軍筆頭に立った岩倉具視(いわくらともみ)氏や、その補佐をする薩摩藩だった西郷隆盛(さいごうたかもり)氏に大久保利通(おおくぼとしみち)氏や木戸孝允(きどたかよし)氏などは、完膚なきまでの戦によって日ノ本を平定すること推し進めていったのでした。

というのは、大政奉還(たいせいほうかん)した徳川慶喜氏は、その後すぐ軍を集めて会津藩の松平容保(まつだいらかたもり)氏を担ぎ「鳥羽伏見の戦い(とばふしみのたたかい)」を起こしますが、新政府軍による策の錦の御旗が掲げられると、逆賊(ぎゃくぞく)の誹り(そしり)を恐れて兵を残して大阪城へ松平容保氏を引き連れて退いてしまいます。

その後は、政(まつりごと)を返上し徳川慶喜公が駿府城へ蟄居しても、徳川残党の旧幕府軍と新政府軍は二分して、今後新政府軍に異を唱えさせないよう、力でねじ伏せる道へ進んでいったのでした。

大政奉還後に進行する新政府軍に対して、天璋院(てんしょういん:篤姫)様や、勝海舟(かつかいしゅう)氏の執り成しに扮装したことで、江戸城無血開城がなされ、江戸は戦火を免れています。

これで江戸幕府から新政府へのバトンタッチとは、時代はいかず、新政府軍は戦隊を北へと進行していくのでした。

して、歴史の教科書で名前が、華々しく出てくる板垣退助(いたがきたいすけ)氏や伊藤博文(いとうひろぶみ)氏などは、その戊辰戦争と呼ばれる悲劇の戦の先陣大将となって指揮を執っていった人物でした。

会津藩のいる陸奥国では、旧幕府軍が同盟を組み“奥羽列藩同盟(おうしゅうれっぱんどうめい)”が結ばれますが、諸刃の剣ですぐにほころびが出て、まずは二本松城が攻め落とされます。

この二本松城の悲劇は別のブログで投稿していますので、後でぜひ読んで下さい。

二本松少年隊のタブー!二本松城は戊辰戦争で最期まで義を護った幕末武士たちがいた!そして戦国にも悲劇があった城
福島にある二本松城は霞ヶ城とも呼ばれ、春にはソメイヨシノやヤマザクラなどが咲き乱れるんばかりの景色も有名な観光地の県立自然公園として整備されています。戦国時代の頃からも交通の要所にあったこの二本松城は、いくつかの合戦にさらされた場所です。現...

戊辰戦争の蛮行による会津の歴史!幕末の鶴ヶ城、そして戊辰戦争へ

会津へ戻った松平容保氏は、新政府軍の矢面に立たされます。

母成峠(ぼなりとうげ)を固めた会津藩は、二本松少年隊に習い会津も白虎隊を集い、16歳~17歳の少年たちを集めます。

しかし急ごしらえで集められた若い白虎隊は、母成峠を進行され、止む無く駆り出されてしまいますが、護る飯盛山で新政府軍と雨の中対峙し、多勢に無勢で、戦闘能力にも乏しい少年達は、けが人を出しながら退却していかざる得なかったのでした。

飯盛山に残る戸ノ口堰洞穴(とのぐちせきどうけつ)の冷たい水路を逃げ落ち、会津若松城へ向かう白虎隊に悲劇が襲います。

空腹と寒さに耐えながら城へとひく白虎隊少年は、飯盛山の小高い場所から見た光景は、城下が燃えてる状況を城が燃えているように映ってしまったのでした。

ここに戊辰戦争のタブーが起こってしまい、その間違った光景に白虎隊少年たちはもう戻る城は無いと判断してしまいました。

そしてそこにいた20人の白虎隊少年らは、集団自刃を選んでしまったのです。

そのうち飯沼貞吉(いいぬまさだきち)氏一人が息が残っていて、苦くも命を取り留め、後々の現在に白虎隊の悲劇が語り継がれていくことになりました。

飯盛山にたてられた白虎隊十九人士ノ墓には、後から生涯を生き抜いた飯沼貞吉氏は戦友の場所に葬られて同志と一緒に眠っています。

YouTubeなどでも見れる日本テレビ系年末時代劇スペシャルのドラマ、1986年に2日間にわたって放送された「白虎隊」や、テレビ朝日の新春ドラマでも「白虎隊」は放送されています。

こちらは、2007年1月6,7日の前編,後編で構成されていて、山下智久さんと田中聖さんが共演されていました。

そして、2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」は、1月6日から12月15日まで放送され、会津からの視点での幕末や、白虎隊や二本松少年隊の悲劇を描いています。

会津若松の鶴ヶ城下町のレトロな街あるき 七日町を寄り道に戊辰戦争ゆかりの寺

JR只見線の七日町駅にほど近いところに、阿弥陀寺があります。

明治3年まで鶴ヶ城の本丸にあった鶴ヶ城御三階をここに移設され、戊辰戦争(ぼしんせんそう)後に仮本堂として使われていました。

戊辰戦争で本来は重臣が責任を負うことが戦の習わしですが、すでに多くの重臣は戦の最中自害をしたり銃弾に倒れました。

生き残っている西郷頼母(さいごうたのぼ)氏は松平容保(まつだいらかたもり)公の命で、戦の最中大事な書物を預かり役で会津を去り行方知れずだったので、残った会津藩家老の萱野権兵衛(かやのごんのひょうえ)氏がその責任を一心に背負い切腹しました。

そのお墓が戊辰戦争東軍戦死者の真ん中に立てられて眠っています。

その戊辰戦争で敗北を悟り自刃した黒河内伝五郎(くろこうちげんごろう)の墓もここにあります。

また江戸から京にのぼり京都守護職の会津藩に取り立てられた新撰組は、戊辰戦争で新政府軍に敗退すると、蝦夷【(えぞ):北海道】へ向かう残った兵や離反するものなどにそれぞれ別れていきました。

その時会津に残った新撰組三番隊長の斎藤一【(さいとうはじめ)藤田五郎】氏も、今は安らかにここに眠ります。

福島県会津若松市七日町4−20


鶴ヶ城城下町のレトロな街あるき 会津武家屋敷

鶴ヶ城城下町のレトロな街あるき 会津武家屋敷

会津武家屋敷周辺は、1868年にほとんどが消失してしまい、1975年に会津藩の武家屋敷を復元化して歴史感動ミュージアムのキャッチコピーで開園します。

旧中畑陣屋が中畑村(西白河郡矢吹町中畑)より移築復元されており、福島県指定重要文化財になっています。

また会津武家屋敷には再建された西郷頼母氏の邸宅は、家族が戊辰戦争にあたり辞世の句を皆で書きあい、その後壮絶な自害をしていくさまなど、その当時の会津の女性たちにも戦があったことを伝えています。

家老屋敷も再建され、会津藩23万石の立派なお屋敷として奥一の間や客待(きゃくたい)の間が見られます。

その他戊辰戦争で戦死した佐々木只三郎(ささきたださぶろう)の墓がひっそりあります。

坂本龍馬(さかもとりょうま)氏を武士の時代を終わらせた立役者として、反感をもち暗殺した人物ともいわれています。

そして東北震災で激減した観光客の集約を、綾瀬はるかさん出演の2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」の放送によって、ここは観光場として大いににぎわいました。

同時に会津歴史資料館、くらしの資料館、第2資料館も見学してください。

営業時間:8:30~17:00(4月~11月) 9:00~16:30(12月~3月)

☎ 0242282525

福島県会津若松市東山町大字石山字院内1

鶴ヶ城城下町のレトロな街あるき さざえ堂

国の重要文化財にもなっている、世にも不思議な二重構造の螺旋階段になっている六角三層のお堂です。

歴史は1796年に白虎隊ゆかりの飯盛山に建てられています。

この一方通行のお堂の謎に触れるべく、皆様もぜひ会津に行かれた時には観光してください。

境内には白虎隊の志士が、通った戸ノ口堰洞穴もありそのそばには、白虎隊十九人士ノ墓や白虎隊自刃の地が残されています。

営業時間:8:15~17:30

入場料:400円

☎0242223163

〒965-0003 福島県会津若松市一箕町大字八幡弁天下1404

その他会津には、いい避暑地の観光穴場があります。

サンドイッチマンさんの「帰れマンデー見っけ隊!!」でも放送された大内宿と塔のへつりのブログも投稿していますので、興味もたれたら後で読んで下さい。

https://osirogadaisuki.com/aizunooouchisyukukaratounoherturu-8806


鶴ヶ城周辺で食べ歩きに観光おでかけ!会津若松をレトロな街あるき

鶴ヶ城周辺で食べ歩きに観光 甘味処鎌倉 会津七日町通り店

この会津若松に私が2か月に1回はサイクリングに足を運ぶ、神奈川県の鎌倉があるなんて感激。

約350kmの道のりを隔てて、会津にも「甘味処鎌倉」が七日町に2021年10月よりオープンしています。

女子受けするわらび餅が入った贅沢苺(ぜいたくいちご)ヨーグルトに贅沢苺ミルクや浅川園のお抹茶、そして鎌倉オリジナルブレンド珈琲ミルク食べ歩き最強の商品を筆頭にあります。

が、最近ではわらび餅入りドリンクにピーチミルクと生チョコレートも加わり、さらに会津若松に君臨する気でいます。

店内で落ち着いて食べれくず餅やかき氷がありますので、慌てず食べましょう。

営業時間:10:00~17:00

☎0242253488

福島県会津若松市七日町6−10

鶴ヶ城周辺で食べ歩きに観光 駅カフェ(七日町駅カフェ)

七日町駅舎をリニューアルしたカフェになっているレトロなお店です。

店内は所狭しとおみあげの小物や工芸品に、復古3兄弟リンゴジュースなどが置かれています。

ゆっくりくつろぐのは、おみあげを買いにくるお客さんが行楽時期は多いので、少々落ち着かないところもありますが、夏に飲みたくなる名水で落とした水だしコーヒーと日替わりケーキに免じてください。

営業時間:9:00~18:00

☎0242393880

福島県会津若松市七日町5−1

鶴ヶ城周辺で食べ歩きに観光 郷土料理満田屋

会津若松にグルメな観光の食事に、囲炉裏の炭火で焼いた香ばしい身欠(みかぎ)にしんにとうふ生揚としんごろう、さといも、おもちそれとこんにゃく2本のみそ田楽セット6品セットなどを、ここ満田屋(みつたや)ではお客さんの見ている前で焼いちゃってくれます。

炭で焼く香りがたまらないし、焦げ目がついたにしんを食べればランチなのに日本酒がついいきたくなってしまう味わいです。

その他一品づつ注文でいただく辛みそで食べる串焼きウインナーやしょうゆだれでいくしいたけに夏季限定のししとうはあまみそで、などなど焼かれているうちにやっぱり香りにやられてお酒が進んでしまう。*ノンアルコールビールやソフトジュースもあります。

玄関口にはお味噌や調味料、小梅などの販売もされていて、ご自宅でもここでの味を持ち帰りできます。

営業時間:10:30~16:20(水曜定休)

☎0242271345

福島県会津若松市大町1ー1ー25

鶴ヶ城周辺で食べ歩きに観光 一坊

横板張りの外観の「一坊(いちのぼう)」ののれんを見て、お昼に入りメニューを見れば、お手頃なランチメニューで天丼980円(税別)、刺身定食(茶碗蒸し、小鉢、御飯付)1300円(税別)、天ぷら定食(茶碗蒸し、小鉢、御飯付)1100円(税別)*それぞれ漬物、しじみ汁、食後の珈琲がサービスでつきます。

午後の方は、店主ご自慢のお料理が用意されています。

営業時間:昼11:30~13:15 夜17:00~22:00(日曜定休)

☎0242271115

福島県会津若松市大町1ー10−17

鶴ヶ城周辺で食べ歩きに観光 Teppanyakiあいづ家

会津若松で鉄板焼きでお肉料理を食べ歩きのランチするのはどうでしょう。

ご家族でいくとにぎやかな会話がはずむアットホームなお店ですね。

ランチタイムはポークソテー 890円(税別)、ハンバーグ国産牛100g 980円(税別)、サイコロステーキ国産牛 1390円(税別)、会津地鶏ステーキ 2100(税別)、福島牛あぶりユッケ 2650円(税別)などなどライスやドリンクは別のセットコースがあります。

目の前でお肉屋ハンバーグを典範で焼いてくれますから、焼けていくところを見ているとわくわくしてしまいます。

ディナーコースも午後の部でご利用もされることができます。

ワインに合ったお料理に食事で、会津若松にグルメな観光の会話がまたまた弾んでしまうでしょう。

営業時間:(昼)11:30~13:30 (夜)18:00~22:00

☎0242290371

福島県会津若松市七日町2−51

鶴ヶ城周辺で食べ歩きに観光 若松食堂

昭和5年より創業で当時から変わらない、会津ソースカツ丼を出し続けているソースカツ丼の発祥地と呼ばれるお店です。

お待たせしやしたとどんぶりの被せた蓋からはみ出るカツや天丼のエビフライが、昭和の風景が今も残る老舗の風情がいい。

会津若松のたべ歩きに他のメニューには、チャーハンやラーメン、オムライス、カツカレーもあります。

営業時間:11:00~19:00(水曜定休)

☎0242222284

福島県会津若松市大町2ー7−1

鶴ヶ城周辺で食べ歩きに観光 渋川問屋

名の通り明治15年から問屋を業にしていた「渋川問屋」です。

ここには、渋川家6人の家族と、番頭や住み込みで働く50人の人が暮らす大所帯だったとか。

現在は大正ロマンを兼ねた建屋をリニューアルして、3つ星ホテルとして宿泊ができる3部屋を経営と、会津郷土料理店に令和に”喫茶開化”をオープンするなど、幅広く時代の変化に対応している老舗です。

会津若松ランチの食べ歩きのお料理の方は・祭り御膳「鶴」定番の山海料理10品コース(棒タラ煮・ニシンの山椒漬・ニシンの昆布巻・ニシンの天ぷらなど)2200円

・祭り御膳「亀」女将おすすめの満腹12品コース(会津牛カットステーキ40gと、北海道産の紅鮭の手まり寿司など)3300円

・会津会席膳 本格的な郷土料理の14品フルコース(祭り御膳「亀」に、焼き魚:酒粕に漬け込んだ銀ダラ)と、小鉢2品がついた料理 4400円

・八重御膳 ステーキ80g(八重)に郷土料理を組み合わせた10品コース(棒タラ煮・ニシンの山椒漬)3300円

・会津牛ステーキコース (ごはん・こづゆ・サラダ・小鉢・珈琲付)
80g:2200円 120g:3300円 160g:4400円 *価格はすべて税込みです

営業時間:11:00〜21:00

(宿泊所には渋川善助と「憂国の間」として昭和維新2・26事件で民間人として唯一処刑された渋川善助ゆかりの部屋が残ります。)

☎0242284000

福島県会津若松市七日町3−28


会津若松にグルメな観光駐車場へアクセス

〇公共交通機関(バス):郡山より

●郡山市役所バス停~鶴ヶ城・合同庁舎前(いわき~郡山・会津若松):約1時間20分

〇マイカー:郡山より

・新さくら通り~長沼喜久田線~294号線(白河街道)経由:約73km

・国道49号線を郡山Ⅰ.Cへ向かう~郡山料金所(東北自動車道)~郡山JCT~東北横断自動車道・磐越自動車道~五百川P.A~磐梯山S.A~会津若松Ⅰ.C下車~国道121号線を左折(七日町へ):約60km

*お出かけの際、ETCカードの差し忘れがないことをご確認ください

会津若松駐車場

飯盛山観光駐車場(無料)

利用時間:8:30~17:15 収納台数:普通車80台

福島県会津若松市一箕町大字八幡字牛ヶ墓244-5

東山観光駐車場(無料)

24時間利用可能 収納台数:普通車40台

福島県会津若松市東山町大字石山字院内418

中町観光駐車場(無料)【冬季は閉鎖】

利用時間8:30~17:00 収納台数:普通車15台

福島県会津若松市中町2

*なお小回りが利く駅から電動自転車「レンタサイクル]での観光のおすすめ。

営業時間:9:00~17:00

4時間まで1100円 4時間以上~17:00まで1600円

☎0242-23-8000(一般財団法人会津若松観光ビューロー 駅たびデスク)

福島県会津若松市駅前町1-1 会津若松駅内(駅たびデスク)

戊辰戦争の蛮行による会津の歴史を訪ねて あとがき

今回は会津若松のグルメの観光をご紹介させていただきました。

いいお店がまだまだたくさんありますので、別のブログでまた紹介していきたいと思っています。

でもこの地では今やこんな平和で、人同士,日本人同士が殺しあわない世の中になっていますが、たった150年ほど前には、革命や日本の思想の違いで人同士が戦争をして、たくさんの悲劇があった街なんて、今の状況からは想像もつかないですよね。

たった150年前の時代ですよ。

だからこそその歴史を後世に伝えていくために、地元の方たちの活動に合わせて、戊辰戦争タブーを私たちは、観光に出かかけたら地域に触れていくことが大事なのかと思います。

これからも頑張ってブログを投稿していきますので、応援よろしくお願いします。

最後までお立会いいただきありがとうございました。


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