「のぼうの城 」の実話はどこまで ?忍城のある行田市を訪ねてサイクリングにおでかけしませんか?

東京からさほど離れていない行田市は、荒川を越えると上越新幹線、北陸新幹線のガード辺りは水田の稲作がたくさんあります。

都会に住む大人たちはここに来ると、少年時代にタイムスリップしてきたかのように感じるのでは?

田んぼが広がりザリガニやどじょう、かえるやおたまじゃくしを獲っていたあの頃の記憶が、鮮明によみがえる、そんなオアシスのような土地だと感じます。

この行田市には、映画にも抜擢された戦国時代の城がありました。

2012年の日本映画にもなった、「のぼうの城」と呼ばれる忍城(おしじょう)です。

”20000人VS500人 豊臣軍にケンカを売った、でくのぼうがいた”がエレファントカシマシの「ズレてる方がいい」にのって放映されたやつです。

そんなのぼうの城の忍城エピソードの実話はどこまでなのか、忍城にスポットをあててサイクリングがてら巡っていきたいと思います。

ぜひ最後までこのブログにお立ち寄りください。

「のぼうの城 」の実話はどこまで ?のぼうの城のある忍城の行田市を巡る

のぼうの城 忍城は戦国の戦の標的

埼玉県行田市は、川越市から約30kmほどのところに位置しますが、戦国時代にはどちらも交通の要所で、戦国の世においては戦乱に明け暮れていた地でもあります。

行田市のシンボルでもある「忍城(おしじょう)」は有名な戦として3度も城攻めを経験するお城です。

知られる忍城攻めは、まず「河越夜戦(かわごえやせん)」の時期です。

関東に侵攻を狙う後北条氏に対し、「河越城」を奪回に燃える関東管領上杉憲政(うえすぎのりまさ)氏は、動員できる全ての兵力をもって、河越城を包囲しました。

河越城はもともと扇ヶ谷上杉氏の居城でありましが、天文6年(1537)に北条氏綱(ほうじょううじつな)氏に攻め落とされて以来、後北条氏の持ち城となっていました。

当時の城将は「地黄八幡(じおうはちまん)」の旗指物で知られた北条綱成(ほうじょうつなしげ)氏であって、河越城には3千の将兵がいたが、敵の大軍を前にして北条綱成軍はよく持ちこたえていました。

年を越え天文15年(1546)となりまし、た。

そろそろ兵糧も尽きる状況に、追いやられていた綱成軍に、駿河の今川義元(いまがわよしもと)氏と対立し動けずにいました。

小田原の北条氏康(ほうじょううじやす)氏がようやく今川氏と親族関係でもあった、武田信玄(たけだしんげん)氏の仲裁によって不本意ながら和睦(わぼく)をして、後方に憂いがなくなると即8千の兵を引き入り河越城へ援軍として向かいます。

その敵方約8万の大軍に膨れ上がった敵陣が囲む包囲網の河越へ、8千の兵を3つに分け夜戦を繰り広げ関東管領上杉氏、扇谷上杉氏、古河公方の関東連合軍を追い払います。

関東管領上杉氏の衰退後は忍城は標的となり、1553年に北条氏康氏は大軍を差向けますが、忍城は籠城でこの戦いを退きました。

ここから利根川と荒川に挟まれた湿地帯に成田氏によって築城された「忍の浮城」の不落城伝説は始まるのでした。

1560年関東管領を継ぐことになる上杉輝虎(うえすぎかげとら:のち上杉謙信)氏は、関東侵攻を始めます。

その際は成田氏は上杉軍に服し、小田原攻めにも参戦しました。

しかし翌年に関東管領就任の儀を上杉輝虎氏は、鎌倉の鶴岡八幡宮で行った際、段葛(だんかずら)で下馬せずに拝謁(はいえつ)していた成田長泰(なりたながやす)氏に激怒して、馬から引づり落とす事態が起こり、長泰氏は辱めを許さずそのまま忍城へと戻り、離反してしまったと伝わります。

その後上杉輝虎氏は丸墓山に陣を敷き、忍城を攻めます。

城下を焼き討ちされるも籠城する成田軍の忍城はよく持ちこたえ、上杉軍の攻撃をかわしました。

そして、必ずこの戦は歴史資料や政治革命にでてきます水攻めです。

のぼうの城 忍城は2万の大軍に攻めいられる

映画「のぼうの城」でもクローズアップされてます、「小田原討伐」にて太閤秀吉(たいこうひでよし)公による天下統一の総仕上げをします。

兵糧攻めで小田原城を囲みますが、約9kmの総の難攻不落(なんこうふらく)の小田原城は、兵糧もしっかり蓄えられ3か月の籠城にも全く揺らぐことがありませんでした。

そこで豊臣軍は、後北条氏に与する関東の城をひとつひとつ落としていく行動にでます。

新田金山城や鉢形城、武蔵松山城、津久井城、河村城、八王子城など秀吉軍に攻められるも、その中に忍城も入ります。

石田三成(いしだみつなり)氏を総大将にたて、上杉謙信氏の時のように三成軍は、丸墓山に陣を敷き忍城を力攻めしますが、湿地帯の沼地で攻めにくく護りやすいこの城は、簡単には落ちません。

それぞれ皿尾口、北谷口、長野口、佐間口、下忍口、大宮口、持田口は守りも堅く、また3千しかいない板東武者ばかりの成田軍は士気も高く、石田軍の力攻めに簡単には屈しなかったのです。

ここに歴史で語り継がれる物語が生まれます。

太閤秀吉公により書状で”忍城を水攻めにせよ”と命が下り、備中高松城の城攻めで堤で城の周りを囲ったように石田三成氏は銭を尽くし、日雇い人を使って堤をつくらせ、利根川をせき止め、城の周りを約14kmも囲みます。

そして水攻めを決行し、忍城は本丸も危うく水に沈む危機になりましたが、ここは突貫工事によりつくられた堤で、所々決壊し始め、石田軍に逆に死者がでることとなったという。

その後上杉景勝(うえすぎかげかつ)氏と前田利家(まえだとしいえ)氏らが率いる部隊も援軍に加わり、総攻撃を仕掛けました。

しかし、これらの有力武将をもってしても、忍城を落城させることはできませんでした。

肝心の小田原城の方は、太閤秀吉公は軍師の黒田官兵衛氏の公言で、「笠懸山(かさがけやま)」と呼ばれていた小田原一帯が見れる場所に城を一夜にして築きます。

石垣山」とよび、別名一夜城です。

実際には約80日ほどかけ山に城を築き、出来上がった時点で、小田原城から見える方角の周りの木々を一気に伐採し、まるで小田原軍には一夜にして山城が築かれたように見せ、それを見た北条氏政氏と氏直氏の士気は下がり、小田原方は敗北を認め無血開城となります。

よって忍城は最後まで陥落することなく終わりを迎えました。

このことから、忍城は「城攻めの天才・豊臣秀吉も落とせなかった唯一の城」として、歴史に刻まれることとなりました。

忍城以外にも、埼玉県にはたくさんの城跡がありますが、ご興味あれば後で読んで下さい。

埼玉県の城めぐり杉山城、鉢形城周辺の充実したランチスポットに跳んで埼玉⁉
埼玉県は千葉県と茨城県がライバル?で、ダ埼玉とか、海がない山ばかりの県とか、”埼玉県民には、その辺の草でも食べさせてろ!”という映画「跳んで埼玉」のフレーズが昨今思い浮かべる県ですね。 それは映画の中の話で、埼玉県は日の本古代からの歴史大国...

「のぼうの城 」の実話 はどこまで ?忍城は明治維新により破却された歴史

現在の忍城は、明治維新の廃城令により取り壊しとなってなってしまいましたが、昭和63年に市民の方々の希望がかない、江戸時代の中世時期の独立式層塔型3重3階で復元されています。

黒鉄門や時の鐘なども再建され行田市郷土資料館として近代化の鉄筋コンクリート造で忍城は生まれ変わり現在に残ります。

また「水城公園」は市民の方の憩いの場となり、一部戦で造作された「石田堤」や公園として整備され残されています。

しかし「のぼうの城」の成田氏が預かっていた時代には、今の忍城のような石垣の3重3階の天守はなく御殿のような居城だったので、現在の忍城で見られる本丸とは違ってきます。

御殿や二の丸で仕切られた水攻めに耐えた忍城は、現在は続日本100名城に加わり、今後も長く語り継がれてたくさんの散策客が来るんでしょう。

忍城城郭にあった水城公園(関東で梅の名所でも行っておきたい場所)

忍城(おしじょう)には復元された鉄門(くろがねもん)があるところに橋がかかり、そこから御三階櫓を写そうとスマホショットをするとうまく梅も映り込みます。

その先のTBS日曜劇場”陸王”の撮影場所にもなった”水城公園”の中に梅林ゾーンがあります。

大正11年に開店された忍町信用組合の元店舗をリニューアルした、「Vert Cafen」のモダンな建物が見える辺りには、20本ほど梅が植えられていて目にとまります。

水城公園は季節に応じて桜やホテイアオイなどが咲き、人の憩いの場になっておりウォーキング時に退屈しないところでしょう。

普段は市民の憩いの場となっていて、休日にはお子さん連れの親子が水辺でマイナスイオンを吸収するかのように楽しんでいる光景を目にします。

噴水のあるじゃぶじゃぶ池は、暑い時期にぴったりな場所です。

お子さんの海パンも持っていくのがベスト!

埼玉県行田市水城公園1249

「のぼうの城 」の実話 はどこまで ?忍城のある行田市 あとがき

時代によって忍城もその時々の歴史が重ねられ、現在の形で残されてきました。

映画化されたことにより地域活性化され、より身近となった行田市は今後もたくさんの人たちで賑わっていくことだと思います。

何を隠そうこの私も、映画を見るまでは全く行田市忍城に興味はない人間でした。

今では毎年、年1回はサイクリングで川崎市よりロードバイクで5時間かけて、忍城散策に出かけるファンの一人です。

TBSテレビ「日曜劇場 陸王」でも、ここは撮影現場となってこはぜ屋がここにあった場所です。

それも一つの10年、20年後には歴史でしょうか。

ぜひ何かの折にはみなさんも立ち寄ってみて頂けたらと思います。

「のぼうの城 」の実話 はどこまで ?おまけ

忍城へ赴いた時には寄ってみてください。

昔懐かし、昭和のふいんきが漂うお店「かねつき堂」は気さくには入れて、軽く焼きそばを~という感じで、夏に行ったらかき氷を食べてほしいな。

行田市本丸13-13

おみあげを買って帰るなら「十万石 水城公園店」で十万石まんじゅうがおすすめです。

行田市天満8-21

今回も最後まで私のブログにお立会いしてありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました