備中松山城の現存天守で猫城主のさんじゅーろーが迎えいる!歴史ある雲海に浮かぶ山城へ会いにいこう!

今回ご紹介する松山城はJR備中高梁(びっちゅうたかはし)駅から望む、日本では唯一の現存12天守の一つになる山城の備中松山城です。

よく間違えてしまいがちですが、伊予国松山城の「松山城」は四国愛媛県にある城跡は、ロープウエイ・リフト乗り場もあり、リフトを利用して頂上まで行くことが出来るようになっている、名城100選の城跡公園もあります。

こちらの伊予国松山城は平山城となっていますです。

よかったらブログを別で投稿していますので、後で読んでみてください。

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ということで続けますと、備中高梁駅の西口を行くとそこは城下町だったところが、現在は近代化の住宅街になっています。

でもどことなく城下町の名残と山や川に囲まれた、往時ののどかな雰囲気が感じられる通りです。

そこにある標高430mの備中松山城の天空の山城を、歴史にふれて遺構を見ながら歩いて登って、天守閣にいる猫城主のさんじゅーろーに逢いに山城を登っていこう。

ぜひ今回も最後までこのブログにお立ち寄りください。


備中松山城の現存天守で猫城主のさんじゅーろーが迎えいる!歴史ある雲海に浮かぶ山城へ会いにいってみよう

備中松山城の現存天守で猫城主のさんじゅーろーのいる歴史にふれながら臥牛山を登ろう!

猫城主さんじゅーろーが天守にいるこの備中松山城ですが、お城にはいくつか城郭の種類がありまして、平城,岡城,平山城に穴城などもありますが、ここ臥牛山(がぎゅうざん)の頂上に天守が築城されている立派な山城です。

山城で有名なお城は、兵庫県朝来市の竹田城や岐阜県恵那市の岩村城に織田信長(おだのぶなが)氏がからんだ、岐阜城(稲葉山城)と犬山城などがあります。

ここ備中松山城は標高430mのある山ですから、お城を歩いて見学するのには、備中高梁駅からの民家や武家屋敷が残る通りから岡山県立高梁高等学校の裏手の道の登城口から約1.5kmをえっちらおっちらと山道から始まる小径(こみち)を登っていきます。

備中松山城まで備中高梁駅から徒歩で行く途中には、松竹映画「男はつらいよ」や角川映画「バッテリー」、それと東宝映画「県庁の星」などのロケ地にもなった場所で、近代化と戦国期や江戸期の趣がどことなく残る町並みです。

さあ!山歩きはちょっとという方は、城見橋駐車場(5合目)~ふいご峠(8合目)の登城バスが運行しております。

大人500円,小中学生200円(往復)

でも歩いて登城ルートを行く方を選びますと、途中舗装された石の階段もありますが、ほとんど大手門にたどり着くまでは、山道をひたすらひたすら登っていくことになります。

そういう自然環境の道を歩いて登っていくのが、山城の醍醐味でもあると言えます。

こうしたことで、途中の石垣や櫓や下の景色などを見ながら登っていくと、天守に着いた時の思いがひときは気分いいものになりますよね。

30~40分ほど頑張って歩いていくと、ようやく大手門跡にたどり着きますが、石垣がすご~いと思ってもらえる最初の場所になります。

まるで要塞(ようさい)が顔を出す瞬間の場所です。

ところで色んなYouTube動画やグーグルブログなどで紹介されていますが、この岩盤のところの石垣群は、NHK大河ドラマの「真田丸」オープニングで出てくる石垣と説明板があります。

お城ファンの一人の私としては真田丸と言えば真田家ですから、”上田城の石垣”と思って放送を見ていましたので、このことを後で知ってかなり~がっかりしました。

何で真田の城なのに上田城か、あるいは岩櫃城(いわびつじょう)の石垣や岩盤跡をオープニングにしてくれなかったのか!なぜなんだ!どうして、信じられない~!!!

さて、気を取り直してそれを一掃する気持ちで、上田城のブログを投稿していますので、興味あられたら後で読んで下さい。

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さあ!今まではやや狭い山道ですけど、ここから先は道も広くなり道は石段と固めの土で歩きやすい道に変わります。

歴史やお城にあまり興味ない方でも、この付近は江戸時代の頃からある石垣で、時代をタイプスリップしたような新鮮な気持ちで登り続けられるのではないでしょうか?

そうしているうちにようやく三ノ丸跡や厩門跡(かやのもん)をぬけて本丸南御門と現存天守閣が見えます。

この備中松山城は、これだけの大々的な打ち込みはぎで石垣積を整備し、櫓や門に天守が築城されたのは、水谷勝隆(みずのやかつたか)氏が1642年に備中松山初代当主になり、2代目の水谷勝宗(みずのやかつむね)氏のときに1681年から1683年まで大改修をして今残る形が出来上がりました。

しかし実はこの備中松山城の歴史は古く、鎌倉時代の1240年に備中有漢郷(うかんごう)の地頭だった秋庭重信(あきばしげのぶ)氏が、ここに居城をおいたのが始まりと伝わる城です。

そして戦国時代には、中郷地方をおさめた毛利輝元(もうりてるもと)氏にこの城を拡張され、関ヶ原の戦い後は小堀遠州(こぼりえんしゅう)氏が入ったとされます。

そして江戸時代に水野勝隆(みずのやかつたか)氏が初代藩主となり、その後2代目藩主水野勝宗(みずのやかつむね)氏に今残る、時代錯誤するような戦国時代さながらの城に変貌していきました。

現在、唯一の現存天守12城の一つとなって残ってきており、複合式望楼型2重2階とやや天守としては小さめですが、山城ではここだけで、平成13年~15年にかけて2億1500万円をかけて、岡山市備中松山城の大修理を行っています。

おかげで、江戸時代から残る現存天守や二重櫓に三ノ平櫓東土塀が国の重要文化財として保護されてきました。

天守の内部には、籠城戦が起こったときに備えて囲炉裏(いろり)が備わっていたり、内部からよく見えて、外からは内部がよく見えないように窓のつくりに連子窓(れんじまど)という工夫が凝らされています。

天守のすぐ横の二重櫓は1年に2回ほど公開されていますが、普段は内部に入ることは天守のようには出来ないようになっていますが、二重櫓の裏側の石垣部分を周って見て頂くと、岩盤の上に石垣を積んで約340年も崩れずに残っているところを拝観していってほしいと思います。

しかしすでに大阪冬の陣、夏の陣も終わっていて泰平(たいへい)の世になっていたので、よくまあこのような石垣をしっかり積んで、戦もようやく終わった時代に戦国さながらの天守や、狭間の土塀を設けるなどして幕府はよく許したなと思う今日この頃です。

裏話で、水野家が3代で跡取りがいなくなってしまい、後継者がいないとこの江戸時代は、すぐにお家断絶となっており、一時期1年ほどでしたが、あの赤穂浪士でも有名な朝の内匠頭(あさのたくみのかみ)が入城することとなります。

城の受け渡しのごたごたを話し合いに大石内蔵助(おおいしくらのすけ)氏が相手方の鶴見内蔵助(つるみくらのすけ)氏という無血城対談があり、両者内蔵助対談とも呼ばれて?います。

備中松山城の現存天守で猫城主のさんじゅーろーが迎えいる!松山城本丸へ会いにいこう!

話しを戻しまして、そこのちょっとした天守の目の前の広場には、お気に入りの台から猫城主さんじゅーろーが迎えてくれます。

最初に来た頃よりも幸せ太りをしてしまったのか、まん丸になっている猫城主さんじゅーろー様がご滞在しております。

もしいない時は、横の高梁市松山城等管理事務所の中で休んでいるかもしれません。(お年なので、、)

午後からのさんじゅーろー公は備中松山城内の見周りに行きますので、そこのタイミングに合うといいですね。

またさんじゅーろー城主がいたらびっくりさせないように、インスタ用のスナップ撮るときはフラッシュは控えてあげてください。

なお、城主さんじゅーろー公の効果で備中松山城の集客数が、西日本豪雨災害後の激減から救世主となって10万人以上に戻ったんですよ。

もう備中松山城ではさんじゅーろー様様ですが、今や和歌山電鐵貴志川線貴志駅の廃線を救った、2015年に亡くなってしまいましたが”三毛猫たま”のスーパーねこ駅長がいました。

このことも耳にした方は多いと思います。

今は2代目のたまがその駅長の役目を担っています。

この今の時代は、生き残っていくにも「猫の手も借りたい!」と言ったところですかね。

備中松山城の現存天守で猫城主のさんじゅーろーが迎えいる!ってそもそも猫はどこから来たの?

標高430mある山城の松山城に茶白の猫が住みつきました。

何処からともなく現れた猫ちゃんは、いつからここに来たのでしょう。

記憶にも残るあの2018年7月の西日本豪雨災害で、高梁市内を流れる高梁川や成羽川の水があふれて、この付近は今まであったこのない被害をもたらせました。

備中松山城も登城道が土砂崩れで倒木が道を寸断するなど、被害にみまわれました。

自然の猛威が過ぎたあと、市民の方々やボランティアの方たちの地道な努力で、水道の復旧や被害整理などがおこなわれました。

そのおかげもあり高梁市一大イベント「備中たかはし松山踊り」は1日に短縮されたものの、開催される運びになりました。

豪雨以降登れなくなっていた登城道の掃除一斉も、みなさんの努力により速やかに行われていきました。

ようやくインフラも回復し、登城を再開しますが、観光客数は一時10万人を超えていた年の勢いをなくしてしまい激減して、集客数も上がらない時期に陥っていました。

そんな時、大雨から逃げているうちにここにたどり着いたんでしょうか、西日本豪雨災害後に1匹の茶白の猫が舞い込んで、この備中松山城の登城道に住み着きます。

最初は三ノ丸付近にいる瘦せこけている猫を、観光協会職員で城の管理人を務める本原亮一さんが見かけました。

同じ管理人の永井孝明さんも、三の丸のすぐ下にある大手門のあたりで茶白の猫と会います。

人懐っこい猫なのか、「ニャーニャー」と鳴いてとても可愛かったようです。

とある日に、登城に来たお客さんについてきて階段を一緒に登り続けて、とうとう天守のある本丸の門まで猫ちゃんは到着したのでした。

それには永井さんたちも、これは餌をあげんとな、ということになってしまったようです。

それから永井さんたちは交代で、その猫に餌をあたえて世話をし、とうとう小屋も作ってあげたそうです。

でもその小屋はほとんど茶白の猫は使わず、野良猫状態で餌だけ食べに管理棟まで来るようになっていました。

まあなんとも可愛く人懐っこい猫がいるということで、観光協会事務局長の相原英夫さんにも会ってもらうとすると、初対面ですりすりしてきて、すぐその猫ちゃんを気に入ってしまったとか。

その頃相原さんは、備中松山藩出身で新選組七番組組長を務めた谷三十郎(たにさんじゅうろう)氏をどうPRしていこうかと、職員らと話し合っていたところで、いつしかその猫を「さんじゅーろー」と呼ぶようになっていったようです。

それからさんじゅーろーのことが口コミで話題になり、SNSなどでも登城者の写真がよせられ、新聞やテレビ取材もくるようになりました。

それからのさんじゅーろーは、松山城の山城の色々な場所を気ままに偵察しに歩き回るようになり、せっかくさんじゅーろーを目当てにお城に登ってきた観光客会えずじまいでがっかりさせることもあったようですね。

今や押しも押されぬ、天下の名城備中松山城の正式な猫城主さんじゅーろー公になりまする。

が、その後ドタバタ劇もあったようです。

最初の飼い主さんが備中松山城に来られて、あの被災でどこ行ったかもわからないまま気にあぐねていた所にここで暮らしていたのかと、ほっとしながらも連れ戻して、また飼育するかを考え悩んみ、この備中松山城で暮らしてもらう方で、和解した経緯がありました。

またテレビの取材で、相原さんのご自宅に一時帰宅させる際逃亡してしてしまい、19日の逃亡劇もあったとか。

さんじゅーろーが戻ってきてからは、しっかり保護するようになり、野良猫のように自由とはいきませんが、閉館後は管理室に設けられた猫用のかごで夜を明かして、また観光協会の係りの当日担当の方が、交代で朝かごから出してあげます。

餌の用意やトリートメントに、朝9時からの訪れる登城客の方々のお出迎えは、世話役係が務めるようになりました。

もう推定年齢はこの2023年6月では8歳だそうですから、あまり城内の見回りに動く活動範囲も少なくなってきているようですが、備中松山城の猫城主としてさんじゅろー公にはまだまだ長生きしてもらいたいですね。

備中松山城の雲海の絶景を眺めに行ってみよう!

天空の城とうたわれる備中松山城は、日本三大山城の一つです。

天空の城というと竹田城と越前大野城が有名ですが、なんといっても現存天守が残る備中松山城は朝早起きしてでも一生に一度見ておきたい光景です。

怪奇スポットへ行く用の輝度があるライトを持って、出かけるくらいの心構えで行きましょう。

防寒対策や飲み物、望遠レンズ式カメラなども忘れずに。

現地は“天空の城備中松山城展望台”の看板までしっかりある地元のサービスです。

雲海だけにも必要で朝早く起きて展望台にたどり着いても、霧が天候や湿気が発生しなければ天空の城にはなりませんので、グッドタイミングが必要不可欠です。

雨上がりの日などは霧が起こる確率は上がると聞きます。

また、秋から春の9月下旬から4月上旬にかけて、雲海は発生するといわれ、特に10月上旬から12月下旬が大発生するといわれています。

その運よく雲海が発生する時間帯は、日が昇る辺りから7~8時頃までがきれいに見えるといわれます。

地元タクシー協会に予約の上、展望台へ行く方法もありますので、行くときは計画立てて足をお運びください。

ご検討をお祈りいたします。

岡山県高梁市奥万田町(備中松山城展望台駐車場):無料 収納台数4台まで可

備中松山城の周辺をアクセス

備中高梁駅周辺を観光 天柱山 頼久寺

備中松山城へJR備中高梁駅より歩いて行かれるときは、登城口途中にあります足利尊氏(あしかがたかうじ)公ゆかりの頼久寺(らいきゅうじ)に寄ってみてください。

拝観料400円で駅前の観光協会にて三館入場券1000円もあります。

1339年の南北朝時代に後醍醐(ごだいご)天皇が崩御(ほうぎょ)したことの弔いに、足利尊氏公が安国寺として各地に建立を命じたといわれる寺院の一つです。

頼久寺庭園は国の名勝に指定されており、砂紋を描いた白砂で海を表現した枯山水や蓬莱庭園サツキに青海波や石灯籠(高梁市指定文化財)などが見れます。

また頼久寺のある通りには、武家屋敷 旧埴原家と武家屋敷 旧折井家もありますので、お時間が許せば、同時に観光されてみてください。

☎0866223516

頼久寺:岡山県高梁市頼久寺町18

備中高梁駅周辺を観光 御根小屋跡

現在でもこの付近は近代化されてはいますが、本町通りから城下通りに入ると石垣が積まれた川が横に沿って往時が偲ばれる景観がでてきます。

武家屋敷通りの手前に備中松山城の御根小屋跡と裏門跡があり、現在は岡山県立高梁高等学校の敷地になっています。

江戸後期に藩の政をするのに、山城を毎日登るのは大変労力という事で、ここの標高430mの臥牛山頂上から今の高梁高校の場所に政務場所を移したのだと。

しかし、明治維新後の廃藩置県や廃城令に伴い、標高の高いお城は取り壊しにも莫大なお金がかかるという事で放置されて、こちらの藩の御根小屋の建物は取り壊されたといわれます。

そのおかげで、歴史的建造物の城跡の備中松山城は今に残されていますのがありがたいタイミングです。

また岡山県立高梁高等学校の周りには、そのまま当時の藩の御根小屋の石垣が残っていて、ちょっとした拝観ルートにしてもらえたらと思いますが、徒歩で備中松山城の登城口コースに向かう通り道にもなり、方谷の道第八碑や牛麓舎跡なども建てられています。

高校の敷地内なので、学校の関係者や生徒さんでないと了解がなければはいれませんが、心字池という飾られた石についた苔が何とも良い庭園があり、当時の藩の御根小屋の遺構がが残されています。


備中松山城の周辺で食べ歩きとランチ

備中松山城の周辺で食べ歩きのランチ カフェレスト シャトー

年中無休で営業時間されていて、”本日のお昼ごはん”が930円(税込み)でエビフライと和風のハンバーグの定食やエビフライと白身魚の定食など全5種類(ドリンク付き)や”いつものごはん”830円(税込み)などなどランチタイムからの登城などでご利用してみてください。

営業時間:11:00~20:00(月曜~金曜) 10:00~18:00(土曜、日)

☎0866221008

岡山県高梁市頼久寺町13−11

備中松山城の周辺で食べ歩きのランチ 五万石

お好み焼き店の五万石は、インディアントマト焼きそばが人気で、焼きそばの上にお好み焼きがかぶされその上にトマトソースがかけられた今までにないお好み焼きメニューですが、これを食べたら病みつきになっちゃいます。

ゆずこんにゃくたこ焼きもいけますし、なかなかこの味で1000円でおつりがくるメニューにあれもこれもつい2品以上頼んでしまうお店なのです。

営業時間10:30~20:00(月曜定休)

☎0866223310

岡山県高梁市鍜冶町125

備中松山城の周辺で食べ歩きのランチ スターバックス コーヒー 蔦屋書店 高梁市図書館店

なんとまあここにも備中高梁駅前に君臨する、スターバックスですね。

蔦屋書店と高梁市図書館のコラボ店ですから、今はやりのフラペチーノをいただきながら、読書が出来るので、待ち合わせや大学生さんは論文書くのにとっておきの場ですよね。

しかしどこの地域にもお店があるスターバックス コーヒーさんには脱帽です、参った。

営業時間:9:00~21:00

☎0866211313

岡山県高梁市旭町1306

備中松山城へアクセス

備中松山城へアクセス 公共交通機関(電車、バス)

〇岡山駅より電車

・岡山駅~備中高梁駅(JR西日本やくも3号特急出雲市行):約40分

〇公共交通機関(バス)

●高梁バスセンター~松山城登山口(吉備国際大学前行):約10分

・備中高松城登城口:1.5km 約40分

〇公共交通機関(バス)

高梁バスセンター~川端町バス停(呰部行):約5分

・川端町バス停~信号・川端町右折~城下通り~備中高松城登城口:2.1km:約50分

備中松山城へアクセス マイカー

・マイカー(岡山駅付近より)

・国道53号線から岡山料金所より吹田山口線から山陽自動車道へ入る~吉備SA~岡山JCT~中国横断自動車道~総社PA~賀陽料金所~国道484号線(岡山中部縦貫道路)~5.5km先を右折し吉備国際大学高梁キャンパス方向へ進むとその先備中松山城登城口到着:約50km

*お出かけの際、ETCカードの差し忘れがないことをご確認ください

備中松山城駐車場

〇城見橋公園駐車場(無料駐車場)

収納台数:普通車110台

☎0866210461

岡山県高梁市小高下町2730

*ふいご峠は道が狭く駐車場も数台しか駐車できませんので、登城整理バス往復500円に乗り換えをお勧めします。

備中松山城の現存天守で猫城主のさんじゅーろーが迎えいる! あとがき

私はよくユーチューブで猫動画を見るんですが、さんじゅーろー元野良猫チャチャに時々見えてしまうんですが、チャンスがあればおふたりにご対面してもらいたいですね。

おかあさんとおねえちゃん二人は、さんじゅーろーに逢いにマイカーで備中松山城に出向いたみたいですね。

かわいーかわいーの連発でしたね、ユーチューブ動画配信内容では。

この現存天守のが残る備中松山城も宝だと思いますが、西日本豪雨災害の復興におおいな活躍をしているさんじゅーろーも今では宝ですので、本当に長生きをしてもらい、お城の猫城主として君臨し続けてほしいと思ってます。

また備中松山城からアクセスに、岡山にある城めぐりとランチにいい食べ歩きのブログも投稿していますので、よろしかったら参考にこちらも見てください。

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今回も私のブログに最後までお立会いくださいましてありがとうございました。


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