北陸地方の城跡を梅の季節にウォーキングすれば一石二鳥で楽しめる場所を紹介!

日本海側の北陸地方は厳しい冬から、春を知らせる梅が、まだ雪が降る時期でも2月に入ると力強く梅の実が開花します。

その景色に酔いしれる人が集まる城跡を紹介していきます。

ぜひ、梅は梅干しか梅ジャムで満足と思わず寄っててください。



北陸地方(石川県、富山県、福井県)の城跡を梅の季節に歩こう

梅の散策には加賀百万石金沢城と兼六園

石川県金沢市の象徴である、加賀百万石の金沢城は戦国時代に織田信長おだのぶなが氏から豊臣秀吉とよとみひでよし氏に就いた、前田利家まえだとしいえ氏と妻まつとで築かれた言わずと知れた大大名の城跡です。

残念ながら天守は落雷により1602年に焼失してしまい代わりに三階櫓が建造されますが、現在までの相次ぐ火災や被災によって、二の丸や三階櫓も残ってはいません。

しかしみごとな石垣や水堀と菱櫓ひしやぐら・五十間長屋。橋爪門続櫓(復元)は来る人はここを見て、”これぞ加賀100万、いや加賀120万石!”と思われるに違いない意表です。

この国の重要文化財の石川門や三十間長屋も残る金沢城址公園にはもう一つ有名な「兼六園けんろくえん」があります。

兼六園の梅園には白加賀しらかが豊後ぶんご摩耶紅まやこう青軸あおじく利休梅りきゅうばい祖心蝋梅そしんろうばい冬至梅とうじうめ八重寒紅やえかんこうが植えられていて、拝観時に目を楽しませてくれます。

桜の季節や秋の紅葉もいいですが、まず春を先取りにここ武家屋敷の名残のある金沢城址公園を歩いてみたいものです。

小松城にも梅が見られ芦城公園

芦城公園ろじょうこうえんは小松市民の憩いの場であり、ささやかに梅も見られる前田家3代目の前田利常まえだとしつね氏の隠居の城として、天守台で切込接きりこみはぎの石垣が小松高校のグランドの隅に残っています。

そのそばに梯川かけはしがわを越えると、小松天満宮があり厳かに梅を見ることが出来ます。

そして芦城公園は広い敷地が開放されていて、三の丸橋、あやめ池、桜池があり梅の名所よりも桜の名所ですが、春の先取り、欲張りな人は桜開花の3月上旬に両方見ながら花見ができますよ。

前田家の加賀百万石の足固めをしたと称される「前田利常像」も公園内に設けられ現在も加賀の行く末を見続いています。

ささやかな城散策しながら遺構を偲び、花見もできる公園です。

駐車場も小松市役所の駐車場があり、車でも気軽に行けるのが良いところです。

富山県の観光梅の季節にいい城跡高岡古城公園

”富山の遊び場”というYouTubeをよく見ますが、北陸にはいろいろな名所で平安時代後期から鎌倉時代の伝承も数々ある土地です。

倶利伽羅峠くりからとうげは有名な木曽義仲きそよしなか氏が大将で、牛の角に松明たいまつをつけさせ奇襲した「倶利伽羅峠の戦い」は平家との源平合戦があったエピソードがあります。

また源義経みなもとのよしつね伝説で奥州への悲劇の旅の「如意の渡しにょいのわたし」や「雨晴海岸あまはらしかいがん)」など歴史ロマンのある場所で、梅の花見に城跡も一緒に見れれば一石二鳥です。

ということで富山県で梅と言えば、加賀100万石前田家2代目前田利長まえだとしなが氏により隠居城としてこの関野(のち高岡)に築城されていました。

利長氏が死去したのちに、徳川幕府より一国一城令いっこくいちじょうれいも発布され廃城となりました。

その後明治時代に公園として整備され、開放されたのが始まりの高岡古城公園の梅です。

桜の名所でもありますが春を先取りで、冬至、紅冬至や鹿児島紅、白加賀など梅が50本植えられています。

その他にもペンギンやフラミンゴ、リスザルなどが動物園として飼育されていて、お子さん連れのご家族にも楽しめる公園です。

また高岡古城公園内の射水神社いみずじんじゃは、縁結びの神社でハート型の花にみえるのが特徴です。

高岡城の遺構では二の丸跡の土橋の所に乱積み式の石垣が残り、その築城設計にあたった高山右近たかやまうこん像が大手門跡にたっています。

本丸広場には城主前田利長像が設けられ、現存した本丸之井戸と三の丸に民部の井戸が残されています。

駐車場も公園も無料開園されているので気楽に拝観でき、古城亭や三の丸茶屋があり憩いの場としてもそうですし、散歩やジョギングする方がみられる活気ある公園です。


福井城址にお市の方と戦に散った柴田勝家氏ゆかりの梅

福井城(北庄城きたのしょうじょう)は柴田勝家しばたかついえ氏と羽柴秀吉はしばひでよし氏が”賤ケ岳しずがたけの戦い”において、秀吉軍が勝利し勝家氏とお市の方がはかなくも城を枕に自刃じしんした城でした。

その時3姉妹の茶々ちゃちゃはつごうは秀吉氏に引き取られ、今後の生涯は数奇すうきな運命に翻弄ほんろうされていくことになります。

その後江戸時代に徳川家康とくがわいえやす公の次男の結城秀康ゆうきひでやす氏により、北庄城から福居城(福井城)となり藩主が置かれていきました。

現在城跡は都市開発により、ほとんどの遺構は失われていき、名残の遺構は一部残り、北庄城址・柴田公園には天守があったとされ、そこに柴田勝家像とお市の方像、三姉妹像が設けられ、戦国の世の思いが偲ばれています。

そして、その近くに通る足羽川あすわがわを越えると足羽山公園がありますが、その途中にある「西光寺」には柴田勝家氏とお市の方のお墓が祀られていま。

そこに”柴田勝家公愛用の梅”が今も残っています。

この梅の木は勝家公が生前愛用したと伝えられたものである。

昭和二十年戦災により焼失したが、不思議にも後日はつがしたものである

と西光寺手書きの看板に書かれており、今も戦国ロマンを語り継がれる梅が毎年咲きます。

一乗谷朝倉氏遺跡の梅は静かな時を刻む

一乗谷いちじょうだには戦国時代に織田信長氏との戦に敗れて、この地を追われた朝倉義景あさくらよしかげ氏の約100年の5代に渡る栄華の場所で、明智光秀あけちみつひで氏も十兵衛と呼ばれていたころ、ここに仕え暮らしていた場所です。

織田軍に敗れたこの地は、朝倉氏居城以外にも町や寺院などもすべて焼き尽くされたと歴史でいい伝わります。

そして、現在戦後の昭和に入り土に埋もれてしまった遺構を朝倉氏遺構保存協会と福井県教育委員会などボランティアの方々により現在までの形に復元、復旧されてきた賜物です。

正直梅の名所ではなく、梅を見に行かれてもまばらで、梅目当てではなくぜひ、この一乗谷の広大で自然豊かなこの地に、朝倉氏が築いた城と城下町の遺構を堪能していただきたく紹介しておきます。

復元された町並みなどにふれて、たくさんいい空気を吸って戦国ロマンに浸ってみてください。

また夏の時期は、「越前朝倉万灯夜えちぜんあさくらまんとうや」の灯りのイベントが毎年開催されていますので、今年も雨天にならずイベントが開かれることを願うばかりです。

〒910-2153 福井県福井市城戸ノ内町

あとがき

この北陸道にも伝えたい梅の季節に旅行、あるいはドライブに行き、梅の花見に出かけてウォーキングしたくなる場所はありますが、お城とのコラボで今回紹介しており、もっと大きな梅まつりの場も北陸にはございます。

ぜひ春の先取りに梅の散策と、城跡散策も楽しんでください。

おまけ

三陸地域に行ったらぜひ寄ろう、この店あの店を紹介。

@海の幸、山の幸に恵まれた金沢は、食通にとっても、料理人にとっても最高の環境です。

謳いうたい文句にする店は「兼六園茶屋 見城亭けんじょうてい」です。

日本料理はもちろん、厳選抹茶フォンデュ玉手箱や色とりどりの人気ソフトクリームがあり、ご年配や女子にも親しまれるお店です。

石川県金沢市兼六町1−19 見城亭

@ここは一乗谷朝倉氏遺跡内にある、「朝倉の里 利休庵」はシンプルなメニューでおろし蕎麦やざる蕎麦があり、デザートは蕎麦団子となっています。

昔ながらの建物で、おばあちゃんが一人で切り盛りする姿がいじらしい。

福井県福井市西新町7−1

@北陸石川の道の駅「倶利伽羅塾」は和室10室の宿泊施設や源平の湯という名の人工温泉や和食レストランがある施設です。

お土産コーナーや農産物の野菜販売もしています。

石川県河北郡津幡町竹橋西270


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