島原城で一揆で立て籠もった誰もが一度は耳にしたことのある名前の「天草四郎(あまくさしろう)」という人物は、どのような人だったのでしょうか?
学校の教科書や歴史番組で、「島原の乱(しまばらのらん)」というものを習ったこと,聞いたりことがのではないでしょうか?
徳川氏江戸幕府が、キリシタン(利支丹,伴天連:ばてれん,カトリック信徒などと呼ばれた集団)を強固な弾圧を行い、それに真っ向から戦いを挑んだ、農民・百姓の主となって立ちあがったカリスマ的存在の人物でした。
若きキリシタンの天草四郎氏は、実在したイケメンであったことと、南島原市にあった廃城にされていた原城跡に立て籠り(たてこもり)、江戸幕府島原藩主に抗った江戸期のヒーローに着目していきます。
ぜひ観光の参考にもして頂きたく、長崎の周辺の観光スポットや食べ歩きのお店なども独断で盛り込んでいきます。
ぜひ今回も最後もまで私のブログにお立会していって下さい。
原城がやばい!天草四郎は実在したイケメンだった!キリシタンのカリスマ的存在のHEROを検証
原城がやばい!天草四郎は実在したイケメンだった!キリシタンのHEROを深堀する
長崎市は古くから多くの隠れキリシタンが存在して、幕府に迫害をうけながらも、信者たちはその目をかいくぐりながら、キリスト教の信仰をし続けていました。
その長崎の歴史が世界的にも認められ、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が2018年6月に世界文化遺産登録が満場一致でされています。
長崎のキリスト教の有名な聖堂として残る、大浦天主堂や平戸の聖地と集落が指定されています。
その他に久賀島の集落や奈留島の江上集落,野崎島の集落,天草の崎津集落,頭ヶ島集落,外海の大野集落,黒島の出津集落,などに入っている、これから伝えたい南島原市原城跡も世界文化遺産に登録されています。
やはり江戸幕府とキリスト教信者との間に起きた、大きな戦は、今後日本と世界にも歴史として残されていくべき事柄という証でしょうね。
さていきなりですが、あの俳優や声優に演出家でもあり、タレント,シャンソン歌手と幅広い分野で活躍する美輪明宏さんは、長崎出身もありますし、若き頃の写真などを見ると本人自称ですが、天草四郎時貞といわれるとそうかもと感じいります。
知的で人を引き付けるすごいトークと存在感は、ベテランならではのものですが、生まれ変わりとあっても不思議ではないと思っています。
また後付けの少ない史料に、天草四郎氏のことはまだまだ謎に包まれたことが多いですが、現在の長崎から起こった”島原の乱”のことは、私も中学生の時に社会科歴史の授業にて学びました。
歴史的アニメや、株式会社ABCアーク出版の「歴史人」などでも時より紹介される歴史に残る大きな一揆の出来事として語り継がれています。
今尚そのカリスマ的な天草四郎は、時には形を変え、山田風太郎さんの原作「魔界転生」をあの深作欣二監督によって1981年に角川映画で映画化された大ヒット作もありました。
それは若き頃の沢田研二さんが演じる天草四郎時貞(あまくさしろうときさだ)は、怪しげな淫靡(いんび)を放ち、魔界に身を転じて生まれ変わり、この世に未練を残し死に逝った細川ガラシャ(演:佳那晃子)や宮本武蔵(演:緒形拳)をも蘇えらさせ、日ノ本を脅かします。
それを祓うために立ち上がった柳生十兵衛三巌(演:千葉真一)が、その魔物天草四郎時貞を成敗に動く内容です。
他にも真田広之さんや成田三樹夫さん,丹波哲郎さん,若山富三郎さん他豪華キャストも出演する奇想天外な歴史スぺクタル映画です。
現在は、YouTubeやU-NEXTにhuluなどで拝聴することができ、リメイク版も配信中されています。
ちょっと私事ですが、「勝手にしやがれ」で1977年日本レコード大賞を取ってから大ファンだった、沢田研二さんの過去の宣伝も含めたお話になってしまいましたが、こちらの映画の天草四郎はダークヒーローの方ですが、先ずは手始めとして。
その他にも聖女ジャンヌダルクにもじられた、アニメ「Fate/Apocrypha」に天草四郎時貞は登場するなど、現在でも歴史に残るヒーローなのです。
さあ!さてさてなぜ天草四郎氏は、江戸幕府のバテレン弾圧に抗う3万7千人ものキリシタンを従える主に押し上げられることになったのか?
次に天草四郎時貞氏のその生い立ちなどを深堀していきましょう。
天草四郎氏の出生の詳しいことは資料がなく、実際のところは謎となっており、まだ歴史学者らにもはっきりとした解読はされていません。
はっきりしていることは、本名は益田時貞(ますだときまさ)となっていて、若き10代で教会で洗礼をうけ、その名は”ジェロニモ”だそうです。
そして、話を世の中へ向けると、まだ徳川家康(とくがわいえやす)公の幕府政権の時期は、大きなキリシタン弾圧は無かったとされています。
バテレン禁止令の御触れはされていたものの、力で幕府が抑えることはなく、肥前国(ひぜんのくに:長崎市島原付近も含む)のキリスト教会も当時の藩主有馬氏もキリシタン大名ともあり、肥後国にキリスト教会も安堵されていたという。
そこにキリストを崇拝する庶民や農民も、まだ平穏に暮らせていました。
しかし大将軍家康公が崩御すると世は一転し、徳川幕府2代目征夷大将軍徳川秀忠(とくがわひでただ)公の世になると、完全にキリスト教の排除する動きを断行し、キリシタン教祖たちは行く手を遮られていくのでした。
そこに肥前国の唐津藩主の寺沢堅高(てらざわかたたか)氏や、肥前国の島原藩主松倉勝家(まつくらかついえ)氏もキリシタンに厳しい弾圧を虐げ(しいたげ)、さらには厳しい年貢の取り立てを行い、庶民,農民の不満は膨れ上がっており、小競り合いもしばしば起こっていたという。
そこに一人の救世主ともいわれるジェロニモ:天草四郎時貞氏が疾風のごとく現れ、カリスマ的意表を放つ16,7歳の少年に白羽の矢が立てられました。
天草四郎時貞氏には、まるで紀元前のカリスマだったイエス・キリストのような伝説が語られ、水の上を歩いて渡れたとか、長年目が見えずの病になっていた少女の目に、天草四郎が手をかざし、その目に触れると、その少女の目はたちまち視力を回復して見えるようになったという。
そんな神話が庶民に伝わっていったことで、若き少年はそのリーダーへとのし上げられたのでした。
江戸幕府へ異議申し立てを行った出来事でした。
最初はキリスト信者の信仰を、ただただ認めてほしいという要望であったといわれています。
ですが、弾圧をする江戸幕府の役人の唐津藩主らは、とうとうキリシタン信者を磔(はりつけ)や火あぶりの刑にするなど、強硬な行動を取るようになり、天草四郎時貞氏がまとめる集団は、いよいよ戦へと歩んでいったとされています。
原城がやばい!天草四郎は実在したイケメンだった!島原の乱へ突入
天草四郎キリシタン軍は、戦には不充分な島原の陣場
から、肥後国(ひごのくに)に幕府を迎え撃つ場を変え、すでに一国一城令により廃城となっていた原城跡に立て籠り、江戸幕府へ抗います。
そのことを聞きつけたキリスト信者たちの江戸幕府反乱軍が原城跡へ集まり、3万7千人ものキリシタンらが集結していったといいます。
最初はたかが農民一揆衆と舐めていた板倉重昌(いたくらしげまさ)氏が、陣頭を務めるも、原城は簡単には落ちず、小便や人糞を煮えさせた熱湯を城の石垣を登ってくる敵兵にかけたり、がれきや丸太を落とし、敵を翻弄させて本陣に寄せ付けませんでした。
そこに焦りをみせた板倉重昌氏は、先頭に立ち原城に攻め入いりますが、士気の高い天草四郎軍は重昌氏を討ち死にさせてしまいます。
これに対して徳川幕府軍は、総勢約12万7千という3代目将軍徳川家光(とくがわいえみつ)公に命じられた軍勢が、原城を取り囲み兵糧攻めをしました。
それに抗うも天草四郎軍もやがて兵糧は尽きていき、軍を離脱するものもあり、約3か月もの籠城戦をした「島原の乱」は終結され、疲弊しても抗った天草四郎時貞氏は首を捕られたという歴史になっています。
まだ17歳そこそこの、現在ではまだまだこれからの青春時代を迎えるという年齢の短い生涯でした。
しかし彼の行動は、今尚潜伏キリシタンに受け継がれて、現在に至り歴史に語り継がれて生き続けています。
原城がやばい!天草四郎は実在したイケメンだった!世界遺産登録された原城跡へ
原城跡は、見応えのある広い城郭が良好に残されていて、お城好きにはたまらないとっておきの場所になります。
現在はスマートフォンやタブレットから原城城郭をリアル体験できる、「よみがえる原城」がストリートミュージアムで体験できます。(戦国期 有馬晴信時代の城の頃と思われます)
最新の技術も活用しながら、原城跡を見て周ることも可能です。
さて、キリシタン一揆の島原の乱の動乱期には、すでに廃城されていた天然の要害の原城跡に3万7千もの天草四郎軍が籠城したゆかりの地でもあります。
戦国時代に造られた大手口跡や二ノ丸跡に原城空堀跡,本丸跡,原城 出構跡,三層櫓跡などが、整備が行き届きながら見ることができます。
本丸広場には、キリシタンの記の十字架の塔が立てられて、たくさんの霊を慰めるかのように天草四郎時貞の墓碑と天草四郎像に、有明海を見守るように三体のキリシタン象も立っています。
ここ原城跡は島原の乱が終結後に、再度城郭を一揆などで使用されないようにと、完膚なきまで石垣などが破却されてしまってますが、有明海に通じる抜け穴跡が往時の戦いの痕跡(がんこん)を感じられます。
ここで討ち死にした、天草四郎時貞氏の墓碑や手を合わせ祈りを込めた天草四郎像が設けられています。
ここに島原の乱の時に立て籠って、残り戦い続けた女子供至る老人も全員皆殺しにされたといわれています。
今も掘り出されずに土に埋もれた人骨もあるといわれ、発掘調査の時には約450人にも及ぶ人骨が出土し、あまりに複数のばらばらになってしまった骨だったため、どれが一人の骨か分からないほどといわれています。
男は首を切られて他の場所でさらし首にされて、胴体はそのまま放置されればカラスや野犬に食われていったのでしょう。
間違っても、肝試しに夜中に来るのはやめにしましょう。
地元の人たちでさえ、夜に原城跡には絶対に近づきません。
それが原城はやばいといわれる由縁だからでしょう。
今も浮かばれない霊たちに遭遇してしまうかもしれません。
生きたまま埋められた年寄りや女子供の霊のうめき声や、十字につるされ、火炙りにされた霊の叫び声を今宵聞いてしまうかもしれません。
しかしここで、そんな大きな戦や惨劇があったとはとても思えないほど、日中の今は静寂な時を刻んでいます。
ですから供養のためにも見学しに来るならば、ぜひぜひ観光に訪れた際は、島原城キリシタン史料館や有馬キリシタン遺産記念館を拝観されてから、当時の戦の勇ましさとむごさの歴史を感じながら周ってみたいものです。
24時間営業
☎0957736706
〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町
原城がやばい!天草四郎は実在したイケメンだった!天草四郎ゆかりの地を観光しよう!
天草四郎ゆかりの地を観光巡り 島原城
1624年に築城された独立式式層塔型5重5階で、松倉重政(まつくらしげまさ)氏の断行によって築城されました。
約17間(33m)もある立派な天守閣でした。
城郭も周囲に約3900mの堀があり、櫓や門が60塔を超えるほどある城は見事でも、4万3千石の所領でみると、過ぎたる城という言葉が相応しいものだったことはいうまでもありません。
そのことで、肥前国衆に重い年貢を課せ、庶民は飢饉(ききん)に陥ることとなる発端ともなりました。
ここより「島原の乱」へも歴史が歩んでいった、元凶といっても過言はないでしょう。
島原の乱終結後に島原城の城主の松倉重政氏は、一揆の責任を問われて幕府の命で切腹ではなく、異例の斬首とされたことが、死んでいった者たちのせめてもの供養だったのかもしれません。
この壮大な現天守は、明治にはいると廃城令により取り壊されてしまい、一時は島原中学(現:島原高校)などの学校が立ち並び、本丸の付近は田畑となっていました。
しかし昭和30年頃より、島原城再建の機運が高まり、昭和35年に庶民の念願かない西櫓が再建され、昭和39年に島原城キリシタン史料館として、島原城天守閣が復興天守RC造で再建されました。
往時は今の復興天守より幾分高かったといわれています。
最上階には廻縁高欄を戸板で囲った「唐造り」のようになっていたことも再現されています。
私的にはこう記すると反感があるかもしれませんが、当時のままの形でない模擬天守は少し興味が半減される気持ちで、どちらかというと当時の形がそのままのこり移築された御馬見所(有形文化財指定)のほうが、歴史的な興味を持ちます。
しかしながらこれほどまでに大きな島原城復興天守は、やはり目の前にすれば圧巻であり、既存の高石垣にそびえ立つ姿は相反する気持ちで、天守があることに見学に来れば気分は良くなってしまいます。
城内はキリシタン史料館になっていますので、学校の授業では教えてもらえなかった部分の歴史を知れる場になっていることが、たくさんの方たちの来城につながっていると思います。
その後丑寅櫓(うしとらやぐら)や長塀も復元されました。
イベント時期には白く塗り固められた漆喰壁と、水堀に浮かぶ蓮の花が良く映えます。
平成8年には、雲仙普賢岳の噴火の災害を伝える「観光復興記念館」も開館されています。
日本100名城にも選定され、長崎県指定史跡にも指定されています。
さらに令和3年には、「長崎県指定史跡島原城跡保存活用計画」を策定されました。
長崎県指定史跡島原城跡保存活用計画とは、島原城跡の史跡としての保存管理するため、史跡の整備と体制などについての基本的方法や方針を定めたものです。
またその島原城キリシタン史料館は、キリシタンを弾圧した歴史の時代の紹介や、郷土や庶民の当時のくらしなどが記されていて、明治から大正,昭和にかけての暮らしも展示されています。
その島原城跡公園には、手を合わせる天草四郎像が立てられて、今も平和の安寧を祈っています。
営業時間:9:30~17:30
天守閣拝観料:大人550円 小中高校生280円(別途天守閣・観光復興記念館・西望記念館の三館共通記念館料:大人700円 小中高校生350円)
「イベント 島原城 夜の陣(2025年3.29まで)」:島原城天守閣のライトアップや夜景と夜の城内が楽しめる企画が開催中!
島原城 夜の陣拝観時間:18:30~21:00(開催日は公式サイトやお電話でご確認ください)
イベント料金:大人1000円 小中高校生600円
*18:00~21:30に限りイベント時の島原城専用駐車場は無料
☎0957624766
〒855-0036 長崎県島原市城内1丁目1183−1
天草四郎ゆかりの地を観光巡り 島原武家屋敷通り
島原城跡の近くには、当時の武家屋敷が修復を繰り返し維持されてきた、唐ぶき屋根が印象の篠塚邸や山本邸に島田邸を見ることができます。
そして通りの真ん中に今も湧き水が流れる武家屋敷街水路や水天宮のそばの山本邸の隣には、池泉庭園の休憩所があります。
そこには、島原武家水車が島原工業高校の生徒さんにより制作されたものが見れます。
ぜひ無料で公開されていますので、3つの現存する武家屋敷にお立ち寄りし、文化に触れていきたいものです。
営業時間:9:00~17:00
☎0957631087
〒855-0052 長崎県島原市下の丁
天草四郎ゆかりの地を観光巡り 有馬キリシタン遺産記念館
南島原市にある有馬キリシタン遺産記念館は、歴史的重要なキリシタンの明暗時期をつづった史料館ともいえます。
ルイス・フロイスから育まれたキリスト教祖の歴史に触れています。
その戦国期に豊臣秀吉(とよとみひでよし)公に所領を与えられた、キリシタン大名として小西行長(こにしゆきなが)氏も存在していた時期に、この肥前国南蛮貿易を盛んにした国を繁栄させていました。
貿易の友好条件は、キリスト教の布教だったといわれます。
しかし関ケ原の戦い後に徳川時代になると、有馬氏は日向延岡藩(ひゅうがのべおかはん:現宮崎県延岡市)に移討となり、板倉豊後重昌氏が肥後国に配置され、キリスト信者は疎外を受けていくことになります。
その2種のキリスト教の陰と陽の合間った歴史を伝える資料館になっています。
ここを拝観してから、ぜひ史跡指定の原城跡へも足も向けてもらいたいと思います。
入館料:大人300円 高校生200円 小中学生150円
営業時間:9:00~18:00(木曜定休)
☎0957853217
〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町乙1395
天草四郎は実在したイケメンだった!天草四郎ゆかりの原城跡や島原城跡周辺で食べ歩きのランチ!
天草四郎ゆかりの原城跡や島原城跡周辺で食べ歩きのランチ!割烹 城
お祝い事や寮会会席などにもご利用できる食事処で、お座敷に個室テーブルやカウンター席が1階には設けられていて、お2階は宴会場座席約100名可(円卓いす席最大50名)の店内になっています。
みなんま定食A(1100円)、みなんま定食B(1650円)は、ひょっつる,南蛮コロッケやお味噌汁,ごはんなどが付きます。
原城定食(2200円)も貝雑煮とあらかぶの煮付けや刺身も付く豪華ランチもあり、美味しさにもそうですし、満足のいくランチに酔いしれていって下さい。
原宿の宿 城もじゃらんなどにも掲載がされているお宿もあるので、ルートインしていくのも乙じゃない!
営業時間:11:00~14:00 17:00~21:00
☎0957852101(ご予約要)
〒859-2414 長崎県南島原市南有馬町丁170
天草四郎ゆかりの原城跡や島原城跡周辺で食べ歩きのランチ!炭火焼肉屋さかい 原城店
ここは焼肉専門店さかいはランチタイムではなく、ディナータイムですが、ボリュウム一杯のお手軽な、人気焼肉盛り(牛ヒレ・ハラミ・中落カルビ1628円)や定番4種盛り(牛ヒレ・ロース・ハラミ・アンデス高原四元豚2068円)がおすすめ。
その他にも2000円コースで、ごはんやキムチにサラダも付いたお肉セットもあります。
もうお肉もビールの手も止まりません!
営業時間:17:00~23:00
☎0957852989
〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町1004−7
天草四郎ゆかりの原城跡や島原城跡周辺で食べ歩きのランチ!はる乃
有明海を眺めながらお食事ができるだけでも贅沢です。
メニュー豊富で、手ごろな松浦アジフライ定食(御飯,汁物,香の物,デザート付:1000円)や宝寿豚とんかつ定食(1100円)でランチにちょうどいい量の定食です。
その他に、真砂御膳(具箱煮・お刺身・天ぷら・小鉢・茶碗蒸し・御飯・汁物・香の物:1980円)や原城御膳(1540円)のしっかり御膳もあります。
お席も56席に堀りごたつ席のご用意もあります。
営業時間:11:30~13:30(土日曜は14時まで営業)
☎0957853155
〒859-2414 長崎県南島原市南有馬町133 内 原城温泉 真砂 施設
天草四郎ゆかりの原城跡や島原城跡周辺で食べ歩きのランチ元祖 具雑煮 姫松屋 本店
鍋焼うどんや天ぷら定食が定評のあるこの姫松屋は、さしみ定食(1570円)やエビフライ定食(1330円)などももちろんあります。
清潔感ある和風な店内には、お土産にもいいテイクアウトコーナーもあり、郷土料理のお店ならではの品が並んでいます。
会席料理されているので、具雑煮定食には懐石料理風にしたためられていて、島原の乱のときの兵糧に天草四郎の命で貯えさせられた伝わる、山の幸,海の幸が入った料理です。
具雑煮定食は松(2500円)と竹(2000円),梅(1450円)とあります。
営業時間:11:00~19:00
☎0957637272
〒855-0036 長崎県島原市城内1丁目1208−3
天草四郎ゆかりの原城跡や島原城跡へアクセス
原城跡や島原城跡へアクセス 新下関駅~原城跡~島原城(公共交通機関)
*フライト便で東京羽田空港~長崎空港まで片道約2時間の直行便で行くことも可能です。
〇JR新下関駅~JR博多駅(山陽新幹線)
・JR博多駅~JR熊本駅(九州新幹線)
・JR熊本駅から徒歩約6分にて熊本駅前~熊本港フェリーのりば前(九州産交バス)
・熊本港~島原港(熊本フェリー株式会社)
・島原港駅前~原城前(島原鉄道株式会社:バス)で原城跡に到着〔総時間 約4時間40分〕
・原城前~文化会館(島原鉄道株式会社:バス)~東堀端通りを3分ほど徒歩で島原城跡公園へ到着〔約1時間20分〕
原城跡や島原城跡へアクセス 新下関駅~原城跡~島原城(マイカー)
〇新下関駅より県道34号線(下関長門線)に入る~国道2号線~県道57号~下関料金所より関門自動車道に入る
・下関料金所~壇之浦パーキングエリア~関門橋~和布刈トンネル~大久保トンネル~山中トンネル~九州縦貫自動車道~門司トンネル~吉志PA~北九州JCT~福智山トンネル~金剛山トンネル~鞍手PA~古賀SA~古賀インターチェンジ~須恵PA~基山PA~烏栖JCT~九州横断自動車道~山浦PA~長崎自動車道~金立SA~嘉瀬川橋~小城PA~小城トンネル~多久西PA~馬神トンネル~杵島トンネル~潮見トンネル~川登SA~うれしのトンネル~不動山トンネル~俵坂トンネル~彼杵川橋~大村湾PA~木場PA~日岳トンネル~諫早料金所~国道207号線~県道125号線~諫早南バイパス線~貝津トンネル~平山貝津トンネル~栗面平山トンネル~川床小川トンネル~長野IC過ぎて右折~県道55号~有喜本諫早停車場線~国道251号線へ左折~県道30号へ右折~小浜北有馬線~30号・国道389号線へ右折~Y字路県道30号側へ~T字路を雲仙グリーンロード側へ右折~1kmほど行ったところで左折して有馬キリシタン遺産記念館がある方へ向かう~T字路国道251号線へ右折~300mほどでY字路斜め左~道なりに1kmほど進むとT字路を左折してほどなく到着(約275km)
・国道251号へY字路より入る~有明海沿いをひたすら道なりに進む~右に島原駅の信号を左折~七万坂~東堀端通りT字路右折してすぐ(約28km)
*お出かけの際、ETCカードの差し忘れがないことをご確認ください
原城跡や島原城跡付近の駐車場
〇原城跡駐車場(無料駐車可)
24時間営業(駐車スペース:全車13台 普通車8台 バス4台 障害者用1台)
☎0957736633
〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町乙
〇原城温泉真砂駐車場(無料駐車可)
24時間営業(駐車スペース:全車74台 普通車73台 障害者用1台)
☎0957736633
〒859-2412 長崎県南島原市南有馬町乙
〇島原城駐車場
営業時間:9:00~17:30
全約90台収容
駐車料金:普通車500円 小型バス750円 大型バス1500円
〒855-0036 長崎県島原市城内1丁目1183
〇大手車場(島原城跡 無料駐車場)
市役所来庁者専用駐車場(駐車スペース:乗用車約6台)
☎0957630233
〒855-0045 長崎県島原市上の町538−11
原城がやばい!天草四郎は実在したイケメンだった!あとがき
私の中では伝説というか神話の存在の人物で、変な例えですが別人で歴史的ヒーローの源義経(みなもとのよしつね)氏のように映っていました。
それは風のように歴史に現れて、若き頃で満開の間もなく散っていってしまう、そんな戦場のみで輝いた儚い人生が、両者似ているように感じていました。
実際天草四郎という人物を今回題材にして、全く似ているところと似ていない人生だったのだと、自分の中では理解できました。
そこはさておいて、長崎といえば今回のブログでは伝えきれなかった観光名所の雲仙天草国立公園や鉄道好きにはたまらない、有明海を望む島原鉄道の旅もできますので、ぜひよい観光にお役に立てていただければと思います。
今回も最後まで私のブログにお立ち寄りいただきありがとうございました。
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