川崎市の城跡へ城めぐり!幻の江戸城や小沢城、枡形城へ城めぐりに行こう

城というと皆さんは、石垣があって天守閣、本丸、二の丸といった建物があり櫓(やぐら)や水堀、大手門などしっかりと建造物があり、周りには城下町のような風景が広がる。

あの「大阪城」や「姫路城」あるいは「松本城」や「熊本城」のようにしっかりとした石垣があり、天守閣がそびえ立つのが城。

そんなイメージをもたれるのかなと思います。

しかし、現在では色々発掘調査なども進み、新興住宅開発化する際は歴史の遺構があるところは、地域の方々やボランティアの方たちの活動で、歴史を少しでも守ろうというひたむきな活動があります。

そんなひたむきな活動のおかげで、川崎市にある城跡には、石垣や天守跡は無くとも堀や土塁、曲輪(くるわ)や井戸跡などが残る城跡があります。

そのほかには、残念ながら歴史資料としてはあるにも、ほとんどの遺構は現在の道路が整備されて地中に埋まってしまい、その名残だけが城跡として語り継がれている城もあります。

そんな川崎市の城跡をご紹介していきます。

ぜひ最後までお立ち寄りして読んでいただければ嬉しいです。


川崎市の城跡へ城めぐり! 小沢城址(歴史が上塗りされた城跡)

まずは、1530年6月に戦国時代の言わずと知れた武将、北条氏康(ほうじょううじやす)氏の初陣(ういじん)の舞台になった小沢原の戦い(おざわがはらのたたかい)で武蔵国に支配力を持っていた上杉朝興(うえすぎともおき)氏をここから迎え撃ち落としたことが歴史にも残っている「小沢城」がありました。

また小沢城は遡(さかのぼ)ると、鎌倉時代に源頼朝(みなもとのよりとも)公を仕えた稲毛三郎重成(いなげさぶろうしげなり)氏という重臣がおり、その子が小沢小太郎(おざわこたろう)という。

その小沢小太郎氏の居城にここがなっていたことが始まりと伝わります。

その後室町時代には、足利尊氏(あしかがたかうじ)公と弟足利直義(あしかがなおよし)氏の兄弟同士の政権争いにも小沢城址は歴史の舞台にでてきます。

ここに立て籠(こも)った直義軍が攻め落とされて鎌倉へ幽閉されることとなった場所です。

こういったいくつかの歴史が上塗りされているのが小沢城址です。

城郭は山城で曲輪、土塁、空堀、井戸跡、物見やぐら跡などの遺構が見ることが出来ます。

現在小沢城址特別緑地保全地区に指定されており、ハイキングコースにもなっており、市民の方たちの支援により遺構が残されています。

近くには穴沢天神社があり三沢川が流れウォーキングコースにもなっています。

よみうりランドも近くにありアクセスしやすい場所にあります。

専用駐車場はありませんので、京王相模原線の京王よみうりランド駅の近くにある京王コインパークになると思います。

最大当日駐車なら¥500-です。

小沢城址:川崎市多摩区菅仙谷1-4

川崎市の城跡へ城めぐり! 時代を超えた壮大な遺産

川崎市の城升形城址(生田緑地内)

二つ目は小沢城址と同じく多摩区にある城跡で「升形城址」です。

歴史によると、ここも鎌倉幕府の御家人の稲毛三郎重成氏が居城としたのが始まりと伝わります。

戦国時代は後北条氏の支配下となっていったのでした。

室町時代の1504年に山内上杉(やまのうちうえすぎ)氏の討伐を狙う伊勢宗端(いせそうずい)氏:のちの北条早雲(ほうじょうそううん)が扇谷上杉(おおぎがやつうえすぎ)氏の援軍として布陣した場所と伝えられています。

現在は生田緑地の敷地のなかにある升形山に構えられた城跡で、「日本民家園」や「岡本太郎美術館」の他に「かわさき宙(そら)と緑の科学館」もあり、お子様連れの家族で賑わっている場所にもなっています。

私も小学生の頃はよくプラネタリウムと、日本民家園に親に連れて行ってもらってことを覚えていますが、枡形山城があったことを知ったのは、小学校5,6年になった頃でしたかね。

今のように道や城跡は舗装されていなく、七曲のような雑草が茂った道を探検隊気分で、友人らとワクワクしながら登っていくと、その頂きのうっそうとした場所にひっそりと石碑があったのを覚えています。

現在では、桜の時期にはさらに生田緑地には500本近いソメイヨシノやヤマザクラが咲き乱れ、それはたくさんの人で賑わう憩いの場所です。

升形山入口より緩やかな坂道を登っていくと、本丸跡の曲輪内は公園となっており物見やぐらのように展望台があり市民の憩いの場となっております。

城跡というよりは陣屋跡(じんやあと)のような形で現在は公園となっていて、日中はたくさんの家族ずれやご年配夫婦の方や、学校帰りの子達が散策や憩いに集まりにぎわっています。

向ヶ丘遊園駅側の搦手門(からめてもん)を歩いていくとアップロード散歩道になっており、生田長者横穴墓群があり、城跡以外でも楽しめる所になっています。

駐車場は生田緑地東口と西口に三井のリパーク駐車場があります。

桝形山展望台:川崎市多摩区枡形6-26

川崎市の城 菅寺尾城跡

紹介した小沢城址と升形城址の繋ぎの城として「菅寺尾城」がありました

今はほとんどの遺構は、寺尾団地の建設など近代化に伴い消失されてしまっています。

室町時代から戦国時代にかけて寺尾若狭守の居城と伝わります。

曲輪、空堀がかすかに見られ菅馬場谷特別緑地が館跡を偲ばせています。

また寺尾団地内には、平安時代(9世紀ごろ)の頃にあった八角寺院跡の寺尾台廃堂跡が残ってます。

菅寺尾城跡:川崎市多摩区菅馬場2-30

川崎市の城 作延城跡

津田山駅の公園墓地、川崎市立緑が丘霊園内にひっそりと「作延城跡」の石碑と案内板が残ります。

遺構は完全に消滅して、居城の名残だけが語り継がれています。

鎌倉時代に現在の町田市の小山田一族であった稲毛三郎重成氏が築いた居城があったと伝わります。

現在は壮大な緑が丘霊園のほんの一部の遺構の案内となっていますが、桜の時期にストリートはソメイヨシノで彩られ散歩にもよい場所になります。

ちなみに藤子・F・不二雄さんや故・沖田浩之さんの墓所があります。

作延城跡:川崎市高津区下作延5-10-25

川崎市の城 亀井城跡(月読神社)

起源は、源義経(みなもとのよしつね)氏四天王の一人の亀井六郎重清(かめいろくろうしげきよ)氏の居城と伝わります。

戦国には後北条時代には布施蔵人佑(ふせくらんどのすけ)氏の所領だったとされますが、「小田原衆所領役帳(おだわらしゅうしょりょうやくちょう)」にその名が記されているようです。

月読神社(つきよみじんじゃ)が建立されているあたりが土塁などが残るのみ。

亀井城跡:川崎市麻生区上麻生7-38-4

川崎市の城 井田城跡・矢上城跡

ここも遺構はなく居城があったとされる場所ですが、「井田城跡」として後北条氏に仕えた中田加賀守(なかたかがのかみ)の居城と伝わります。

中田氏は小机衆として井田城のほか、「矢上城」(横浜市港北区日吉 慶応義塾大学日吉キャンパス内)や保土ヶ谷区川島の地を所領していましたが、1590年の小田原城討伐の時に最期まで抗い、一族見事に討ち死にしたと伝わります。

もうひとつ井田城の主郭あったとされる場所には、現在神奈川県立中原養護学校が建っており遺構は全く残ってません。

中原養護学校の横敷地に神庭緑地に縄文時代中期、弥生時代後期、古墳時代の住居あとが185軒こえる蟹ヶ谷古墳群の跡が発掘されています。

こちらの古墳群を井田城の土塁や曲輪跡と間違ってしまいがちですが、歴史資料では残念ながら中原養護学校が建っている場所に井田城はあったと伝わります。

しかしながら、城を構えるのに水害などを受けにくい高台に建てるのは、古の時代からの習わしでもあるようです。

食糧事情にもたけた地を選んだのでしょう。

その近くに中田氏も居城を構えるのは必然だったのでは?と考えられます。

井田城跡:川崎市高津区蟹ヶ谷3-13ー1

川崎市の城 有馬城山跡

現在そこの丘陵の地に有馬神明神社が鎮座しています。

創建は不明ですが残された記筆からは1823年以前とされているようですが、その周辺には戦国時代に「有馬城山」があったと伝わります。

有馬城山は後北条氏の家臣で御馬廻衆だった窪田又五郎(くぼたまたごろう)氏の居城跡があったようですが、現在は住宅化に伴い残念ながら遺構は全く無く、その城の名残が宮前区観光ガイドの看板があるのみ。

自宅からも自転車で5~6分のところの場所で、残念ながらお亡くなりになられた西城秀樹さんのマイホームがこの近くにあります。

有馬城跡:川崎市宮前区有馬5-12

川崎市の城 河崎氏館跡(稲毛神社)

川崎駅のそばにある稲毛神社境内には、川崎の由来になる「河崎氏館」があったとされます。

城主は平安時代後期で桓武平氏秩父氏の一族の河崎基家(かわさきもといえ)氏です。

当時居館は荘園を開かれていたようです。

その居館の周囲を堀でめぐらせました。

館を堀でめぐらせた跡を今の時代に伝える造作が現地にされて残ります。

かつてはここから第一国道に沿って小堤をともなった小川が流れていましたが、このあたりの地名を「堀之内」と言うことからも、それは堀の遺構ではなかったかと言われています。

居城があったことを地元の方々の活動で、かろうじてゆかりを残されています。

河崎氏館跡:川崎市川崎区宮本町7-7

川崎市の城 丸子城跡(日枝神社)

中原区上丸子に現在日枝神社があります。

ここは1476年に起きた長尾景春の乱(ながおかげはるのらん)に始まる関東の争乱の中で太田道灌(おおたどうかん)氏に平塚城や石神井城など拠点を攻略された武蔵の名門の豊島泰経(としまやすつね)氏が小机城に向かう途中で陣を敷いたとされる城です。

丸子陣屋」ともいわれています。

丸子山王日枝神社は平安時代809年に滋賀県大津市坂本日吉大社の御分霊を奉じ、この丸子の地に宮造りして御鎮座遊ばされたのが起点です。

すでに豊島氏の残党が陣を敷いた時にはすでに神社はあったとされますが、その後小机城にも立て籠もった豊島氏は太田道灌氏の激しい攻防を繰り出され、とうとう滅亡にいたったのだといい伝わります。

丸子城跡:川崎市中原区上丸子山王町1-1555

別途小机城のブログも投稿しておりますので、ご興味あればみて下さい。

https://osirogadaisuki.com/kodukuejyouhasenngoku-842


太田道灌伝説のある幻に終わった江戸城より前の川崎の城跡

川崎市の城 加瀬山城跡(夢見ヶ崎公園)

最後に川崎市というと誰もが小耳にしたことがあると思われます。

太田道灌(おおたどうかん)氏のあの伝説のお話。

関東平定のため、多摩川と鶴見川にはさまれた交通に利便のあるこの加瀬山に城を築こうと考えます。

試しに陣を敷いたところ、夜の夢の中で一羽の鷲が現れ兜(かぶと)を持ち去る夢をみたという。

これを不吉と考えた道灌氏はこの加瀬山に城を建てるのはやめたと伝承される「夢見ヶ崎公園(ゆめみがさきこうえん)」です。

ここは鎌倉時代に北条時房(ほうじょうときふさ)公に従い山城国相楽郡加瀬からこの地に移った、加瀬左近資親(かせさこんすけちか)氏が大倉村といわれていたこの山に居城を築城しています。

加瀬山城」が築城される前の4世紀後半に築かれた白山(はくさん)古墳があります。

現在でわかっているだけでも11基もの古墳や古墳と考えられている塚が築かれています。

現在では近隣は近代化され、加瀬山は夢見ヶ崎公園として生まれ変わり動物園や公園があり、市民の憩いの場となっています。

追伸、この夢見ヶ崎公園の太田道灌の夢伝説の続き

太田道灌公の兜を奪い去る鷲は南の方に飛んでいき、途中で兜を落としたそうです。その地に太田道灌公は兜を埋めたという兜塚の碑があります。(横浜市鶴見区師岡町)

またさらに太田道灌公は再度この地に訪れ、現在も夢見ヶ崎公園にてこの地を護る天照皇大神祈ったのです。

そうすると、その夜の夢にタンチョウヅルが江戸(東京都皇居)があるところで舞っている夢を見ます。

そこに城を建てよという神のお告げと考えた太田道灌公は、今の東京都大手町に城を築城したのだと。

そしてその後、戦国時代の終焉に関白秀吉(かんぱくひでよし)公が徳川家康(とくがわいえやす)氏へ三河から武蔵の領土替えを命じ、開拓をあきらめずに進め、その後征夷大将軍となった徳川家康公によって、太田道灌氏が築城した江戸城跡地に江戸幕府が始められ、現在に至るのでした。

加瀬城跡:川崎市幸区南加瀬1-2

川崎の城跡 小沢城跡,枡形城址へアクセス

*お出かけの際、ETCカードの差し忘れがないことをご確認ください

東京駅 to 枡形城跡

川崎市の城跡へ城めぐり! あとがき

今や川崎市の城跡の遺構はほとんど無くなってしまっています。

かろうじて城跡の伝説が語り継がれ、歴史を残そうとする人々のロマンがある地域です。

現在の川崎駅周辺は駅前開発が目覚ましく発展が進み、駅ビル、地下街も昭和のカラーから見事に川崎アゼリアや川崎チネチッタ、ラゾーナ川崎などショッピングモールが建設されていますが、そんな近代化の中にも歴史を忘れないよう語り継がれている事は感じ入ります。

進んで見に行こうとするほどの城跡ではありませんが、通りかかりにぜひ散歩やサイクリングがてら寄ってみてほしいと思います。

川崎市の城跡近くのお店紹介 おまけ

城散策で近くに寄ったら寄ってみては。
女の子の大きいサイズのかわいい靴が見つかる靴屋で、逆に23.5cmからある男性用もあるこの店は「靴のヒカリ 川崎本店」。

営業時間:9:00~19:00

☎0442115755

川崎市川崎区小川町7-4 アービラ川崎1F

ランチメニューとディナーに最適なフレンチのお店です。

クレープリーダリマ」は本格ガレッドや本日のシェフのおまかせオードブルが人気です。

営業時間:11:30~15:00 17:30~22:00(日曜は21時まで;月曜定休)

☎0448528770

川崎市宮前区有馬1-1-25セブンショップ内

完全予約制の日本料理屋で、スノーボードの遊び場の施設もある施設そばに「春夏秋冬川崎店・日本料理 津田山茶寮」があります。

川崎市子ども夢パークがすぐ近くにあります。

時間帯駐車場も目の前にあって安心して食事ができます。

営業時間:9:00~21:30

☎0448131173

神奈川県川崎市高津区下作延5ー28ー1


コメント

タイトルとURLをコピーしました