大分県臼杵市(うすきし)には、歴史ある町並みと海に近い大友宗麟(おおともそうりん)氏の大友宗麟のゆかり地であります。
この大分県臼杵市で、大友宗麟という人は何をした人物なのでしょう?
まずは天然の要害(てんねんのようがい)というのにふさわしい、その大友宗麟氏が築いた戦国の城が臼杵にありました。
そこはかつて、豊後国(ぶんごのくに)の丹生島(にうじま)という海を隔てた島に築かれた海城でした。
東,南,北を海に囲まれた断崖で、西側が干潮(かんちょう)時に現れる干潟(ひがた)の陸地が現れて、臼杵の陸とつながるという神秘的な造りのお城だったという。
その大友宗麟が描き造られたゆかりの、大分県臼杵市の歴史ある城下町をランチの食べ歩きのグルメに観光などに参考にして頂く内容をお届けします。
ぜひ最後までこのブログにお立会いしていただけたらと思いますのでよろしくお願いします。
大友宗麟は大分県臼杵市で何をした人か?臼杵城跡の城下町や周辺をぶら歩きの観光
大友宗麟は大分県臼杵市で何をした人か?臼杵城の歴史【海に囲まれる天然の要害だった臼杵城】
1480年頃に臼杵に居城を、豊後国16代当主の大友政親(おおともまさちか)氏が置いていたこともあり、1562年に大友宗麟氏もこの臼杵の丹生島に、天然の要害の海城を築城することから臼杵城の歴史が始まります。
冒頭でも触れましたが、丹生島という島ひとつを城郭となし、周りは海に囲まれていて西側の浅瀬のところが潮が引いたときに干潟となり、ようやく臼杵の地より普通に行き来できる島でした。
その島の周辺は断崖絶壁で、天然の要害な丹生島に築かれた城を、臼杵城は丹生島城とも呼ばれていました。
その島の護りの要には、複合式望楼型3層の見事な天守がありました。
面白いのは、キリシタン大名だった大友宗麟氏の築城した臼杵城内の鬼門には、卯寅稲荷神社(うとのいなりじんじゃ)がありますが、城内にはキリシタンの礼拝堂も設けられていたようです(築城当時はまだキリシタンではなかったという説ありますが、この和洋折衷は面白い)
城下町も整備されて武家屋敷が敷かれ、ポルトガル宣教師ルイス・フロイスに習い、いくつかのキリスト教施設も造られていました。
しかし領地を争う島津氏が侵攻してくると宗麟氏は、豊臣秀吉(とよとみひでよし)公に謁見(えっけん)し、その配下になることで援軍の約束をこじつけます。
その最中1586年に「丹生島城の戦い(にうじまのたたかい)」が起こり、島津軍は城下を焼き払い、臼杵城と対峙(たいじ)しました。
籠城(ろうじょう)の構えの臼杵城は、この時ポルトガルより入手したフランキ砲(大砲)で島津軍を脅かし、さらに軍勢では有利でも海城の天然の要害を攻めあぐねて、島津軍はとうとう撤退を余儀なくされました。
ですがこの戦の影響で、臼杵城下はほとんどが焼け野原になってしまったといわれています。
その翌年1587年に秀吉軍にて九州平定が行われ、豊臣秀長(とよとみひでなが)氏や宇喜多秀家(うきたひでいえ)氏,毛利輝元(もうりてるもと)氏ら総勢約10万が入り、ようやく九州は平定されました。
しかし大友宗麟氏は、秀吉軍の九州平定最中のもうすぐ完結が見える頃に、58歳で病死してしまいました。
その後を嫡男の大友義統(おおともよしむね)氏が家督を継ぎました。
そして所領安堵された豊後国ですが、その後におこる朝鮮出兵の平壌城の戦い(ピョンヤンじょうのたたかい)で、小西行長(こにしゆきなが)軍が討たれ敗退したとの家臣の誤報に、守備を離れ自分らの軍を撤退させるという失態を犯してしまいます。
よって秀吉公の逆鱗にもふれ、死も免れない失態で、大友義統氏は剃髪して債を待つこととなります。
その際は、石田三成(いしだみつなり)氏の執り成しもあり、秀吉公より改易を申し渡されました。
その後臼杵城は、石田三成氏の妹婿の福田直高(ふくだなおたか)氏が3年勤め、慶長2年に太田一吉(おおたかずよし)氏が入ります。
そこで臼杵城の修復や城下の復興を行い、現在残る臼杵の基盤を造っていきました。
しかし1600年の関ケ原の戦い(せきがはらのたたかい)で西軍の石田三成軍が破れ、東軍の徳川家康(とくがわいえやす)時代になっていき、武功を上げた稲葉貞通(いなばさだみち)氏が5万石で入城とあいなります。
そして城内を修築し、城郭の今残る形にさせました。
この後徳川幕府期を15代まで護り、明治維新を迎えました。
明治6年には、西南戦争で薩摩軍に占領される場面もありましたが、新政府軍より援軍の部隊や軍艦3隻が送られたことによって、再度奪還(だっかん)をするという出来事が歴史に残ります。
そして廃城令(はいじょうれい)が敷かれると、この臼杵城も無用の長物(むようのちょうぶつ)となり、ほとんどの建物は石垣を残し取り壊されていきました。
しかしここが残念なのですが、明治20年にはさらに臼杵城の周囲の海が埋め立てられてしまい、遺構としての海城の景観は完全に失われてしまいました。
明治の頃は、今は名城と謳(うた)われる城も、その当時はただの長物であり、歴史的な価値観はほとんどない時代だったのが悔やまれます。
現在は臼杵公園として無料で開口されています。
今は陸地にある臼杵城跡ですが訪れた折には、海城だったことをぜひ想像しながら散策してみて下さい。
24時間開口
☎0972631111
〒875-0041 大分県臼杵市臼杵丹生島
大友宗麟は大分県臼杵市で何をした人か?臼杵市を観光に臼杵公園を巡ろう
さて24時間開口されている臼杵城跡(臼杵公園)を巡っていきましょう。
遠目からも見える土塀に古橋口と鐙坂(あぶみざか)の石垣の上に見える時鐘櫓跡です。
高石垣が雄大で、ワクワクしてきて早く中に入りたくなります。
鐙坂を登っていくと城の意表をを醸し出す天保年間に再建されている畳櫓(たたみやぐら)、そして平成12年に再建された二ノ丸大門櫓(だいもんやぐら)をくぐると二ノ丸跡が広がります。
その先には、臼杵護国神社の境内に西ノ丸居館庭園跡の枯山水がわずかに見られます。
当時の江戸期の武家の優雅さを偲びます。
本丸跡の方へ進むと天守台跡の石垣があり、その周りに大きな空堀が広がります。
戦もなくなった江戸期には、本丸や二ノ丸の登城口に使われていたといわれています。
嘉永年間に再建されて現存する、卯寅口門脇櫓(うとのくちもんわきやぐら)から望む臼杵の町の景観が、城跡公園から風を感じながら見るのがなかなか乙です。
大友宗麟氏が臼杵城築城した頃からある、卯寅稲荷神社も参拝していきたいですね。
朱色のお稲荷さんに鳥居が並んでいてきれいですよ。
桜の季節には「臼杵城址桜まつり」も開催され、日中は出店がたくさん並び、夜の18時から21時にはライトアップがされ、見学するのには持って来いの時期です。
臼杵公園をまわったら、次は城下町へ足を運んでいきましょう。
大友宗麟は大分県臼杵市で何をした人か?臼杵城の城下町をめぐる 二王座歴史の道
ちょっとした坂道や切通に建てられた建物などが、今も昭和やもっと前の明治を偲ばせる景観を残しているこの通りを”二王座歴史の道”と呼び、国の都市景観100選に選ばれている場所です。
旧真光寺は静かな休憩所に今はなっています。
2階からの景観がいいとの口コミもあり、のぞくとそこはノスタルジックな景色が見え、大林宣彦監督の映画のワンシーンが思い起こされるかのようです。
中は和式の建物に、ぼんぼりが内部を照らしていて風情がありますね。
また石垣が積まれた対面には、直良信夫(なおらのぶお)顕彰記念館もあり、元は直良信夫氏の生家が資料館になっています。
日本の原人の骨を発見した、いわゆる考古学を勤しんで歴史に名を遺した人物でありました。
そしてこの通りは寺が多く残り、見星寺や法音寺に蓮乗寺,善法寺,善正寺といくつかの寺院があり、静かに時を見守られているかのようです。
他にも周辺を歩いてみると金毘羅水(こんぴらすい)という、岩盤を削って井戸水として利用されていた井戸場の史跡や、稲葉家土蔵そして、”う好きのモニュメント”なんかもあります。
ランチや食べ歩きにぶらぶらしながら、二王座歴史の石畳の道の景観を周ってみるのも乙ですよ。
大友宗麟は大分県臼杵市で何をした人か?臼杵城の城下町をめぐる 臼杵市歴史資料館
市内の学生の方は入場料無料で大友宗麟氏の詳しい歴史が知れる歴史資料館とは脱帽です。
一般は大人330円 学生160円で拝観できます。
ここには臼杵城の古地図や古写真もあり、往時海城を偲ぶ資料があります。
ギャラリートークなども定期的に行われ、「絵図ウォーク」にて臼杵公園を応募の方と周って歩く会が行われています。
また古の縄文時代や弥生時代の土器や民のくらしぶりなどの資料から始まります。
そして室町時代から戦国の世になり、大友家が治める豊後やキリシタン大名の大友宗麟氏時期のコーナがあります。
臼杵藩の武士と庶民の記録など江戸期の頃の庶民の暮らしぶりなども伺うことができます。
営業時間:9:30~17:30(火曜定休)
☎0972622882
〒875-0052 大分県臼杵市市浜808−1
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵市を観光にグルメ!臼杵城跡の城下町の八町大路周辺を食べ歩きぶら歩き
ちょっと一服して、ランチといきましょう!
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵市を観光にグルメ!みかくと木もれ陽
大分県臼杵市の大友宗麟氏のゆかりの八町大路周辺をグルメしていきましょう。
まずは”みかくと木もれ陽”を紹介していきます。
外人さんが好む、「えぶばり、侍、寿司、芸者 びゅりほう フジヤマ HA HA HA♪」そしててんぷら~がある店です。
臼杵のアジ定食(1400円)やみかく御膳(1680円)にまんぷく天ぷら定食(1100円)などランチから満喫できるメニューぞろいです。
営業時間:12:00~15:00 17:00~22:00
☎0972623018
〒875-0041 大分県臼杵市臼杵畳屋町8
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵市を観光にグルメ!リーフデカフェ
喫茶のリーフデカフェは、バーガーファンをうならせる、リーフデバーガー(930円)やてりまよバーガー(980円)にフグバーガー(1050円),ライスバーガー(980円)などランチタイムの用意があり。
トッピングも新鮮なトマト,レタス,たまご,自家製ベーコン,自家製パティなどがあります。
他にもフライドポテト(550円),チキンナゲット(600円)などや、ガバライス(1200円)にキーマカレー(1280円)などなどランチセットドリンクがお得の200円でプラスできます。
営業時間:11:00~18:00(木曜定休)
☎0972775045
〒875-0041 大分県臼杵市臼杵210−3 サーラデうすき内
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵市を観光にグルメ!お好み焼 満月
お好み焼きには定番のエビ,イカ,ブタやミックスの関西風と広島風がそれぞれ選べます。
おすすめはやはりエビ,イカ,ブタ,タコが入った、関西風デラックス(1100円)と、エビ,イカ,ブタの広島風デラックス(1200円)です。
なかなかのボリュームで、残してしまいそうな量ですが、こらがペロッと食べられてしまうのが不思議です。
営業時間:11:00~14:00 17:00~22:00(火曜定休)
☎0972630013
〒875-0041 大分県臼杵市畳屋町 5組
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵市を観光にグルメ!ポルト蔵
シンプルですが、日本で初めて牛肉を食したのが大友宗麟氏という説の南蛮牛めし(880円)に黄飯で食べるハヤシライス(770円)と蔵の野菜カレー(770円)がメニューであります。
今やきらすまめしが食文化として、売りにするこの店は、日名子実三(ひなこじつぞう)という日本サッカー協会のシンボルマークをデザインした人の畳屋町出身を出した、聖地になります。
心して食していってほしいところです。
営業時間:11:00~15:00 18:00~翌0:00
☎0972636511
〒875-0041 大分県臼杵市片町206−2
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵市を観光にグルメ!臼杵みなと市場
海鮮料理店でお土産にかきやほだてにふぐ,海鮮のりなどに大分焼酎も購入できるコーナーもあります。
なにはともあれランチにいけば、海鮮のいい香りがしてきまして、豪勢に豊後牛ステーキ御前(2980円)あれ?海鮮丼じゃない。
これは置いといて、ふぐ南蛮御膳(1850円):小鉢・ふぐ南蛮・茶碗蒸し・味噌汁・白ごはんに漬物付きです。
みなと御膳(2300円):天ぷら・刺盛り・替鉢・茶碗蒸し・味噌汁・白ごはんに漬物付きも捨てがたいです。
少しお手頃な海鮮丼定番のしらす丼(1100円)や臼杵ふぐ天丼(1150円などもありますから、ぜひぜひたくさんのメニューから、厳選して味わってきてください。
営業時間:10:30~15:00
☎0972835660
〒875-0041 大分県臼杵市臼杵72−9
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵市を観光にグルメ!鳥料理 ゆふ
美味しく価格も良心的と、高評価な口コミもある”鳥料理 ゆふ”は、外はおだやかでも店内は活気に満ちていて、色々食べないともったいない気分になります。
なんせ鳥好きさんにはたまらないメニューで、とり天定食やカツ鍋定食(950円)にチキン南蛮定食,ポンカラ定食(950円)などがランチにおすすめ。
他にはゆふ焼単品(1000円)やゆふ定食(1480円)にゆふ定食上(1600円)もありますが、ここはゆふコース(3000円)、鳥のフルコース(3300円)に手を伸ばしたくなるにぎやかなお店です。
営業時間:11:30~14:00 17:00~21:00(火曜定休)
☎0972635393
〒875-0041 大分県臼杵市唐人町573
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵市を観光にグルメ!Cafe デリカッテ
ずっと変わらない価格の300円で頂けるデリカッテブレンドコーヒーをお供に、北京ダックのランチ(2000円)やラムチョップ香草焼(2000円)にポークペッパーステーキ(1500円)やイカスミパスタ(1200円)などなど。
古民家をリノベーションしてオープンさせている店の雰囲気は、なかなかの趣ある風貌です。
ランチとお店の雰囲気も感じに、お立ち寄りしてみてほしいお店です。
営業時間:11:00~15:00(金土日月曜営業)
☎09063469293
〒875-0043 大分県臼杵市二王座131
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵市を観光にグルメ!スズムギmarket
気さくに入れる喫茶レストランなのに、外は古民家風な現在の造りで、でも中に入ると隠れ家的ないいお店といいたい雰囲気をだしています。
そのメニューは、SLOWランチプレートには創作料理のような、色艶やかに盛り付けられたプレートとサラダ、スープ、ドリンク付きにハンバーグプレート,パスタランチ,コトコトランチ(1430円)があります。
多いメニューではないですが、そこにこの店の味と手の入れようが、詰め込まれたランチが用意されています。
営業時間:11:30~16:00(土日は17時まで営業;火曜定休)
☎0972638282
〒875-0041 大分県臼杵市臼杵210−3
大友宗麟は大分県臼杵市で何をした人か?臼杵城へアクセス
臼杵城跡(臼杵公園)へアクセス
*東京からだと羽田空港より大分空港までひっと飛びも可能です(フライト時間:約1時間40分)
〇公共交通機関(電車)
・JR新山口駅~JR小倉駅(東海道・山陽新幹線)
・JR小倉駅~JR別府駅(JR九州 ソニック・にちりん)
・JR別府駅~JR臼杵駅(JR九州 日豊本線)~徒歩{約4時間}
〇マイカー
・新山口駅から小郡下郷を抜けて国道9号線へ入るに中国自動車道の小郡インターへ向かう
・小郡料金所(中国自動車道)~四十八瀬川橋~美東SA~美祢東JCT~伊佐PA~玉司PA~関門自動車道~壇ノ浦パーキングエリア~関門橋~めかりPA~和布刈トンネル~九州縦貫自動車道~吉志PA~北九州JCT~東九州自動車道~長野トンネル~朽網トンネル~苅田北九州空港IC~光国トンネル~南原トンネル~高城山トンネル~今川PA~今川かっぱ大橋~中津インターチェンジ~中津トンネル~今仁トンネル~赤尾第一トンネル~赤尾第二トンネル~赤尾第三トンネル~香下トンネル~久木野尾川橋~日出JCT(九州横断自動車道)~乙原トンネル~向ヶ平トンネル~鳥越トンネル~挟間トンネル~大分光吉料金所~大分松岡PA~九六位トンネル~臼杵インターで下車
・ジョイフル臼杵インター店右に国道502号線右折~中須賀橋東交差点右折~県道33号線そのまま進むとすぐに臼杵公園に到着(約230km)
*お出かけの際、ETCカードの差し忘れがないことをご確認ください
臼杵城跡(臼杵公園)周辺の駐車場
〇臼杵市総合公園駐車場
家族と子供の憩いの場の駐車場です。
全長36mをほこるローラー滑り台や芝生広場やスポーツ施設がのある公園です。
その公園の駐車場は駐車スペース374台の駐車場で、第一~第三駐車場があり
〒875-0011 大分県臼杵市諏訪
〇市営下屋敷前駐車場
料金:19:00~翌9:00無料 9:00~19:00(30分まで無料;60分以降は100円/30分毎50円)
収容台数:42台 障害者専用2台
〇市営畳屋町駐車場
営業時間:24時間営業(収容台数:15台)
19:00~翌9:00無料 9:00~19:00(30分まで無料;60分以降は100円/30分毎50円)
☎0975008880
〒875-0041 大分県臼杵市臼杵字 畳屋町375
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵城周辺を観光
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵城周辺を観光 臼杵石仏(臼杵磨崖仏)
平安後期から鎌倉時代にかけて臼杵石仏(臼杵摩崖仏:うすきまがいぶつ)の彫刻が彫られたとされています。
この石造を造った人物として、蓮城法師が創建したといわれてますが、いつ何の目的で造られたのかは謎に包まれています。
ホキ石仏第一群にホキ石仏第二群とがあり、その奥には日吉神社のそばにも山王山石仏もあります。
61基の石仏があり、訪れると厳粛な面持ちになります。
平成7年臼杵摩崖仏として国宝に指定されています。
入場料:大人550円 小中学生270円
営業時間:9:00~17:00(無料駐車場あり)
☎0972653300
〒875-0064 大分県臼杵市深田804−1
また近場で臼杵石仏蓮畑があり、見頃は7月ですが、5月から9月ころまで蓮の花を見ることができます。
大友宗麟ゆかりの大分県の臼杵城周辺を観光 掻懐キリシタン墓(県指定史跡)
大友宗麟氏の時代には、この場所に学校が建てられていたと伝わる掻懐の切支丹墓(かきだきのきりしたんはか)は大分県指定文化財としてひっそり残ります。
江戸時代には、キリシタン弾圧があり、ここに隠れキリシタンが集っていたといわれています。
今やひっそりと2基のキリシタン墓が史跡として残ります。
ここにも大友宗麟ゆかりの場があり、マイカーなら臼杵石仏からも近いので寄ってみてほしい場所です。
〒875-0073 大分県臼杵市掻懐
*他にも九州の歴史観光や食べ歩きに参考にして頂きたい、ブログを投稿していますので、後でよろしければ読んで下さい。
*飫肥城下町編
*太宰府天満宮編
大友宗麟は大分県臼杵市で何をした人か?臼杵城跡の城下町や周辺をランチもしながらぶら歩き!あとがき
10代の頃に受験勉強でよくラジオを聞いていましたが、パーソナリティーを務めていたさだまさしさんの”文化放送 セイ!ヤング”をリスナーの一人して聴いていました。
そんなさだまさしさんは節々に長崎出身ですので、長崎ちゃんぽんのことや九州の長崎の魚は、東京で食べる魚よりずっと美味い!と話していたことを覚えています。
その海の実りから九州というと島津義久(しまづよしひさ)氏に龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)氏,そして大友宗麟氏らなどが、戦国の九州をしょっていたのですね。
九州の歴史も深堀していくと面白いですね。
飛行機で飛んでいくのもいいですが、ロードバイクでコツコツと東海道を何日かかけて下り、広島尾道を通っていき、瀬戸大橋や関門海峡をゆっくり観光して肥後街道に!
そんな道楽を夢見てこれからもあくせく働き、少しの余裕が出来たら臼杵城跡にもまた行きたいと思います。
そしてぜひ大友宗麟ゆかりの今後の臼杵城の更なる発掘と再建がされ、当時の城に近づいてくれることを期待していきます。
今回も最後まで私のブログにお立会いして頂きありがとうございました。
コメント