武田信玄氏の歴史ドラマには2007年度にNHK大河ドラマで放送されました「風林火山(ふうりんかざん)」があります。
キャストも主人公の山本勘助(やまもとかんすけ)役に内野聖陽さんが勤めました。
そして武田信玄(たけだしんげん)役に2代目市川亀治郎さんと父親ながらに因果関係にある武田信虎(たけだのぶとら)役に仲代達也さん、親戚関係の今川義元(いまがわよしもと)役に谷原章介さん、竹馬の友となる真田幸隆(さなだゆきたか)役に佐々木蔵之介さん、武田信玄公最大の宿敵上杉謙信(うえすぎけんしん)役にGAKUTさんが起用されています。
まだまだたくさんの出演者がおられまして、NHK大河ドラマを飾る顔ぶれのドラマでした。
他にも武田信玄公を題材としたドラマや映画もたくさんありますが、私の印象に残って何度もDVDを見返して楽しめるストーリーで描かれている、この風林火山をチョイスして「海ノ口城(うんのくちじょう)」を紹介します。
今回も私のブログにぜひ最後までお立ち寄りください。
武田信玄の初陣の海ノ口城は武田晴信の初陣の城
信濃国の山城海ノ口城
さて海ノ口城はマイナーな城という感じがしますが、城主平賀源心(ひらがげんしん)氏が護っていた城になります。
築城時期は不明ですが戦国時代の山城になります。
1536年に甲斐の武田信虎氏の信濃国の攻略による進行が始まり、この時交通の要所の拠点にあった海ノ口城が標的なります。
甲斐の虎の動きを察した浪人だった山本勘助氏は、先に海ノ口城に入り平賀源心氏に取り込み城の周りを固める助言をします。
城の建物の壁や柵に泥を塗り固めさせ警護にします。
これは火矢が飛んできても、燃えないようする対策であった。
実はこの時、山本勘助氏はまだ武田氏に与しておらず、いわば敵であり、信虎氏に想い人のミツを殺された復讐に強い思いをもって、信虎氏をこの手で討たんと海ノ口に身を通じていました。
その時海ノ口城へ使いとして差し向けさせた、小県(ちいさがた)の真田幸隆(さなだゆきたか)氏や相木市兵衛(あいきいちべえ)氏と山本勘助氏は出会い、今後の生涯を共に辿る運命になります。
武田軍の攻めに落ちない海ノ口城
海ノ口城を約8000の兵で攻める武田信虎氏の中には、この時まだ16歳で初陣の武田晴信(たけだはるのぶ)氏(のちの信玄)が板垣信方(いたがきのぶかた)氏が身廻りとしてついて出陣に加わっています。
このマイナーな海ノ口城が耳にされたことのあるエピソードが、これにあります。
そして海ノ口の山城を武田勢は囲み兵を攻めたてますが、泥を塗り固めた壁に矢をうち放つもすぐに火は消えてしまい火矢は役に立たない。
柵も立て護りの士気も高い平賀源心氏らが籠城する海ノ口城は、11月から12月の冬季もあり攻めあぐねる武田勢を寄せ付けません。
さらに水の手を抑えるべく、武田軍の教来石景政(きょうらいしかげまさ)氏らが横穴を堀り、すなわち井戸の水を抜く策をすすめるも、それを予見し見抜く山本勘助氏は、水かめを地面に所々に置き、その振動で横穴を掘り出している場所を見つけ、武田軍に逆に一泡吹かせ蹴散らせます。
そして海ノ口城攻めを始めて36日と伝わりますが、約2000の兵が籠城した海ノ口城は持ちこたえ冬の到来の雪が降り始め、武田軍は一時兵を引かざるえなくなりました。
武田信玄の初陣の海ノ口城は武田信玄氏の奇策の殿で初陣を飾る
勝どきに酒宴に酔いしれた海ノ口城
兵を引き揚げる際、武田晴信氏の奇策で殿(しんがり)を晴信氏は父信虎氏に申し出ます。
あきれながらも信虎氏は追い打ちがあるはずの無い、海ノ口城の殿を承諾しました。
朝から引きあげが始まりほとんどの武田勢が陣を引きはらい、後詰(ごづめ)の武田晴信氏らも海ノ口城を後にします。
それを山上から見ていた城主平賀源心氏や軍勢は声高らかに勝どきをあげ、早々に兵たちを領地に帰還させてしまいます。
山本勘助氏は追い打ちをかけるよう進言しますが、平賀源心氏は疲弊(ひへい)した兵を気づかい受け入れません。
そして残った兵達で勝どきの酒宴をふるまい、勝ち戦に酔いしれます。
その中山本勘助氏は、海ノ口城より下の景色を細目で監視していた。
いつ来るやもしれない武田軍が気になります。
武田晴信氏、奇策の夜襲!海ノ口
海ノ口城から幾分離れたあたりで、約300の兵を晴信氏はひととき休ませ、体を温める程度に酒をふるまい、これから海ノ口城へ引き返し夜襲をかけることを伝えます。
武田晴信氏の兵はたった300でも士気はあがり、丑の刻に山を攻め登り、酔いつぶれた海ノ口城に残る兵は奇襲に対応できず一気に押され、海ノ口城主平賀源心氏もあえなく討ち取られ、首をあげられてしまいました。
晴信氏は武士の情けで下る兵や女、子供らは討ち取らず生かさせました。
また平賀源心氏の胴塚が平沢の大門峠の峰に川原という所があって、そこに平賀源心の胴塚があり眠っています。
そして源心氏の首は甲州の若神子村(山梨県北巨摩郡須玉町若神子)に首塚として祀ってあります。
甲斐に首実検で持ち帰ったが、戦の功績を父信虎氏に認めてもらえず、その後晴信氏は源心氏の弔いにここに供養したと伝わります。
海ノ口城:長野県南佐久郡南牧村海ノ口
平賀源心胴塚:長野県南佐久郡南牧村平沢 八ヶ岳スケッチライン
平賀源心の墓: 山梨県北杜市須玉町若神子
それらは、今も時が止まったかのようにひっそりと史跡として残ります。
海ノ口城主、平賀源心氏の愛娘の運命
ここでひとつの悲劇の伝説は、平賀源心氏の娘であった美瑠姫(みるひめ)は数奇な運命をたどります。
海ノ口攻めで父平賀源心氏を戦で失い、母もその時夫を追い自害してしまいます。
この後美瑠姫は、嫁ぎ先の志賀城で武田晴信氏の信濃国佐久の攻略の戦にまたしてもあってしまいます。
その時小山田信有(おやまだのぶあり)氏の目に留まり美瑠姫は側室とさせられました。
最期は小山田信有氏に付いて暮らしていましたが、生まれて間もない幼子が先に亡くなってしまいます。
そしてある日乱心し信有氏の寝首をかき、自分も自ら首を刺切り壮絶に自害して果てたとされてます。
こうした海ノ口城のエピソードは、悲劇的な歴史を残す城のひとつとして語り継がれています。
海ノ口城 アクセス
●公共交通機関(電車)
・JR上田駅~JR佐久平駅(北陸新幹線) 佐久平駅~海尻駅(小梅線)*あるいは次の駅佐久海ノ口駅で下車。
・JR軽井沢駅~JR佐久平駅(北陸新幹線) 佐久平駅~海尻駅(小梅線)*あるいは次の駅佐久海ノ口駅で下車。
そこから徒歩になり141号線と千曲川に沿って歩いていく。案内看板あり。
●マイカー
中部横断自動車道の八千穂高原Ⅰ.C下車。141号線を千曲川に沿って進む。
海の口釣り堀や有坂モータース付近で横道から千曲川を渡る先から登城口があり。
*この海ノ口城跡は1260mの山城で駐車場まで結構な凸凹道です。
武田信玄ゆかりの海ノ口城跡の場所 あとがき
この海ノ口城の戦はNHK大河ドラマ「風林火山」の第8話の「奇襲!海ノ口」で放映されていた内容で、戦国武将らの激しい生きざまや山本勘助氏や武田晴信(武田信玄)氏の立ち位置のようなものが印象に残った回でした。
その海ノ口城跡はJR小梅線と千曲川が交差する山あいで国道141号の清里ラインが通る、佐久海ノ口駅のそばにあります。
駅周辺はこじんまりとしていて無人駅になっているようです。
駅のほど近くには和泉館という旅館があり温泉之碑がたち、その先に海ノ口温泉源泉が垂れ流しで温泉をたたえている。
古来この八ヶ岳は水蒸気爆発が起こって、千曲川が土砂でせき止められいくつかの湖沼が出来て、小さい海は「小海」、大きい海は「海ノ口」,「海尻」と地名が残されたといわれてます。
大きな山城ではなく陣城の構えのような城郭で、現在その遺構は堀切と海ノ口城碑の前には海ノ口城を無言で語る屏風岩があり戦国ロマンを偲ばせています。
今回もこのブログにお立ち寄りしていただきありがとうございました。
武田信玄ゆかりの海ノ口城周辺のお店紹介 おまけ
山林道が続く佐久海ノ口で店はそれほど多くはなく、おなかが空いたらコンビニではなくここに行ってみたらどうでしょう。
@洋食が主流のレストラン「ストローハット」で味噌カツ定食はいかが?
南佐久郡南牧村大字海ノ口1087-2
@そば、うどんの食事処で山菜てんぷらがいい。
お店の名前の「あららぎ」定番のあららぎ定食は小出しでもりか、かけを選んで、小鉢にミニ天丼、サラダ、デザートがついてくる定食です。
牛もつ煮込み定食などもあり、意外とお客さんもコンスタンスに入ってくるお店ですよ。
長野県南佐久郡南牧村海ノ口2127−5
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