東京都といえば、政治の中心でここに国会議事堂があり政(まつりごと)が行われている地です。
そして大企業や商業、レジャーを西の大阪と二分する大都市です。
その大都市東京が江戸といわれていた昔、まだ江戸は沼地の湿地帯でした。
そこには江戸村といわれていた場所にたくさんの居城がありました。
その東京都のこんな場所に城跡の歴史スポットがあったんだと、再発見してもらえるよう城跡めぐりのご紹介をしていきます。
最後までこのブログにお立ち寄りくださいませ。
東京都の城跡がある歴史スポットはこんな所にあるって知ってましたか⁉
電気もなく、土を運ぶブルトーザーやショベルカーなどもなく、人力により土を掘り、石垣を積んだ城跡や土を盛って造られた知る人ぞ知っている城跡が残る東京都の城跡の紹介です。
東京都の城跡 お江戸日本橋、玉すだれの江戸城(皇居)
現在日本の中心地東京都を今の礎を造ったのはやはり徳川家康(とくがわいえやす)公でしょう。
関ヶ原の戦いで天下統一を成し遂げ征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任じられ「江戸幕府」をおこし、天下普請(てんかぶしん)によって各地域の大名を動かし、江戸に壮大な石垣をめぐらした江戸城が造られました。
そして江戸幕府による法度をつくって、平穏で戦のない時代の基盤をつくりました。
そのひと昔前に江戸に居城を構えた太田道灌(おおたどうかん)氏が、この地を決めたことに始まりもあったのでしょう。
しかし徳川家康氏は、戦国時代に小田原討伐も完了した際、関白秀吉(かんぱくひでよし)公に国替えを命じられ、江戸を拠点とされてもこつこつ国造りをしていったのでした。
そこに「江戸城」は大手町、現在の東京都の基盤となります。
江戸城を今の地に築くにあたり、江戸城を中心に四神相応の考えを元に四方結界を張りました。
1.北の守護する上野の寛永寺
2. 東北(鬼門)を守護する神田明神
3.南に守護する増上寺
4.西南(裏鬼門)を守護する日枝神社
この4つの神社仏閣をを柱にした都市計画は、思想や宗教面でも大きく関与していきます。
東海道五十三次が日本橋を起点にして、京への人々のレジャー(旅行)や商人の流通のために宿場や関所を配置することで、安心して旅に出ることができ、お金の流通に対しても循環がよくなるよう配慮されていました。
現在は江戸城は城址となり、明治天皇が東京(江戸)にお入りになってから今に至って、天皇陛下のお住まいとなりました。
江戸城の城郭は近代化に伴い縮小し、大名屋敷も取り払われましたが、日本の行政中心部は変わらず、国会議事堂、最高裁判所、警視庁、国土交通省、法務省、経済産業省が配置されています。
商業ビル、企業、オフィス、商店街、地下街などあらゆる分野の施設が整い、首都高速も皇居を中心に内回り、外回りと通され交通、流通に配慮されています。
1964年に開催された東京オリンピックによって戦後復興は終結し、東京はさらに高度経済成長をの新しい日本の政治、経済の中心として大発展をしました。
東京都千代田区千代田1-1
東京都の城跡がある歴史スポット 渋谷城(金王八幡宮)
東京駅にも近い渋谷は、若者の街でSHIBUYA109やMIYASHITA PARKや渋谷ヒカリエなど商業ビルも多く、平日でも人の巡回が多い街です。
私も学生時期には憧れの渋谷だったこともあり、公園通りにあったチェーン店の喫茶店でアルバイトをしていました。
しかしこんな東京の都会に城跡なんかあったかな~?
その渋谷駅そばの宮益坂には大きな鳥居が目印になる、1092年に創建された古刹の「金王八幡宮」が建立されています。
かつて後三年の役において、源義家(みなもとのよしいえ)氏に従い先陣を務めた渋谷平三重家(しぶやへいぞうしげいえ)氏の居城あり、その子の金王丸の名声により金王八幡宮の名がついたと伝わります。
戦国時代の1524年に「高縄原(たかなわはら)の戦い」で北条氏綱(ほうじょううじつな)氏による武蔵国侵攻の際、江戸城から出立した扇谷上杉朝興(おうぎがやつうえすぎともおき)氏の軍勢がこれを高縄原へ迎え撃ち、激戦を広げ、やがて膠着状態となりました。
これを討破せんとした北条氏綱氏は別働隊を編成して、渋谷方面の攻撃を命じた。
この別働隊の追撃に上杉軍は劣勢となり、江戸城へ退却しました。
その時渋谷城(渋谷砦)は落城し、そのまま渋谷城は廃城となり、国人としての渋谷氏も滅亡してしまいました。
今は渋谷城の名残は、砦の石がひっそりと金王八幡宮の横にあるのみ。
東
京都渋谷区渋谷3ー5ー12
東京都の城跡がある歴史スポットは知る人ぞ知るこんな場所にあり
東京都の城跡がある歴史スポット 御殿山城・筑土城
ここは東京都の城跡というものの、ほとんどの遺構は消滅してしまってますが伝承は残る城跡です。
神楽坂には「御殿山城跡」と、その目と鼻の先に筑土八幡町に「筑土城跡」と二つの城跡があります。
御殿山城は太田道灌(おおたどうかん)氏の別館と伝わりますが、全くの遺構は残らず説明柱があります。
目と鼻の先の筑土城は現在「筑土八幡神社」が建立されていますが、風景は城があったという名残は残っている。
小高い地に神社はあり、腰曲輪(こしぐるわ)があった場所に神社が建立されたように見えます。
戦国時代に関東管領の上杉時氏(うえすぎときうじ)氏が築いた居城が、筑土八幡神社の一帯がそうであった伝わります。
東京都新宿区筑土八幡町2 御殿坂
東京都の城跡がある歴史スポット 筑土城 御殿山城
またそこからほど近い新宿区袋町には、関東官領上杉氏とともに上野国(群馬県)から来た豪族、牛込氏(大胡氏)の居城があり、現在光照寺の境内に案内板が残ります。
北区赤羽西に1456年頃、今の江戸城ではなく「旧江戸城」と記しますが、その江戸城と埼玉県「岩槻城(いわつきじょう)」を結ぶ城として、「筑土城(つくどじょう)」があったといわれています。
今は筑土八幡神社が鎮座しています。
東京都新宿区筑土八幡町2−1
そこから目と鼻の先に太田道灌氏が別館として築城した「御殿山城」があったこともいい伝わります。
全く遺構は残っておらず、伝承が残り、江戸時代に徳川家光公が鷹狩りに訪れていたので、御殿坂の案内はあります。
東京都新宿区筑土八幡町2 御殿坂
東京都の城跡がある歴史スポット 稲付城
この稲付(いねつけ)城は赤羽台地の高台に位置して、JR赤羽駅からすぐの「静勝寺」の境内に城跡として一部遺構として急な崖や空堀があり面影を残しています。
太田道灌氏が砦としてここにも城を築き、孫の資高(すけたか)氏そして子の康資(やすすけ)氏と受け継がれていく居城だったようです。
東京都北区赤羽西1ー21ー17
東京都の城跡がある歴史スポット 志村城
板橋区志村には元々熊野神社が建立されていた場所に、志村氏の居城と伝承が残る「志村城」のわずかに遺構も残っています。
土塁と堀が見られますが、本丸があった場所にはマンションが建設されて遺構は消滅しました。
ここにも豊島氏と太田道灌氏の戦の地となったことが、今も語り継がれています。
東京都板橋区志村2ー16ー33
東京都の城跡がある歴史スポット 本郷城
東京大学といえば加賀藩上屋敷の東京大学赤門は有名ですが、そのひと昔前の加賀藩主が出来る前は太田康資(おおたやすすけ)氏による戦国時代に「本郷城」があったという伝承があります。
また江戸時代後期に「南総里見八犬伝」の著者の滝沢馬琴(たきざわばきん)氏が豊島氏の城だったと語られている。
どちらの方も確たる証拠はないのですが、本郷城は「加賀藩邸跡地」の以前にあったとする昔話は赤門と共にいい継がれていくのでしょう。
東京都文京区本郷7ー3
東京都の城跡がある歴史スポット 赤塚城
板橋区赤塚には後北条氏の有力家臣であった赤塚城は、千葉自胤(ちばよりたね)氏からの武蔵千葉氏の居城があり、現在は都立赤塚公園として整備され、広場、梅林、桜並木などがある憩いの場になっています。
中世の平山城ですが、実際には砦と呼ぶべき規模の物であったらしい。
本丸は武蔵野台地北東端の段丘の上に築かれており、城の北側は徳丸ヶ原と呼ばれる湿地帯でした。
ため池は赤塚城の内堀だったとされますが、周囲の開墾が進んだ明治以降は農業用水として使用され、今日では釣りの楽しめる池として親しまれています。
現在は小高い丘に本丸跡の「赤塚城址」があり、ふもとに板橋区立赤塚溜池公園、板橋区立郷土資料館、板橋区立美術館が隣接します。
徒歩数分圏内には東京大仏で知られる赤塚山乗蓮寺(二の丸跡)や板橋区立赤塚植物園があります。
東京都板橋区赤塚5ー35ー25
東京都の城跡がある歴史スポット 平塚城
名門豊島氏の居城がJR京浜東北線の上中里駅にある「平塚神社」。
ここはかつて「石神井城」の支城であった「平塚城」があったと伝わります。
石神井城を太田道灌氏に攻めたたられ、この平塚城に立て籠もるも撃ち落され落城したという。
遺構は残っておらず、城があったといういい伝えが残り案内板がたてられています。
東京都北区西ケ原2ー1ー8
東京都の城跡がある歴史スポット 滝野川城
北区滝野川にも滝野川氏が築いた「滝野川城」があり、豊島氏4代目が所領しておりました。
1477年に関東平定において「石神井城」も含め、この滝野川城も滝野川氏と豊島氏で太田道灌氏の攻めに応戦するも敗れて、やがて滅亡したと伝わります。
現在は金剛寺境内となっており、残念ながら遺構は特に残っていません。
案内板によりここは源頼朝(みなもとのよりとも)公が布陣した「松橋」だったといわれています。
東京都北区滝野川3ー88ー17
東京都の城跡がある歴史スポット 板橋城
現在の板橋区東山町の板橋区立上板橋小学校と小高い一帯には「板橋城」があり豊島氏の一族の板橋氏の居城がありました。
ここも関東平定にのり出した太田道灌氏の攻めに屈し落城したと伝わります。
小学校内に板橋城址の碑が建てられており歴史が語り継がれます。
東京都板橋区東山町48
*別件ですが、板橋には徳川幕末ゆかりで、あの新撰組組長の近藤勇(こんどういさみ)氏が流山にて捕らえられこの滝野川が終焉の地となり、JR板橋駅東口に程近い場所に苦楽を共にした永倉新八(ながくらじんぱち)氏が慰霊碑をつくり、その手前に墓が残ります。
東京都の城跡がある歴史スポット 練馬城・練馬山城
練馬区には「としまえん」遊園地がかつてあり、そこは「練馬城」が豊島氏の居城であり、その近くの「練馬山城」は豊島氏の出城もありました。
ともに近代化の時代の動きにかなわず、遺構はほとんど消滅していて練馬城はとしまえんから「ワーナーブラザーススタジオツアー東京-メイキング・オブ ハリー・ポッター」に変っていきます。
現在城跡のところに練馬城址公園として開園されています。(*専用駐車場はありません)
東京都練馬区向山3ー25
東京都の城跡がある歴史スポット 石神井城(石神井公園)
太田道灌氏は平塚城ではなく先に練馬城から攻め、落城させた次は石神井城が標的となります。
その”名門豊島氏”の本城の「石神井城(しゃくじいじょう)」が練馬区石神井台にあります。
築城は鎌倉時代後期に石神井川流域に勢力を張った豊島氏によってなされますが、「長尾景春(ながおかげはる)の乱」にて太田道灌氏攻められ石神井城は落城した。
現在は石神井公園となり、石碑や一部遺構として土塁、堀が残ります。
城郭は当時は膨大で約3万坪あったと伝わります。
落城を覚悟した豊島泰経(としまやすつね)氏は、豊島家の家宝「金の乗鞍」を白馬に置き、この馬で崖に登ります。
そして道灌の兵の目の前で馬と共に崖を飛び降り、三宝寺池に身を投げ命を絶ちました。
父の死を悲しんだ照姫は、父の後を追い三宝寺池に身を投じ命を落とした。
そんな石神井公園内の三宝寺池に身を投げた「照姫伝説」があり歴史の憂いが語り継がれています。
時の流れに変貌をとげて公園として残る石神井公園・石神井城址には毎日たくさんの人々で賑わう憩いの場とされていて、私もサイクリングで時より寄っては元気をもらえる場所です。
東京都練馬区石神井台1ー26ー1 都立石神井公園
東京都の城跡は東急沿線の世田谷にもあるんです
東京都の城跡がある歴史スポット 世田谷城
世田谷区豪徳寺には吉良氏が室町時代に所領された地であり、そこに「世田谷城」があります。
今は埋め立てられてしまってますが、鳥山川がその時代には流れていて、天然の要害(ようがい)をなした場所に構えていました。
現在世田谷城址公園として整備されて、土塁や堀切、曲輪が一部残っています。
深夜番組テレ朝の「タモリ倶楽部」でも、2014年4月11日に放映されて、本丸があったであろうといわれる、現在立ち入り禁止場所の豪徳寺の鳥居側より許可をもらい拝見するシーンなどあり、城好きメンバーにとってはたまらない放送だった事を覚えています。
その豪徳寺には井伊家代々の墓所があり、「安政の大獄」で江戸幕府の大老となっていた井伊直弼家掃部守(いいなおすけかもんのかみ)が幕府に抵抗する族(やから)を捕らえて、処罰をするなどして反発がおこり、「桜田門外の変(さくらだもんがいのへん)」により暗殺された井伊直弼(いいなおすけ)氏の墓もその中にあって静かに眠ります。
東京都世田谷区豪徳寺2ー14ー39
豪徳寺から目と鼻の所に源義家(みなもとのよしいえ)氏が1091年に奥州からの帰途、この世田谷の地の寄り、戦勝を感謝して創建されたと伝わる「世田谷八幡宮」もあり歴史にふれられる散歩の人が多くみられます。
東京都の城跡がある歴史スポット 奥沢城
また吉良氏の城は世田谷区奥沢の九品仏(くほんぶつ)駅にある「九品仏浄心寺」の境内に今は変貌した「奥沢城」がありました。
ほとんどは1590年の豊臣秀吉公の大軍による小田原城討伐で後北条軍に与していた奥沢城主も敗れ、そののち廃城となったこの地を1675年(寛文5年)に当地の名主七左衛門が寺地としてもらい受け、1678年(延宝6年)に珂碩上人(かせきしょうにん)が同地に浄真寺を開山しました。
城跡であった名残がそのおかげで今に偲ばれている。
東京都世田谷区奥沢7ー41ー3 浄真寺
今から400年以上も昔、世田谷城主・吉良頼康(きらよりやす)氏には奥沢城主・大平出羽守の娘で常盤(ときわ)という美しい側室がいました。
常盤姫は頼康の愛を一身に集めていましたが、それをねたましく思った側妾たちは、つくり話によって頼康につげ口をしました。
度重なるつげ口から頼康もそれを本気にして常盤姫に冷たくあたるようになりました。
愛情を疑われ、悲しみにくれた姫は死を決意し、幼い頃からかわいがっていた白さぎの足に遺書を結びつけ自分の育った奥沢城へ向けて放しました。
白さぎは奥沢城の近くで狩をしていた頼康の目にとまり、矢で射落とされてしまいました。
白さぎの足に結んであった遺書を見て初めて常盤姫の無実を知りいそいで世田谷城に帰りましたが、すでに姫は息をひきとっていました。
その時、白さぎの血のあとから、一本の草が生え、サギに似た白いかれんな花を咲かせました。
これがサギソウと呼ばれるようになったのです。(サギソウ伝説 世田谷資料より)
東京都の城跡で東急沿線の等々力付近の城跡は伝承が多い場所
東京都の城跡がある歴史スポット 兎々呂城
玉川署のさらに奥に都立園芸高校がありその門の所に「兎々呂城(とどろきじょう)」の小さな石碑が設置されています。
それ以外にこの一帯がかつて城跡であったと伝えるものは何もないのですが、この「兎々呂城」は「城」を「キ」と読み「トドロキ」と読んだのではないかという説があるようです。
それが現在の「等々力」という地名になったという説もあるようです。(東京新宿発 日本城巡り紀行 MARO参上より)
また等々力には目を疑うほど東京23区とは思えない自然豊かな「等々力渓谷」があります。
「都会のオアシス」とも呼ばれて、都内にいることを忘れてしまう世界観がある場所です。
「等々力不動尊」の門をくぐって本堂をお参りしたら、その左に下がっていく階段を進むとそこはここが東京都なの?と思う景色が広がります。
不動明王が置かれた場所の「不動の滝」とよばれる、この滝の音が轟(とどろ)くことがいいつたわり、トドロキの地名のいわれとも伝わりますが、昔の人たちの地名のつけ方には深みがあり感心されますね。
等々力渓谷の周辺には「野毛大塚古墳」をはじめとする野毛古墳群が点在しています。
渓谷の左岸崖面からも古墳時代末期のの7〜8世紀ごろに造られたとされる横穴古墳が6基以上見つかっていて、1978年(昭和48)年に発見された等々力渓谷3号横穴もそのひとつです。
また詳しい資料はなく別に「深沢城」があって兎々呂城は出城であったとも、別名深沢といわれていたともあります。
この一帯は後北条氏の配下だった南条氏が「国府台の戦い」で武功をあげた所領として配置された場と伝わりますが遺構などは残っていません。
東京都世田谷区深沢5ー33ー3
東京都の城跡がある歴史スポット 瀬田城
後北条氏配下の城、「瀬田城跡」もあります。
天文年間(1532~55年の間)に後北条氏家臣・長崎重光(ながさきしげみつ)氏により築かれました。
北西から伸びる舌状台地で三方を断崖で囲まれ、丸子川を堀とした天然の要害でした。
矢倉沢往還が多摩川を渡る「二子の渡し」を抑える要衝でもありました。
吉良氏の奥沢城や世田谷城も近く、吉良氏の援護または監視の目的があった可能性があります。
長崎重光氏は小田原にあった「行善寺」をこの地に移しました。(なぽの城跡巡りーFC2より)
*現在は瀬田城は行善寺に変わり、長崎館があった場所は、瀬田の杜Garden & Terraceというマンションになっていて当時の遺構は全く残ってなく伝承だけが伝わります。
東京都世田谷区瀬田2ー10ー6
東京都の城跡で東急沿線の品川区には鎌倉時代の豪族たちの城跡が多くあった
東京都の城跡がある歴史スポット 品川氏館
東京都品川区にある「貴船神社」の周辺だったと推定されている「品川氏館」がありました。
築城時期などは不明ですが、鎌倉幕府の御家人であった品川氏が居城にしていた地だと伝わっています。
貴船神社は平安とも飛鳥時代の建立ともいわれる古刹ですが、八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)氏も奥州へ向かう際に参拝したと伝わります。
東京都品川区西品川3ー16−37
東京都の城跡がある歴史スポット 荏原氏館
遺構などは特に残っていないが、旗岡八幡神社及び隣接する法蓮寺の一帯に居館があったとされている。
鎌倉時代に当時の領主であった、荏原左衛門義宗(えばらさえもんよしむね)氏が建立したものであると言われてます。
「荏原氏館」はそこにあり、”平忠常(たいらのたたつね)の乱”のとき、源頼信(みなもとのよりのぶ)氏が下総国(しもうさのくに)に向かう際に、陣を張った場所で、源氏の白旗を挙げたことが「旗の台(はたのだい)」の地名の由来になったと伝わります。
その後、鎌倉時代中期には荏原義宗氏がここを居城としたと伝わる。
東京都品川区旗の台3ー6ー12
東京都の城跡がある歴史スポット 池上氏館
現在「池上本門寺」のおおきな敷地面積をほこる境内の、本門寺西側の大坊本行寺付近が「池上氏館跡」であり、土塁が残っている。
今は徳川幕府の庇護(ひご)を受けて信仰が広く行われ、大堂や本殿、国の重要文化財の五重塔や宝塔、仁王門など数々の建造がされて、桜に時期にはお墓詣り以外で足を運ぶ人で賑わう憩いの場になっている。
その礎をつくった池上氏の伝承は人々のくらしに大きく貢献したのでしょう。
この池上本門寺には紀伊徳川家墓所や日蓮聖人御廟所、前田利家側室の寿福院(じゅふくいん:千代)の層塔、河上彦斎(かわかみげんさい)の墓やみなさんなじみのプロレス界の礎を創り上げた力道山墓所など数々の歴史人物がここに眠っています。
*また余談ですがこの大田区池上の近くには、南馬込があって大田区立龍子記念館 と川端龍子(かわばたりゅうし)氏の旧宅があります。
その近くに小説家であり、45歳で市ヶ谷駐屯地(現在:防衛省)を占拠して演説後に自ら割腹自殺をし、社会を震撼させたあの三島由紀夫(みしまゆきお)氏の住んでおられた洋式邸宅が、まるで時が止まってしまったかのように坂の途中に残っています。
名札も”三島由紀夫”とそのまま残されていました。
東京都の城跡がある歴史スポット 新井宿城
戦国時代に後北条氏に仕えた梶原氏の居城が、いくつか品川付近には伝承が残ります。
ひとつは品川区東大井にある「来福寺」のあたりに梶原氏館があったようです。
ここは偶然か、あるいは血筋のつながりがあるのか不明ですが、同じ梶原氏で鎌倉殿の13人のひとりの梶原景時(かじわらかげとき)氏が建立した「梶原稲荷神社」の境内には、梶原塚と呼ばれる塚が残されています。
東京都大田区に「新井宿城」も梶原氏によって築かれたと伝わる城です。
現在、「善慶寺」の裏手にある熊野神社付近に築かれていたと推定されています。
東京都大田区山王3ー43ー11
東京都の城跡がある歴史スポット 馬込城
馬込駅から徒歩で7~8分程度で湯殿公園につきます。
ここにも梶原つながりで戦国の世に梶原助五郎(かじわらすけごろう)氏の居城「馬込城」があり、場所の特定は不明ですが湯殿神社に変ってます。
隣接した湯殿公園内に石垣が残っていて時代の名残がある。
東京都大田区南馬込5ー18ー7
東京都の城跡がある歴史スポット 行方氏館
現在の大田区蒲田の円頓寺境内に行方弾正直清(なめかただんじょうなおきよ)氏の居城があった。
後北条氏の家臣で、六郷領を支配していた領主でした。
跡地には行方直清の弟が開いたと伝えられる円頓寺があり、行方弾正直清供養塔や碑があり、遺構は残っていませんが歴史を語り継がれています。
またほど近い「六郷神社」には「八幡塚砦」が築かれて、武田信玄(たけだしんげん)氏が北条氏の本拠である「小田原城」に進軍する際、行方弾正直清氏が備えた伝わります。
この六郷神社は社伝によると天喜5年(1057年)、源頼義(みなもとのよりよし)氏と八幡太郎義家の父子が、この地の大杉の梢高くに源氏の白旗をかかげて軍勢をつのり、「石清水八幡宮」に武運長久を祈願したところ軍の士気が大いに高まり、「 前九年の役」で勝利したため、凱旋後に石清水八幡宮の分霊を勧請し八幡宮を創建したとされています。
ここには幼稚園があってなごやかに時間が動いています。
東京都大田区蒲田2ー19ー5
東京下町の城跡はどこか意気で風情を感じられる
東京都の城跡がある歴史スポット 長島高城
江戸川区東葛西には旧江戸川に浮かぶ妙見島の西岸に、神社仏閣が固まっている一角があります。
かつて長島と呼ばれた地域です。
そして、その中の文亀2年(1502)開山の浄土宗寺院「清光寺」が、「長島高城」の中心部であるといわれます。
長島香取神社の境内に建つ「長島の碑」にも、この地に長島高城があったことが記されていました。
東京都江戸川区東葛西3ー3ー16 清光寺
東京都の城跡がある歴史スポット 渋江城
シンガーソングライターのさだまさしさんの「木根川橋」という曲が、オリジナルアルバムの「夢供養」の中に入ってます。
さだまさしさんがここの江戸川付近に住んでいた頃のエピソードを歌にしたものが、アルバムの曲に入っていて、私も中学生でしたが面白い歌と思って聴いていました。
🎵木根川橋から 水道道抜けた 白髭神社の縁日は アセチレンたいて あんずあめ売ってます 相も変わらず にぎやかなんでしょうね♪
そのメロディーにある渋江白髭神社は「渋江城」と伝わります。
渋江陣屋は現在の白髭神社付近と推定されますが、遺構などは残らず、解説板なども設置されていません。
東京都葛飾区東四つ木4ー36
東京都の城跡がある歴史スポット 葛西清重館(渋江陣屋)
奥州戦国大名の葛西氏の祖とされる「葛西清重(かさいきよしげ)館」があり、東側には戦国時代に使用されたとされる渋江陣屋跡とふたつの城郭伝承地が残っています。
もう一説には後北条氏の家臣・山中氏の居館があった可能性もあるようです。
根拠として「小田原衆所領役帳」に先の山中頼次(やまなかよりつぐ)氏が支配した事実があるといわれています。
里見氏が敗れた後、後北条氏の傘下に入り、そこから山中氏が譲り受けたとあります。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」でも知られる下町の西亀有には上千葉遺跡と普賢寺の案内があり、壺に入った古銭が発掘され、居城あとの可能性が高いと伝わります。
東京都葛飾区四つ木1ー25ー8
東京都の城跡がある歴史スポット 上千葉城
鎌倉時代に葛西氏ゆかりの地といわれてきましたが、戦国時代には千葉氏の所領となりこの地には「上千葉城」があったとされます。
上千葉遺跡と普賢寺の案内板が残っています。
遺構は全く残っていませんが、城跡ロマンとして語り継がれています。
東京都葛飾区堀切8ー24
東京都の城跡がある歴史スポット 葛西城(葛西城址公園)
葛飾区青戸の現在「葛西城址公園」と「御殿山公園」になっている一帯にはかつて、鎌倉時代に桓武平氏の流れをくむ葛西氏が居城を築いたという伝承があります。
その後時は流れて室町時代に関東における「享徳(きょうとく)の乱」が勃発し、この場所に新たに関東管領上杉方の城として築かれて、初代に大石氏が城主となったと伝わる。
環状7号線の建設の際の発掘調査で堀や井戸跡の遺構が見つかっています。
江戸幕府の3代徳川家光(とくがわいえみつ)公まで陣屋が設けられ、葛西御殿と呼ばれ、この辺りで鷹狩りを勤しんだといわれています。
現在は城跡公園として歴史を偲ばれていて、市民の憩いの場として親しまれています。
東京都葛飾区青戸7ー21ー7
東京都の城跡がある歴史スポット 中曽根城
室町時代の1420年頃に足立区本木に建立された中曽根神社のあたりは、内紛で15世紀にこちらの地に移り住んだ武蔵千葉氏の居城が築かれてました。
後北条氏の配下だったこの城も、1590年の北条討伐で後北条氏滅亡により廃城となったと伝わります。
その「中曽根城址」からは、長さ19.2メートル、深さ1.2メートルの見事な堀跡や、石でつくられた中世の供養塔である板碑や中世の陶器類などが見つかっています。
東武伊勢崎線の梅島駅が最寄り駅です。
東京都足立区本木2ー5−7
東京都の城跡がある歴史スポット 石浜城
浅草浅草寺にも近い隅田川沿いの場所にあった城跡は「石浜城」があったとされます。
石浜城は、室町時代のごろ、武蔵千葉氏の居城となり、戦乱の世に百年あまり続いた城である。
天正年間(1573~1591)、城主千葉胤村(ちばたねむら)氏を最後に、後北条氏滅亡の後、廃城となったといわれています。
石浜城の位置には諸説あるが、石浜神社付近は有力な推定地の一つとされる。
石浜神社は聖武天皇の時代・神亀元年(724)の創建と伝える古社で、源頼朝・千葉氏・字都宮氏らの崇敬を受けたという。
江戸時代の夏越(なごし)の祓(はらえ)(六月三十日)は、その壮麗さにおいて名高く、天保九年(1838)刊行の「東都歳時記」の挿絵に夏の風物詩として紹介されている。(荒川区教育委員会)
東京都荒川区南千住3ー28ー58
東京都の城跡がある歴史スポット あとがき
東京都にはまだまだ石垣や天守は無くとも、城跡として語り継がれる居城があったことをご案内させていただきました。
関東は鎌倉幕府に始まり、戦にあけくれた戦乱の時代に多くの居城が築かれて時代の近代化に伴い埋もれていきました。
そんなここに城があったという伝承を伝えていきたいと思っています。
また次のブログも最後までお立会いいただければうれしいです。
東京都の城跡近くのお店紹介 おまけ
とりかつ CHICKEN
TⅤで放送されて、常連さんもあまり人に知られたくないと本音がでるほどの安い価格で、おいしいとりかつが食べられるそのお店の名前は、”とりかつ”です。
皆に人気のその名も”人気定食”は破格の800円でとりかつ、ハムかつ、コロッケフライにごはんにみそ汁つきです。
定食3品も人気定食にイカフライ,カニクリームコロッケ,アジフライなどなど1品つけても950円で、1000円超えないで美味しいランチでお腹満腹です。
ここにはタモリさんが、ハムカツ好きでらいてんしたこともあるとか。
細い道を抜けて、地下に入った所にあって分かりにくいお店でも、行列のできるお店です。
営業時間:11:00~20:00(日曜定休)
☎0334610298
東京都渋谷区道玄坂2ー16ー19 都路ビル 2F
なるとキッチン 渋谷店
渋谷城跡の金王八幡宮を散策したら「なるとキッチン 渋谷店」で軽くランチもいいですし、夜は酒のつまみに鶏肉全種盛りでみんなで乾杯。
ランチには若鶏半身揚げ定食(ご飯・お味噌汁・小鉢・お新香付き):1400円(税込)や小樽ザンギ定食(サラダ・ご飯・お味噌汁・小鉢・お新香付き):1050円(税込)などなどありまして、昼も夜も寄っていいお店です。
営業時間:11:30~14:30 17:00~23:00(土、日、祝日は夜の部のみ)
☎0368051985
東京都渋谷区渋谷3-6-19
東急世田谷線の宮の坂駅の店
東急世田谷線の宮の坂駅そばの城山通りには、3店立ち寄りたいお店が並びます。
宮坂区民センターの向かいに「たこ坊 宮坂店」とラーメン屋「OLD RAMEN」そして「ギャラリーカフェAtelier T」が通りかかるとつい寄りたくなるお店です。
休日は子連れの家族で賑わう通りで、豪徳寺付近は散策によい場所です。
・たこ坊 営業時間:10:30~19:00(土曜17時まで)
☎0334203933
・OLD RAMEN 営業時間:AM3:00~9:00(月、火、水曜定休)
・ギャラリーカフェAtelier T:営業時間:12:00~18:00
お濃茶スイーツ専門店 雷一茶 お抹茶体験店
やはり浅草といえば浅草寺のそばを通ったら、花やしきのあたりの屋台でお好み焼きやら焼きそばのにおいに吊られますよね。
ちょっとおなかがいっぱいでもデザートは別腹だから「お濃茶スイーツ専門店 雷一茶 お抹茶体験店」でお試しあれ。
甘酒もありますが、抹茶甘酒やお抹茶わらびに抹茶ビールと抹茶を入れれば何でもいいとおもうなや~!
と思ったけど、味見してみるとなぜか合っていておいしいから不思議。
営業時間:10:00~18:00
☎0358111948
東京都台東区浅草2-7-3
食べ歩き 中華食堂尚ちゃん
口は悪い旦那だけど、味と心配りは天下一品で、遠くから来る人も多い。
木耳肉定食と半ラーメンや生姜焼き定食と半ラーメン(税込950円)などチャーハンを」つくるときのフライパンの動きがすごいし、食欲をそそる親父さんの動きに感服です。
たべればまた、チャーハン、ラーメンのうまさに唸るばかりでーす。
営業時間:11:30~16:00 17:00~20:00(月、火曜定休)
☎0333840729
東京都中野区本町5ー33−15 大和荘
東京スカイツリー すみだ水族館
もう一つ浅草というと東京スカイツリーですが、その中にある「すみだ水族館」も行ったら寄りたいスポットですね。
入場料金は大人:2500円 高校生:1800円 中小学生:1200円 3歳以上:800円とちょっと高めですが、ナイトコースはデートを楽しむカップルには夢のようなシチュエーションタイムが待っています。
夜のペンギンやいきものたちの展示水槽の演出にときめいちゃいますよ。
634(武蔵)の国の景色をここからながめてハッピーな気分になりましょう。
営業時間:(8:30:日、月、火曜)9:00~21:00
☎0356191821
東京都墨田区押上1-1-2東京スカイツリータウン・ソラマチ5F・6F
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