神聖なる高野山は、壮大な寺院となっており、失礼なお話しですが足に自信がない方は、高野山の奥の院は望まぬ方が無難です。
それだけ長い山道で古代に造られた石段を進み、奥の院の奥の先には禁断の地とされる神聖な高野山奥の院の暗闘の先に、約1200年前に入定(にゅうじょう)された弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)が、今も祈り続けられている禁足地は深い杉の木が生える場所になります。
その古(いにしえ)から崇拝されてきた寺院は、歴史に残る蒼々(そうそう)たる特に戦国武将たちの眠る聖地ともいっても過言でない高野山の旅をご紹介していきます。
また、高野山に呼ばれる人と行ってはいけない人とがあり、そうした目に見えない高野山の奥の院は怖いことにも触れていきます。
恒例の奥の院でのランチにおすすめのお店もご紹介していきますので、今回もぜひ最後までこのブログにお立会い下さい。
高野山に呼ばれる人と行ってはいけない人、高野山の奥の院は怖い?たくさんの戦国武将が眠る地
高野山に呼ばれる人と行ってはいけない人、高野山の奥の院は怖い?スピリチュアルを感じる幻想的な地
高野山というと、たくさんの寺院が立ち並び、幻想的な自然があり、長木の杉の木が数え切れないほど生えている聖域の場所と感ずるに疑いのない地です。

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古の歴史がある寺院で、有名なのは平安時代に嵯峨天皇(さがてんのう)から支持された空海(弘法大師)が修行の場として開いたのが始まりでした。
そこには、日本の歴史に残る戦国武将らのお墓が立てられていて、寺院としてもそうですし、数々の歴史に触れられる神秘的な場所になっています。
しかしこの高野山も、呼ばれる人しかたどり着けない場所といわれます。
高野山の神々に受け入れられた人たちで、今日もたくさんの観光客が来ていることだと思います。
それだけ高野山は、古代の古からいでたる聖地ですが、呼ばれる人の隔たりはそんなに無いように思われます。
近代化されたこの現代でも、現地に足を踏み入れれば、古き時代にタイムスリップしたかのようなスピリチュアルになってしまいます。

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何か左手がピリピリ感を感じたり、ふわふわした感覚に包まれるなどその人によって様々です。
私の時は、重厚感のような頭に強い氣というか、強い集中力みたいなものを感じ、そして歴史のある場所に行くとよく感じる、甘づっぱいような香りに触れながら現地を巡っていきました。
なかには、気持ちよく清々しい晴れやかな気分で、高野山を巡られる方が主で、要は高野山に無事たどり着けていき、気持ちよくご参拝や観光を出来れば、高野山に呼ばれた人といえるのでしょう。
逆に高野山に行ってはいけない人は、高野山に行こうとする行動をとったり、向かっている途中で気分が悪くなって、吐き気を催す邪悪な気分や、頭がひどく痛くなるなどの先ほど述べたこととは、ま逆な感覚が起こってしまう人になります。
また、高野山に向かう途中で何らかの事故に巻き込まれたり、トラブルに見舞われたりして、現地にはたどり着けないという話です。
霊感の全くない私が述べるのもおこがましいですが、高野山はいわば古くからの歴史ある霊場ですから、霊感の強い方で、そのような霊的な影響をコントロールできない方は、行くのは避けた方が無難です。
現地で急に気分が悪くなったり、吐き気を催すなど霊的現象が起こってしまい、何日も頭痛が続くなどの話も耳にします。
しかししかしながら、そんな堅苦しいことをつらつらと並べましたが、高野山大門からくぐり高野山真言宗の奥の院に向かう参道には、寺院や普通にお店が連なり参拝に来られた人々の往来があり、休日ともなると賑わいをみせています。
その周辺には数々の宿坊施設もあり、高野山の奥の院を参拝した後に予約された民宿、あるいはホテルでゆっくり宿泊され、周りきれなかった場所に行ったり、食べ歩きやお土産巡りするのもよいのではないでしょうか。
そして雨の次の日の早朝などは、霧で霞んだ幻想的な境内の奥の院を余すことなく廻っていってもらいたいものと思います。
高野山を訪れた方は、何らかの形で呼ばれた方たちで、いずれも悩みやわだかまりを持ってここにたどり着くといわれています。
来る前より、高野山を巡った後の方が、みなさん晴れやかな顔でこの地を後にしていくとご住職のお話もありますので、ぜひ一度は訪れておきたいパワースポットです。
高野山に呼ばれる人と行ってはいけない人、高野山の奥の院は怖い?高野山の七不思議
さて高野山には語り継がれる七不思議があるといわれています。

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ですが七不思議の前に触れますと、奥之院の奥には御廟(ごびょう)という約1200年前に入定(にゅうじょう)された弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)が、今も祈り続けられている禁足地の部屋があります。
唯一無二「維那(いな)」と呼ばれている特別な僧侶が、毎日朝6時と10時半の2回の生身供(しょうじんぐ)という儀式で、食事を運ぶことが許されています。
その際、空海様からの伝言は、他言無用(たごんむよう)とされており、また御廟内は皇室でも入場は不可となっています。
その形式が平安期から現在まで、頑なに守られてきたことで、高野山奥之院のことは神秘に満ちています。
そして語り継がれてきた高野山の七不思議とは、こうや七不思議といわれますが七つでは収まらないいい伝えがあります。

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ここで転んでしまうと三年以内の命になるといわれる覚鑁坂(かくばんざか)は、43段の石段です。別名「三年坂」と呼ばれているそうですが、京都の清水寺の「産寧坂」や東京都の霞が関の三年坂と違って恐ろしい伝えです。
次も三年以内に亡くなってしまうといい伝えのある姿見の井戸は、井戸の中を覗いて、自分の影が見えないと良くないといわれてますが、自分の姿が映らないということはほとんどないようです。夢のお告げで弘法大師がこの井戸の水を飲むと病が治るということから、薬井ともよばれています。

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中の橋の手前に地蔵堂が祀られているのは汗かき地蔵です。衆生の身代わりとなって責めの苦を受けて汗をかいているといわれています。実際には高野山特有の寒暖差によって起こる空気中に含まれる水分が、露(つゆ)という水滴がまるでお地蔵様が汗をかいているように見えることのようです。こういった汗かき地蔵は日本全国の神社などにも存在していますね。
お地蔵様の伝承が続きますが、数取地蔵は参道を通る参拝の方が奥の院に何度お参りに来られるかを数えていて、それを閻魔大王に伝えて、罪を軽くして来世に幸福をもたらせてくれるといわれます。
さらにお次は禅尼上智碑(ぜんにじょうちひ)は、供養塔ですが、この供養塔に耳を当てると地獄からの叫び声か、あるいは極楽浄土の声が聞こえるといわれています。
供養塔は90cmほどの石碑ですが、これは1375年(永和元年)の当時に造られたそのものだそうです。
この時期を生きた上智禅尼のお墓です。
勇気のある方は耳を当て、その声を聞いてみて下さい。
ちなみに私は、また今度ということで怖くて耳を当てることが出来なく、まだリベンジが出来なく今日に至ります。
六つめは御廟橋を渡って、燈籠堂に行く途中の参道にある小さなお堂に弥勒石(みろくいし)が納められています。
その御堂は格子に囲まれた中にあり、その石に触ることは良しとされており、石を持ち上げるのは、男性は左手で、女性は右手で持ち上げながら祈願することが暗黙のルールとなっています。
7kgほどある弥勒石は、なかなかの重さですけど、諦めずに祈願をしながらその石を、上段に置いていただくと、その願いは成就するといわれています。
そして七つめは、清流の玉川で魚を獲って、串刺しにして焼いて食べようとしていていた山男に遭遇した弘法大師は、その魚を買い取って川へ返すと、その魚は息を吹き返して川を泳いでいったという伝説が残ります。
そんな高野七不思議が、実しやかに現在も語り継がれています。
その他にも空海上人が竹を杖にして、険しい高野山を登り終えたのでその竹を土に挿すと、そこから竹が地中に根を張り、その周辺は竹藪(たけやぶ)となった杖ケ藪(つえがやぶ)と呼ばれる場所もあります。
他にも毒を持った大蛇がいて、参拝者が来るとその大蛇は喰らっていたという。
その大蛇の話を聞いた空海上人は、竹ぼうきで大蛇を祓って封印し、高野山にハブなしと言われるなどさまざまな伝説がいくつも残ります。
そんなたくさんの伝説を巡って、高野山を歩くなんてとても良くないですか。
高野山に呼ばれる人と行ってはいけない人、高野山の奥の院は怖い?蒼々たる歴史に名を遺す武将たちが眠る地
そして何といっても高野山の見どころは、戦に明け暮れた蒼々たる戦国武将たちの眠る地です。
戦で相まみえた武士たちが、今は静かに、それも場合によっては肩を並べるかの近い場所で眠っておられます。
さて、そこに向かうに最初に国道480号線沿いに聳(そび)える朱色の高野山大門があります。
その大門に向かって右側に阿形(あぎょう)で、左側に吽形(うんぎょう)の2体の金剛力士がにらみを利かせます。
ここには鳥居が建てられていたといいますが、この立派な門は江戸時代の1705年に再建されたもので、重要文化財に指定されている結界の門をくぐると、寺内町といわれる和菓子屋さんや釜めし屋に古民家ホテルに民家のある県道になります。
ちょっと拍子抜けするも、大門より500mほどその道を歩いていくと、令和になって再建された中門が見えてきます。
ここでは四天王像が弾正伽藍(だんじょうがらん)を護っております。
まず面の左右の二体が置かれていて、多聞天(たもんてん)と持国天(じこくてん)とあり、門をくぐった内側の左右にも仏像が置かれ、広目天(こうもくてん)と増長天(ぞうちょうてん)とが弾正伽藍を護っておられます。
蓮池を横目に奥に進むと、金色堂があり、今は金箔は無くなってしまってますお堂があります。
ここには、あの平安時代に平家を最高位に押し上げた平清盛(たいらのきよもり)公が頭の血を塗料に混ぜて書きあげたという曼荼羅(まんだら)の原寸大の複製が納められています。
平清盛公が書きあげた本物は、高野山の霊宝館に所蔵されています。
さあその奥へ行くと、空海上人が高野山を開いた時に、一番最初に建立されたのが御社(みやしろ)だといわれる鳥居があります。

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その先には、高野山で一番高い高さを誇る壇上伽藍西塔(さいとう)があり、木造建築の味わいがでている建物ですが、普段は残念ながら中には入れませんが、内装は煌(きら)びやかな装飾がされています。
その横側に空海上人が、毎日欠かさず日々の祈りをささげに来たといわれる御影堂(みえいどう)があります。
そしてその先には、高野山のシンボルといわれる朱色の根本大塔(こんぽんだいとう)が聳え立っています。
中には煌びやかな装飾と、その中心には金箔で彩られた大日如来像が鎮座します。
まさに圧巻な構図を目の当たりにした私も含めて、ありがたい気持ちというよりも、圧倒されて声も一瞬出せなくなると思われます。
ぜひ仏様と一体化できるこの空間をひととき、満喫していき、身も心も浄化していっていきたいところです!
さて、県道45号線(高野天川線)を横ぎり、本坊正門に向かい金剛峰寺の先を左に向かうと、いよいよ戦国武将の墓の最初になる江戸時代を担った徳川家康(とくがわいえやす)公と徳川秀忠(とくがわひでただ)公の眠る徳川家霊台がみえます。
お墓というか、徳川家の存亡をかけた徳川家三代目将軍徳川家光(とくがわいえみつ)公によって建造された霊廟(れいびょう)です。
興味あれば外観だけではなく、200円を無人用箱に入れて中を拝観することが出来るようです。
次に県道53号線に戻り、山を登る方へ進みます。
ここには宿坊や、ゲストハウスなどが多々ありまして、ここで一泊して精進料理を頂くのもありですよね。
宿坊赤松院信徒駐車場のとこらから左の道を進むと、宿坊清浄心院がありその道路を進むと、さらに二つの分かれる道の高野山宿坊協会 奥之院表参道入口の一の橋案内所が右にある所で、左斜めに進みます。
参道の一の橋から石畳となりますが、ここで振り返ると一の橋の左横には、昭和のやくざ映画を盛り上げた二鶴田浩さんの墓碑があります。
そしてすぐに大友宗麟(おおともそうりん)氏を支えた、築後柳川藩は立花宗茂(たちばなむなしげ)氏が祖の墓になります。
さて、そして分かれ道の表参道の左道を進むすぐ左のところには、オードブルに伊達政宗(だてまさむね)氏でおなじみ奥州仙台伊達家と伊予宇和島家伊達家の墓所がありますよ。
そのそばには、加賀100万石と謳われた前田利家(まえだとしいえ)とおまつ様で有名な前田家墓所とそのそばに時代が遡(さかのぼ)りますが、鎌倉時代の曽我兄弟と父河津三郎の供養塔とがあります。
何とその近くには、関ヶ原合戦で功を挙げた黒田官兵衛(くろだかんべえ)氏の嫡男(ちゃくなん)の黒田長政(くろだながまさ)氏が造り上げた筑前である、筑前黒田家墓所が見えます。
お次は薩摩島津家の墓所がみえます。
先に織田信長(おだのぶなが)氏の家臣で剛掌で有名な、森可成(もりよしなり)氏の六男にあたる美作国津山藩(みさかのくにつやまはん)の初藩の森忠政(もりただまさ)氏の墓所があります。
いきなりのビックネームが飛び出しますが、まだまだ入り口にてこの先が期待が膨らみます。
次は、羽後 秋田は佐竹家の墓所と続きます。
ここでひょっこりと江崎グリコ創業者の江崎利一さんのお墓が見えます。
その先には一般の方の墓所の奥に、ひっそりと小田原北条家の墓所があります。
数取地蔵尊の近くには、徳川家康公の十男にあたる、紀州初代藩主を務めた徳川頼宣 (とくがわよろのぶ)霊廟のような墓所ですね、ここも。

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数取地蔵尊を少し奥に入っていくと、おおっと武田信玄(たけだしんげん)氏ゆかりの信州諏訪家の墓所も存在します。
そこには武田信玄氏の命で自害させられたという歴史が伝わる、諏訪頼重(すわよりしげ)氏も眠っていますね。
その対面というか、参道を上ると、その武田信玄氏と武田勝頼(たけだかつより)氏の墓所もあります。
何と⁉その参道から少しそれた目と鼻の先に、武田信玄氏と宿敵であった上杉謙信(うえすぎけんしん)氏と、上杉景勝(うえすぎかげかつ)氏のここも霊廟と言っていい造りの墓所があります。

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この辺りに指しかかると、歴史好きの私も含めてと思いますが、川中島合戦(かわなかじまかっせん)で5回に渡っての死闘をした戦国武将たちが、こんな近くで眠っていることに、胸熱が止まりませんね。
その真ん中というのか、大師の腰掛石の真向かいには、左から豊臣秀頼(とよとみひでより)氏と淀殿(よどどの)の供養塔に、その隣に直江兼続(なおえかねつぐ)氏の正室のお船(おせん)の方の墓があります。
先に進むと、「どうする家康」でおなじみの徳川四天王の一人の榊原康政(さかきばらやすまさ)氏の墓所があります。
その真向かいに藤吉郎の頃から豊臣秀吉(とよとみひでよし)氏に仕えた蜂須賀小六(はちつかころく)氏も眠る、阿波徳島 蜂須賀家墓所があり、その近くには余談ですが、松下幸之助さんが昭和十年に奉納した石燈篭(いしとうろう)がありますよ。
そして、先ほどの奥州仙台伊達家墓所から離れた場所に、独眼竜で威勢を放った伊達政宗(だてまさむね)氏の墓所には、石鳥居に大きな五輪塔になっています。
その先に少し進むと、薩摩島津家 初代家久二代光久・綱久の墓所があります。
そのすぐに石田三成(いしだみつなり)氏の墓所と、そして明智光秀(あけちみつひで)氏の墓所と続いていきます。
この二人の三成氏と光秀氏の墓所は、これだけ現在も歴史に残る人物ですが、質素なお墓なところが、胸を詰まらせますね。
参道の反対側に、徳川家康公の忠臣だった相模小俵大久保家墓所があり、その奥に井伊掃部頭(いいかもんのかみ:井伊直弼)墓所(廟)があります。
さらに先へ行くと、平和奇岩供養塔のそばに、伊達家や佐竹家と領土争いの戦に紛争した奥州相馬家墓所があります。
その先に子授け地蔵の向かいに、これまた徳川四天王で剛掌と謳われた、本田忠勝(ほんだただかつ)氏の墓所があります。
中の橋を渡らず手前には、柴田修理勝家(しばたしゅりかついえ)氏の墓所もありますので、お見逃しなく。
覚鑁坂を過ぎると、上智禅尼の墓,身代わり地蔵を過ぎ、先の柴田勝家氏を親父と慕った前田利家(まえだとしいえ)氏とおまつ様の宝篋印塔(ほうきょういんとう)の供養塔があり、戦国時代のビックネームが続きます。
その先には、伊達政宗氏の母義姫(よしひめ)のその兄、羽州山形太守最上義光(もがみよしあき)公墓所が見えます。
少し歩くと、南無大日大聖不動明王が鎮座する近くに、戦国の世を生き抜いた女性の権現である方の、崇源院(お江) 墓所とその娘天樹院千姫供養塔も見えます。
その後、お化粧地蔵と仲良し地蔵を過ぎると、加賀前田家二代目前田利長(まえだとしなが)氏の墓所と、その向かいには前田利長夫人の墓所があります。
そして美濃加納城主松平忠政(まつだいらただまさ)氏の墓所には、奥の院で二番目に大きな五輪塔が見えます。
その向かいに法然上人圓光大師 墓所が見えます。
その先には、徳川家康公の次男結城秀康(ゆうきひでやす)氏の立派な石廟が見えます。
その先に進むと、なかなか広い面積の墓所に11基の石塔が並ぶのは、豊臣家墓所であります。
戦国の世の歴史には欠かせないビックネームの、豊臣秀吉(とよとみひでよし)公や弟の豊臣秀長(とよとみひでなが)氏に秀長夫人や母大政所がよりそっています。

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そうしていよいよ御廟橋の手前に、織田信長(おだのぶなが)公の墓所がささやかにあります。
後から造られた墓所には違いないですが、これだけの歴史に名を遺す歴史人にしては、質素な五輪塔に感じられますが、、、
とにもかくにも紹介できてない歴史人の墓所がここ高野山にはたくさんありますが、時間があればゆっくりと、あ、こんな人のお墓も、あんな所にあの方も眠っているんだとぜひ発見してみて下さい。
高野山に呼ばれる人と行ってはいけない人、高野山の奥の院は怖い?観光スポットに真田幸村ゆかりの九度山真田庵へ
高野山には数々の武将が蟄居(ちっきょ)を命じられ、ここに監禁された例では豊臣秀次(とよとみひでつぐ)氏や北条氏直(ほうじょううじなお)氏などが思い出されます。

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その他に、天下分け目の関ケ原合戦(せきがはらのかっせん)にて、親子兄弟で西と東に分かれて戦いに挑んだ真田家ゆかりの九度山真田庵などが残っています。
NHK大河ドラマ1985年度の「真田太平記」と2016年度放送された「真田丸」でもおなじみの、東軍大将徳川家康氏に仕えていた兄真田信之(さなだのぶゆき)氏は東へ、そして父真田昌幸(さなだまさゆき)氏と次男真田信繁(さなだのぶしげ:幸村)氏らは西軍へ就き、両者分かれて戦をした歴史です。
結果、石田三成(いしだみつなり)軍の西軍は徳川家康軍にたった一日で敗れ、昌幸,信繁親子は死罪を免れ、高野山九度山へ蟄居を命じられました。
そこ九度山には真田親子のゆかりとして、真田庵(正式には善名称院)があります。
その付近には真田古墳(真田の抜け穴伝説)
この地で当時の地元の方たちと育んだ場所と伝えられます。

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その他には、九度山真田テーマパークとして、九度山・真田ミュージアムや高野山大門方向に紀州九度山真田砦などお土産店などもあります。
せっかく高野山へ来たのなら、司馬遼太郎さんの九度山めぐりと一緒に真田ゆかりの九度山へも時間が許せば、この街並みを歩いてみたいものです。
九度山・真田ミュージアム
営業時間:9:00~17:00(月、火曜定休)
入場料:小中学生250円 高校生以上500円
*ミュージアムの専用駐車場はございませんので、やや離れますが、周辺の九度山駅や道の駅「柿の郷くどやま」の駐車場などご利用ください。
ぜひ後で、真田幸村ゆかりのブログも投稿しておりますので読んでみて下さい。


高野山の奥の院でランチ!一息タイムです
高野山の奥の院でランチ!角濱ごまとうふ総本舗大門店
高野山の大門をくぐって、県道53号の参道をほどなく歩くと「角濱ごまとうふ総本舗大門店」があります。
ランチでおすすめはやはりごま豆腐が堪能できる、金剛懐石(ごまとうふ天婦羅,生ごまとうふ,創作ごまとうふ,高野豆腐,角揚げ,飛龍頭,焼き豆腐,デザートごまとうふ,香の物):2300円です。
もう一つに胎蔵懐石(ごまとうふ木野子ソースあんかけ,生ごまとうふ,創作ごまとうふ,高野豆腐,角揚げ,飛龍頭,焼き豆腐,デザートごまとうふ,香の物):2300円で、どちらも炊き込みご飯とお吸い物付きです。
その他にも龍神うどんは天ぷら付きで1400円など、そばもメニューにございますよ。
お土産店の角濱ごまとうふ総本舗本店とカフェレストランになっている小田原店も、その先にあるので、お店でご確認ください。
営業時間:9:30~17:00(ランチ11:00~15:00)
☎0736268700
〒648-0211 和歌山県伊都郡 高野町高野山230
高野山の奥の院でランチ!すずめのかくれんぼ
ゲストハウスにもなっているすずめのかくれんぼは、和洋折衷な造りの店で、テラスもあって静かな佇まいな感じですが、店内はなかなか広いです。
メニューは朝メニューだとクロワッサンサンドのハム玉子にチキン(各1080円)にミンチカツととんかつ(各1180円)などが良さげです。
その他にも各1180円シリーズのハンバーグに豚しょうが焼きやとんかつ,から揚げがあり、ご飯(250円)とみそ汁(250円)がサイドメニューになります。
その他にも、きつねうどん(980円)やお好み焼き(1380円)にジンジャーライスとポークスープセット(1480円)とこれまた食事も和洋折衷です。
その他にもポテトやピザなどもありますし、カフェメニューのスイーツなどなどもありますよ。
営業時間:8:30~19:00(木金土曜) 8:30~15:00(日曜、月火水曜定休)
☎0736563579
〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山262
高野山の奥の院でランチ!よしすし
気さくな大将と奥さんで切り盛りするお寿司屋さんよしすしのおすすめは、ボリュームある盛合わせ(1500円)です。
ちなみに上にぎり(2500円)ですが、ランチには充分なサイズです。
運転しない方は、昼からちょっとビールも1杯いきたくなるおいしさです。
宿泊の方は、夜の方でイカ,タコ,はまちやまぐろにあなごなどなど新鮮なネタを肴にいって、締めはあら汁といきたいですね。
ついつい閉店までお酒が続いてしまうネタぞろいなお店です。
営業時間:11:00~22:00
☎0736562954
〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山264
高野山の奥の院でランチ!中央食堂 さんぼう
高野山宿坊協会中央案内所を本殿の方へ入ると、さんぼうの看板が見えてきます。
いい感じの和食レストランで、ここではちょっとランチでも奮発して精進花篭弁当(2800円)をいっておきたいですね。
手ごろな価格で精進料理が頂けるなら、食さない手はないということです。
その他にも粟麩田楽弁当(2500円)や胡麻豆腐湯葉巻揚げ(1900円)に胡麻豆腐鍋(1900円),盛り豆腐精進あんかけ(1900円)などあります。
精進料理が苦手な方は、湯葉山菜うどんやきつねうどんに山菜うどんをおにぎりと一緒に召し上がるのもありです。
営業時間:11:00~16:00
☎0736562345
〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山722
高野山の奥の院でランチ!光海珈琲
目の前が毘沙門天表詣道の一ノ橋に近い場所に佇む、店内は昭和を思わせるカフェです。
朝早くお店が開いているので、モーニングのように今日のサンドウィッチ(1200円)と自家焙煎光海珈琲(550円)をいきたくなりますよね。
ランチには精進カレー(1500円)やスパイシー赤カレーにスパイシーポパイグリーンカレー,カカオ入りハッシュドビーフ(各1500円)が並びます。
当日決まる今日のランチは、お得にいただけるのでお店の看板などをチェックしてください。
また、3時のおやつに本日のスイーツもあるので、女子には必見です。
営業時間:7:30~17:00
☎0736565030
〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山571
高野山の奥の院でランチ!梵恩舎
古民家カフェな梵恩舎は、こちらも朝7時から開いているので、モーニングコーヒーをしてからの高野山散策に丁度いいお店です。
ランタイムのランチメニューのプレート(1200円)はコーヒー,紅茶やアイスコーヒーなどをセットで頂くと150円お得になります。
またまたここも、ケーキメニューが揃っていて、ケーキセットで飲み物を頼むとお得になるので、女子仲間で高野山散策が終わった後に立ち寄ると話題もつきなく、ケーキセットのおかわりをしてしまいますね。
営業時間:7:00~16:00(火曜定休:日曜は午前11時までの営業)
☎0736565535
〒648-0211 和歌山県伊都郡高野町高野山767
高野山の奥の院へアクセス
高野山の奥の院へマイカーアクセス
〇名古屋駅~太閤通(県道68号線)~太閤通3の交差点を左折~名古屋市道名古屋環状線~黄金跨線北を右折~津島七宝名古屋線(県道115号線)~烏森料金より名古屋高速5号万場線へ
〇烏森料金(名古屋高速5号万場線へ)~万場大橋~名古屋西本線料金所(東名阪自動車道)~木曾川橋~長良川~損斐川~大山田PA~四日市JCT~御在所SA~海蔵川~矢合川橋~鈴鹿臨時駐車場PA~亀山PA~亀山スマートICで下車
〇国道25号線(名阪国道)~越川大橋~関トンネル~加太トンネル~服部川大橋~新五月橋~高峰SA~西名阪自動車道~天理PA~郡山下ツ道JCT~国道24号線(京奈和自動車道)~大和御所道路へ~橿原バイパス~橋本道路~紀北東道路~佐野東交差点の信号を左折~道なりに進んだのち笠田東信号の交差点を左折~国道480号線~大門口大橋(紀ノ川)~峯原橋~志賀高野山トンネル~高野山参詣道町石道 鏡石~龍神口女人堂跡~高野山大門へ到着(約221km)
*お出かけの際、ETCカードの差し忘れがないことをご確認ください
高野山の奥の院へ電車でアクセス
〇JR名古屋駅~JR新大阪駅(東海道新幹線)
〇新大阪駅~なんば駅(御堂筋線)
〇なんば駅~橋本駅(南海高野線)急行より各駅停車へのりかえ~極楽駅
〇極楽駅~高野山駅(南海高野山ケーブル)
〇高野山駅前~大門(南海りんかいバス):約4時間
高野山の奥の院 駐車場
高野山に呼ばれる人と行ってはいけない人、高野山の奥の院は怖い?あとがき
高野豆腐ってありますが、凍り豆腐(こおりどうふ)という名で、高野山の僧侶たちが古の鎌倉時代の頃に作ったのが始まりだそうですが、それが室町時代から安土桃山時代に作ったら吊るして自然に乾燥させれば、保存食に兵糧食になると考えられたものだといわれます。
そういったこの高野山には、まだまだ語りつくせない歴史があります。
深堀すればするほど、たくさんのエピソードが出てくるパワースポットです。
是非とも高野山に呼ばれて、足を運ぶ観光に行ってみてほしいなと思います。
また今回も私のこのブログにお立会い頂きありがとうございました。
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