小江戸川越食べ歩きやランチ!下町情緒ある川越城は戦を重ねた歴史のある城跡

歴史・文化

川越といえば「小江戸川越」と呼ばれて親しまれる観光名所です。

今もまるで江戸時代の江戸の風情を思わせるような、下町情緒があふれる街で、観光のポスターや旅行ガイドなどで「時の鐘」の写真を見られたことがあるのではと思います。

川越は川越市駅と本川越駅、川越駅の3つに分かれ、往時から交通の要所だったことが今でも紐(ひも)解かれている町です。

またさらに川越市公式プログにも紹介されているように、川越の観光スポットは蔵造りゾーンと本丸御殿ゾーン、喜多院ゾーン、の大きく分けて3つのエリアがあります。

伝統的な蔵造りの町並みには、時代をタイムスリップしたかのように、往時の江戸時代の面影を今に残しており、その象徴に時の鐘が、明治に再建され今も時を知らせてます。

一度は足を運んでもらいたい小江戸川越の川越城を主にピックアップして歴史に触れていきたいと思います。


小江戸・川越の礎は戦に備えて太田道灌氏の築城に始まる

小江戸・川越 河越城は古河公方氏防御の為

室町時代中期に扇谷上杉(おおぎがやつうえすぎ)氏と古河公方足利(こがくぼうあしかが)氏の対立する中、扇谷上杉氏の上杉持朝(うえすぎもちとも)氏は家宰(かさい)の太田道真(おおたどうしん)氏と太田道灌親子に河越城(川越城)の築城を命じます。

河越城に上杉持朝氏が入ると、さらに江戸の方角に築城を命じ、江戸氏の城跡を改修した江戸城には太田道灌氏が入城したと伝わります。

その同時期に岩付城(岩槻城:いわつきじょう)の築城も築城戦略家の太田道灌氏によってすすめられ、それぞれ当時湿地帯だった台地に城を築き、天然の要害(ようがい)をなしていました。

これで3つの城で、下総国(しもうさのくに)の古河公方足利氏ににらみを利かせる足固めをした。

話はそれますが、あの皇居になっている江戸城も当時は湿地帯の小山や池だらけの地で、太田道灌氏が江戸城を築いた頃の本丸は、小高い山の上にあったようです。

現在の江戸城のすぐ近くには「江戸湾(東京湾)」からの「日比谷入江(ひびやいりえ)」という海が入りこんでいたそうです。

豊臣秀吉(とよとみひでよし)軍により小田原討伐が終結し、駿河国(するがのくに)より武蔵国(むさしのくに)へ配置換えで移転した徳川家康(とくがわいえやす)氏によって、江戸の大改修が始められ、神田山を切り崩して日比谷入江は埋め立てられて地盤を造り、平坦な地も造り、人々が住みやすく開拓を指示していったと伝わります。

小江戸・川越城は戦の標的になっていく重要な交通の要所

小江戸・川越 河越城は後北条氏の登場で標的に

本丸御殿のある地域は室町中期から戦国時代に始まり、太田道灌(おおたどうかん)氏が礎(いしずえ)を造った河越城(川越城)があり、江戸時代の1848年に築城された本丸御殿が現存しています。

喜多院は江戸幕府の厚い庇護(ひご)を受け繁栄した寺院です。

喜多院の始まりは慈覚大師(じかくだいし)が830年に創建で歴史が深い寺院です。

扇谷上杉氏と古河公方氏の戦が続く中、享徳の乱(きょうとくのらん)の最中に長尾景春の乱(ながおかげはる)が勃発しこれを鎮圧し1482年に室町幕府と古河公方氏は和睦(わぼく)をします。

そんな太田道灌氏の功績を恐れた上杉持朝氏の子、定正氏は仮にも主君であったにも関わらず、神奈川県伊勢原市の糟屋館にて道灌氏をだまし討ちさせてしまいます。

しかしこの道灌氏の暗殺で、長享の乱(ちょうきょうのらん)が扇谷上杉氏と山内上杉氏との間におこり、長きに亘って戦が続くこととなる。

享徳の乱、長尾景春の乱、長享の乱と戦が続くのをきっかけに下剋上の時代に突入していった。

戦国時代の始まりといっても過言ありません。

そこに伊豆国(いずのくに)から相模国(さがみのくに)に進出してきた伊勢宗瑞(いせそうずい)、のちの北条早雲(ほうじょうそううん)氏が小田原城を奪取(だっしゅ)しさらに東へ眼を向けていきます。

その嫡男(ちゃくなん)で家督を継いだ北条氏綱(ほうじょううじつな)氏が武蔵平定に兵をさし向け、江戸城を落とすとその後扇谷上杉氏の河越城を4度にわたり押し攻め、後北条氏の城になっていった。

小江戸・川越 ”激戦!河越夜戦”

天文14年(1545年10月)に関東官僚の上杉憲正(うえすぎのりまさ)氏や扇谷上杉の上杉朝定(うえすぎともさだ)氏、古河公方の足利晴氏(あしかがはるうじ)氏の約80000の兵の関東諸大名連合軍の大軍が河越城を包囲します。

もちろん河越城を奪い返すための戦(いくさ)です。

これで河越城の戦いは5度目の戦となります。

河越城に立て籠もるは北条綱成(ほうじょうつなしげ)氏が率いる兵3000足らずですが、兵糧が十分に蓄えられ半年余りを持ちこたえます。

しかし援軍無ければその兵糧もつくのは時間の問題でした。

武田信玄(たけだしんげん)氏の仲立ちにより戦となっていた駿河国の今川氏と和睦をし、憂いがなくり、天文15年(1546年5月)に氏康氏は約8000の兵で救援に河越城に向かいますが、一旦兵を府中まで戦をせずに引かせます。

これにより上杉連合軍は後北条氏軍の戦意は低いと判断し、約10倍近い兵力差もあり楽勝気分が漂います。

相手を怯ませたうえで氏康氏は奇襲に動きます。

8000の兵を四隊に分け、そのうちの一隊を多目元忠(ためもとただ)氏を指揮を命じうごかさせずに置き、残り三隊を氏康自身が率いて敵陣へ向かいます。

子の刻、北条氏康(ほうじょううじやす)氏の兵には重い兜を脱がせて身軽にさせ、山内・扇谷の両上杉軍の陣に突入した。

予期しない敵の夜襲を受けた上杉軍は大混乱に陥りました。

これにより北条氏康氏の奇襲により、後北条氏の護る河越城は持ちこたえました。

NHK大河ドラマ「風林火山」の第23回で描かれており、世にいうこの戦を”河越夜戦(かわごえやせん)”と呼ばれ日本三大奇襲の一つで歴史に伝わります。


小江戸・川越 川越城は江戸時代に大城郭へ

小江戸・川越 約32万6千㎡の縄張り

1590年に小田原討伐により後北条氏は滅び、国替えにより武蔵国の江戸城に入った徳川家康氏の重臣酒井重忠(さかいしげただ)氏が城主に置かれます。

その後も江戸時代に入り、有力な大名が拝領されていき、1639年には川越城となった松平信綱(まつだいらのぶつな)氏は拡張整備を行い、本丸、二の丸、三の丸、と築きその周りに新曲輪、帯曲輪、田曲輪、八幡曲輪、中曲輪、追手曲輪を設け3つの櫓(やぐら)と13の門からなる大城郭へと改修したと伝わる。

そして1848年に松平大和守斉典(まつだいらやまとのかみなりつね)氏の時期に今の入母屋造りの川越城本丸御殿が建てられたが、明治維新の廃城令(はいじょうれい)により解体されてしまい、玄関と大広間の部分だけが残された。

その後昭和42年に本丸御殿が復元され、さらに昭和63年にふじみ野市に移築されていた家老詰所が川越市に復元移築された。

現在は住宅化に伴い殆どが消滅し、本丸御殿の周辺や田曲輪や富士見櫓跡、中の門堀跡、そして伝承のある霧吹きの井戸、戦の時に井戸のふたを開けておくと辺り一帯が霧で城を隠したといわれている遺構が残ります。

小江戸・川越にある寺院や史跡に行こう

小江戸・川越氷川神社

江戸時代に川越城下の総鎮守となってた神社で、古墳時代の欽明天皇の時期に大宮市の武蔵一宮から勧請されたと伝わります。

川越神社は夫婦円満、縁結びの神様として信仰されています。

川越まつり会館で詳しいことは見て体感できるようなりますが、川越まつりは川越氷川神社の神幸祭が起源とされています。

埼玉県川越市宮下町2ー11ー3

小江戸・川越 三芳野神社

通りゃんせ通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ

ちっと通して下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ

この子の七つのお祝いに お札を納めにまいります

行きはよいよい帰りはこわい こわいながらも

通りゃんせ通りゃんせ🎵

わらべ唄の「とおりゃんせ」発祥地といわれています。

太田道真・太田道灌親子の築城当時は三芳野神社は城内にあったため、こんなわらべ唄がうまれたと伝わります。

さらに境内には”川越城七不思議”の案内板が設置されています。

ぜひそれになぞって川越を散策してみるのはいいのではないでしょうか。

埼玉県川越市郭町2ー25ー11


小江戸・川越食べ歩き おまけ

私も川越は年に数回はさきたま市や群馬の城跡へ、サイクリングに行きがてら中継地点というか通りかかり必ず寄ってしまう町ですね。

さて時の鐘の通りはたくさんのお店が立ち並んでますが、その中からのおすすめなところをご紹介。

小江戸・川越食べ歩き 和牛ひまつぶし 川越うし川

ちょっと高めの和牛ひまつぶし御膳もあれば、食べ歩きもできちゃうメンチカツが最高。「和牛ひまつぶし 川越うし川」

ローストビーフのおろしポン酢や和牛ひつまぶし御膳(税込2860円)などがランチに好評です。

営業時間:11:29~13:30 17:00~20:00(土、日曜は11:29~14:30 16:30~20:00)

☎0492774129

埼玉県川越市元町1-1-1

小江戸・川越食べ歩き 十限無

十限無(じゅげむ)の十割そばに天ぷらをつけて頼むもよし、鴨ロース焼も絶品です。

海老天そば切りに野菜店そば切りのセット(税込1760円)もおすすめです。

営業時間:11:30~14:30 18:00~21:00(水曜定休)

☎0492775752

埼玉県川越市久保町6−6

小江戸・川越食べ歩き 駄菓子屋横丁

ついつい買いすぎてしまう懐かしい駄菓子屋が並ぶ、大正浪漫ゾーンの通り「駄菓子屋横丁」はおみあげの選定にもいい。

レトロな昔懐かしい雰囲気もこれまたいい。

小銭を握りしめ、かけって駄菓子屋に向かった少年時代へ、親父たちよタイムスリップ!

営業時間:10:00~17:00

☎0492225556

川越市元町2-11


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