楠木正成(くすのきまさしげ)氏と足利尊氏(あしかがたかうじ)氏の関係は、歴史とともにに埋もれてしまっていますが、それを描くのは1991年NHK大河ドラマ「太平記」で楠木正成役の武田鉄矢さんと、足利尊氏役が真田広之さんの共演でした。
正直あまりに歴史では、戦国時代のことが大きくクローズアップされていて、鎌倉幕府の幕末や室町幕府の始まりの時期は、テレビジョンにはあまり取り上げられていませんが、河内国(かわちのくに)から新鋭のごとく歴史に名乗りを上げた、楠木正成氏とそのゆかりの河内長野観心寺を巡っていきます。
余談ですが、仕事でよく通る江戸城には、天皇を守った英雄として楠木正成騎馬像が飾られているのをよく見れることができます。
そう!天皇家にとって楠木正成氏は英雄だったのでした。
そうこんななんjな男はいない、忠実心に溢れた武士(もののふ)よ、武士の鑑(かがみ)と。〈大夫盛ってますが、、、〉
さてその河内長野観心寺(かわちながのかんしんじ)には、楠木正成氏と足利尊氏氏との密接な繋がりも見えてきます。
また楠木正成氏に非常にゆかりのある河内長野観心寺の御利益や歴史についてや、観心寺で食べ歩きやランチにおすすめのお店を紹介するブログになっています。
今回もぜひ最後まで私のブログにお立会いして頂けたらと思っています。
楠木正成はなんj!河内長野観心寺の御利益は?如意輪観音像と空海上人
河内長野観心寺に伝わる空海上人の如意輪観音像と楠木正成のゆかりと歴史
まずは大河ドラマ「太平記」の鎌倉と足利尊氏氏に着目したブログを投稿していますので、こちらもぜひ後で読んでみて下さい。
さてさてここ河内長野観心寺は、春は桜に秋は紅葉と四季折々の景観が存在するお寺です。
そして観心寺の始まりは、701年に役小角(えんのおづぬ)が開創します。
その後808年にこの地に訪れた空海上人が、北斗七星を勧請(かんじょう)したとされ、7年後に再度この地に訪れて、自ら如意輪観音像を彫って安置し、「観心寺」と号したと伝わっています。
その後空海の弟子の実恵(じちえ)や真紹(しんしょう)が、淳和天皇(じゅんなてんのう)の命をうけてこの観心寺の造営をおこなっていき、鎌倉時代には50の塔があったといわれます。
現在その由来が受け継がれ、空海上人が国家と民の厄除けのため、お造りになられた如意輪観音像と七つの星塚が祀られています。
その星塚霊場の本尊厄払除は、貧狼星(とんろうしょう)~巨門星(こもんしょう)~禄存星(ろくぞんしょう)~文曲星(もんこくしょう)~廉貞星(れんじょうしょう)~武曲星(むこくしょう)~破軍星(はぐんしょう)があります。
その星塚を一巡することにより、その年の厄が払われるといわれています。
そして、楠木正成氏が築いた天皇を最期まで護るという、戦勝祈願の御利益があります。
河内長野観心寺に納められる観心寺如意輪観音像や重要文化財の数々を拝観
そして、観心寺金堂は南北朝時代の建造で、国宝に指定されています。
外壁には朱色に塗られた柱と白壁に、内部は太い柱で重たい屋根瓦をしっかり支えています。
そして約700年前に直接欅(けやき)の板に描かれた曼荼羅(まんだら)が、当時のままに残っています。
さらには、ここに納められている御本尊の如意輪観音坐像(にょいりんかんのんざぞう)も合わせて国宝に指定されている観音像です。
この観心寺如意輪観音像は、毎年4月の17日と18日の2日のみ公開されています。
その左右に置かれる愛染明王坐像と不動明王坐像が、真ん中の観心寺如意輪観音像を支ええるかのようです。
その御開帳も年2回のみなので、是が火でも心が楽になるようご拝顔したいものです。
さらには数々の重要文化財のお堂や像に書物が納められている寺院になります。
その他にもここ観心寺は、楠木正成氏にとってゆかりが深い場所で、幼少期の8歳から15歳の頃までここで仏教や学問を学んだ所といわれています。
また、建武の新政期に楠木正成氏によって建て進められた三重塔(観心寺建掛塔)は、反旗を翻した足利尊氏氏を討伐の命を後醍醐天皇(ごだいごてんのう)より受け出陣して途中で建築が止まってしまいました。
世にいう「湊川の戦い(みなとがわのたたかい)」で、足利軍に多勢に無勢で立ち向かい敗れた、楠木正成氏が自刃(じじん)したことにより、完全に建築途中で留まってことが、建て掛け塔という名前の由来になっています。
1502年に観心寺建掛塔は再建されて、今は国の重要文化財に指定されている建造物です。
そんな楠木正成氏ゆかりのあるこの河内長野観心寺に、足利尊氏氏より戻された楠木正成氏の身首(みしるし)が弔われており、境内には楠木正成首塚が祀られています。
そしてさらに、楠木正成氏が支えた後醍醐天皇の後を引き継いだ後村上天皇(ごむらかみてんのう)の御旧跡(旧惣持院跡)も厳かに残り、丘陵には後村上天皇檜尾陵(ひのおのみささぎ)が置かれています。
南北朝時代に吉野の後醍醐天皇と京の足利尊氏氏が政権を争いに、北側の足利尊氏氏は持明院統(じみょういんとう)の光厳天皇(こうごんてんのう)を立て、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となります。
その後2党の天皇が政務に立つという、摩訶不思議な時期を経て、後円融天皇(ごえんゆうてんのう)が崩御(ほうぎょ)すると、第3代室町幕府将軍足利義満(あしかがよしみつ)公によってようやく、二つに分かれていた天皇政治がひとつに統一されました。
いわばその二つに分かれていた天皇政治に後村上天皇は、奮闘し苦労を重ねられた方だと伝わっています。
京に戻ることを願いつつ、お亡くなりになられれていったことを観心寺では今日に伝えています。
拝観時間:9:00~17:00
入山料:大人300円 小中学生100円(*毎年4月17日と18日は本尊御開帳日については特別拝観料として1000円となっています)
☎0721622134
〒586-0053 大阪府河内長野市寺元475
河内長野観心寺を巡って、楠木正成と足利尊氏の大河ドラマ「太平記」にも描かれた関係を見ていこう
南北朝の動乱時期には、敵将ともなる足利尊氏氏が、湊川の戦い(みなとがわのたたかい)で新田義貞(にったよしさだ)軍と楠木正成軍を打ち破り、戦の習いにおいて捕らえた楠木正成氏の身首(みしるし)を六条河原に晒(さら)します。
湊川の戦いを敗走した新田義貞軍の義貞氏は、京に戻るにも足利軍がすでに京を抑えられてしまってました。
その後新田軍は、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)に身を寄せるも舎弟の足利直義(あしかがなおよし)軍と戦になり、「近江の戦い(おうみのたたかい)」の最中、義貞氏が知らないところで尊氏氏と後醍醐天皇とで和睦(わぼく)がなされ、新田軍はいわば朝廷に切り捨てられる形となりました。
尊氏氏との和睦に不服の新田義貞軍は、比叡山を後にして北陸の金ヶ崎城に入るも、冬の北陸地方は厳しく苦難を極めたという。
当時奥州を治めていた北畠親房(きたばたけちかふさ)氏の嫡男北畠顕家(きたばたけあきいえ)氏も、足利軍討伐に参入するも、新田義貞氏との連携が反りも合わなかったようで、うまくいかなかったと「太平記」には伝えられる。
最期は越前国藤島(福井県)で、藤島の戦いの際に敵矢に倒れ、新田義貞氏はあっけなく討ち死にしたと、NHK大河ドラマ「太平記」では映像化されています。
*宣伝になりますが、新田の庄があった戦国の城跡新田金山城のブログも投稿していますので、興味持たれたら後で読んで下さい。
話を楠木正成氏に戻します。
鎌倉幕府打倒を共に奮起した、戦友でもあった敗北の庄の楠木正成氏を慕いて、「これだけの武将の首は返すべきだ」と足利尊氏氏はいい、ここ観心寺に楠木正成氏の首塚をたて弔わせました。
そこには相反し、昨日の味方は今日の敵という言葉のように、敵味方に分かれて戦をした中にも、楠木正成氏と足利尊氏氏との深いつながりのようなものがあったことを裏付けています。
大河ドラマ「太平記」でも描かれていたように、その時は表沙汰に足利高氏(のちの尊氏)氏は執権北条軍側でしたが、気持ちは反鎌倉幕府の意があって、クーデターを起こした下赤坂城を敗走する楠木正成氏を見逃す企てをし、陰ながら応援するシーンがありました。
♪冠者は妻儲けに来んけるや~と天下泰平の舞いをさせます。
ここに二人の切っても切れない深いつながりがあったことを、太平記ではうまく描かれておりました。
その後の観心寺は浮き沈みがあり、室町時代中期には官僚畠山氏の庇護(ひご)を受けましたが、織田信長(おだのぶなが)政権時には寺領は没収されていました。
変わる豊臣秀吉(とよとみひでよし)政権になると、一転25万石の寄進を受けて、豊臣秀頼(とよとみひでより)氏によって金堂や諸堂の修復が行われています。
しかし受難がまた襲い、明治時代には廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、境内の建造物は縮小を余儀なくされました。
そして後期一転し、近代の令和元年5月に日本遺産の指定が受けられ、「中世に出逢えるまち」と題し観心寺の未来がようやく拓けました。
楠木正成はなんj!楠正成ゆかりの河内長野観心寺周辺の史跡に寄って行こう
楠正成ゆかりの河内長野観心寺周辺の史跡めぐり 上赤阪城跡
観心寺からマイカーで約15分ほどで着ける所にある、上赤阪城跡(楠木城跡)があります。
観心寺より府道209号線をぬけて、府道201号~府道705号から千早赤阪村桐山をめざすとある史跡です。
その笠置山の山を掘り起こし、柵をめぐらせ築かれた山城には、兵約200人足らずが籠城し、北条執権鎌倉幕府に立ち向かった歴史が残ります。
鎌倉幕末の山城にしてかなりの城郭をもっていて、一の木戸から四の木戸まであって、その他帯曲輪などの跡もあって、ハイキングするにはなかなか見応えある城跡です。
少し離れた千早川を越えた下赤阪の棚田の方にも、下赤阪城跡の史跡があります。
どの歴史説が完全かは、まだ明確になっていませんが、突貫で造られた下赤阪城が始めで、その後鎌倉幕府軍に下赤阪城は落とされ、一旦楠木正成氏は敗走し、次に上赤阪城の方にしっかりした砦を備えたようです。
大いなる鎌倉軍勢を迎え撃つに岩や木材などを落としたり、近くまであがっててきた兵には煮え湯や糞尿を熱く煮たものを浴びせ、敵を翻弄(ほんろう)させたといわれます。
ここには、後醍醐天皇の嫡男護良親王も一緒に立てこもり、紛争したと伝わります。
上赤阪城跡:〒585-0043 大阪府南河内郡千早赤阪村桐山
下赤阪城跡:〒585-0055 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪25
楠正成ゆかりの河内長野観心寺周辺の史跡めぐり 千早城跡
上赤阪城から府道705号線を下って、千早川マス釣り場の方へ向かうと、もう一つの赤阪城詰め城の千早城址も史跡として残っています。
籠城は約100日にも及ぶ激戦を続けて、この千早城が落ちれば後がない楠木軍でしたが、その間に鎌倉攻めに新田義貞軍が攻め動き、京には足利尊氏軍が六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻めるゲリラ戦を起こします。
難所の稲村ケ崎越えを浜辺から果たした新田義貞軍が、極楽寺切通しの激戦を経て、鎌倉へ攻め込んで、見事に東勝寺(史跡北条高時腹切りやぐら)に執権北条高時公を追い詰めて、自害させることにより、源頼朝公より続いた鎌倉幕府は、約140年を以て終焉(しゅうえん)をむかえました。
晴れて千早城に籠った楠木正成軍は、勝利をつかみます。
現在は戦のあったことはどこ吹く風で、静かなハイキングコースとなっており、本丸跡や二ノ丸跡には千早神社が鎮座しています。
金剛山山道入口の階段がありますが、当時は無かったもので、千早神社の建立で後から積まれた石段だったようですが、結構急な階段になっているところも歴史好きには味わいありです。
時間が許せば、金剛山ロープウェイを乗り継いで、金剛山山頂からいったん戻りますが、久留野峠へ渡り千早峠そして不動山の巨石に、足に自信のある方は歩いてみるも一興です。
〒585-0051 大阪府南河内郡千早赤阪村千早
楠正成ゆかりの河内長野観心寺周辺をめぐる 千早赤阪村立 郷土資料館
くすのくホールと道の駅との共用ですが、無料で約80台が駐車できるスペースがあります。
やはり鎌倉幕府を打倒し、天皇を御守りした勇者の楠木正成氏が中心となった展示が多く見られます。
鎌倉幕府の幕末にこの千早赤阪より出陣した、楠木公のエピソードがわかりやすくみることができます。
千早城の復元模型や発掘調査時の写真や、ジオラマや映像に出土品なども飾られています。
なた郷土の歴史として、縄文,弥生に古墳時代から鎌倉,室町~江戸時代などの歴史も見て取れます。
さらには郷土資料館のすぐ近くは、楠木正成誕生地であって、楠公史蹟があり史料館を見終わったらぜひ、資料館の周りも散策に歩いて下され。
入館料:大人200円 小人100円
営業時間:9:00~17:00(月曜定休)
☎0721721588
〒585-0041 大阪府南河内郡千早赤阪村水分266
楠木正成はなんj!楠正成ゆかりの河内長野観心寺でランチ!観心寺周辺のお店をご紹介
楠正成ゆかりの河内長野観心寺でランチ!創作精進料理 観心寺KU-RI
まずは、観心寺境内にある子院の庫裏をリノベーションした”観心寺KU-RI”から紹介します。
江戸期に建てられた槙本院の台所の姿をそのままで、料理が楽しめる場です。
何とも落ち着いたお座敷でいただく精進料理は、ありがたい気持ちになり、多少ランチにもいいお値段でも価値ある食事をした面持ちになることでしょう。
完全予約制の創作精進料理は、1日20名様限定で3500円となっています。
季節に合わせてお料理も変わりますが、工夫を凝らしたおりょうりや、デザートをいただけます。
営業時間:11:30~15:00(火水曜日の営業)
☎05037468600
〒586-0053 大阪府河内長野市寺元475
楠正成ゆかりの河内長野観心寺でランチ!洋食のおとぎ屋
古民家レストランで、食事をとりながら窓から見える景色を時より見ながら食するに、いい気分です。
おすすめは限定食で、大人のためのお子様ランチは名前の通り、”おとぎ屋おすすめランチ”1600円です。
お店仕込みのハンバーグをメインにしたワンプレートランチ(スープ・サラダ・ご飯付き)です。
その他にも、ハンバーグ&牡蠣フライ&海老フライやハンバーグ&牡蠣フライ2個に牡蠣フライ&海老フライ2個(1700円)があります。
畳の上にレストランなテーブルと椅子で、和洋折衷でランチをしませう。
営業時間:11:00~15:00(金曜定休)
☎0721216894
〒586-0053 大阪府河内長野市寺元257
楠正成ゆかりの河内長野観心寺でランチ!阿修羅窟
ここも古民家なカフェで、ランチというか一服に入るお店です。
のんびりとにうめん(750円)を頂いたり、ぜんざい、すまぞうに(650円)やあまざけ(500円)をいただけるのがいいですな~。
また耳を澄ますと、川のせせらぎや小鳥のさえずりが聴こえてきて、それはちょっとした贅沢な時間がすごせますよ。
営業時間:11:00~17:00(土日のみ営業)
☎0721636585
〒586-0053 大阪府河内長野市寺元499
楠正成ゆかりの河内長野観心寺でランチ!BUM
ここも古民家をおもいっきりリノベーションして、外は古民家で、中はスタイリッシュなおしゃれなBERの感じのレストランです。
創作料理にアレンジされたカレーや野菜やスープは、疲れを癒してくれるメニューです。
料理が盛り付けられている器や食器にも、ここBUMオーナーのこだわりがかんじられています。
カフェの隣には、おしゃれな置物やサングラスに洋服などがおかれたブティックもあり、お土産にちょっと購入したくなる感あり。
営業時間:11:00~17:00(木金曜定休)
☎08013355305
〒585-0053 大阪府南河内郡千早赤阪村小吹293
楠正成ゆかりの河内長野観心寺でランチ!fusion cafe
ブラジル人の2児の母のオーナーが作る、心ずくしの料理に舌づつみしましょうか。
ハンバーグランチセットにステーキランチセットそれともベジタリアングラタンランチ(各1000円)のランチと食後には、ヴァニアさん自慢のコーヒーもどうぞ。
自家製タピオカクッキーやオリジナルジャムなども販売しており、テレビにも放映されたおっかさんです。
とても気さくなこのお店には、また来たくなる雰囲気がにじみでています。
営業時間:10:00~17:00(水土日曜が営業)
☎09039700271
〒585-0053 大阪府南河内郡千早赤阪村小吹68−783
楠正成ゆかりの河内長野観心寺でランチ!古民家カフェ福智庵
屋根のえんとつから煙がでているのれんの絵柄が、とってもいい好印象なお店。
天気の日はテントでBBQもテラス席2つあるので、家族で来たらやってみたい。
ランチのおすすめは、福智庵ランチドリンク付き(1450円)で、メインはお肉か魚を選べるようになっています。
チキンカツにとんかつかさばの味噌煮,さばの塩焼きあるいは野菜カレーとお好みで決めれます。
軽食のトーストやスイーツのチーズケーキや手作りプリンもあって、ちょっと一服にも最適です。
営業時間:11:00~16:00(水木曜日) 11:00~15:00 18:00~22:00(金土日曜の営業);月火曜定休
☎0721870954
〒586-0052 大阪府河内長野市河合寺53
楠正成ゆかりの河内長野観心寺へアクセス
河内上野観心寺へアクセス
〇フライト
東京羽田空港より関西国際空港まで、約1時間30分でひとっ飛びすることもできます。
〇公共交通機関(電車)
・JR名古屋駅~JR新大阪駅(東海道・山陽新幹線)
・新大阪駅~なんば駅(御堂筋線)
・なんば駅~河内長野駅(南海高野線)
・河内長野駅前~観心寺(南海バス小深線:金剛山ロープウェイ前):約2時間20分
〇マイカー
・名古屋駅から出発だと、名古屋市道名古屋環状線に入って黄金通りをめざし向かう~国道5号線(津島七宝名古屋線)~烏森料金所~名古屋西本線料金所(東名阪自動車道)~木曽川橋~揖斐長良川橋~大山田PA~四日市JCT~御在所SA~海蔵川橋~亀山PA~亀山料金所~名阪国道25号線~関トンネル~高峰SA~天理PA~天理料金所(西名阪自動車道)~郡山下ツ道JCT~御幸大橋~香芝SA~柏原トンネル~柏原本線料金所~新石川橋~藤井寺ICで下車~国道170号線を野中方面へ進む
・国道170号線を進み、河内長野市の稲田池のところの信号を左折~東高野街道~府道右折~菊水町信号左折~国道310号線~東阪三日市線~府道209号線をそのまま進めば程なく観心寺に到着
*お出かけの際、ETCカードの差し忘れがないことをご確認ください
観心寺駐車場
大晦日やお正月期間は500円ですが、通常は無料で駐車が可能です。(大型バスの駐車は不可です)
広場になっているバス停南駐車場と、観心寺山門前駐車場1と2でふたつの計3カ所あります。
御開帳時は混雑しますので、観心寺臨時駐車場も開放しますから、駐車場案内を確認ください。
営業時間:9:00~17:00
☎0721622134
〒586-0053 大阪府河内長野市寺元
楠木正成はなんj!河内長野観心寺の御利益は?楠木正成と足利尊氏の大河ドラマ「太平記」あとがき
今は便利な時代で、グッグればすぐ歴史関連の場所もグーグルマップで見られますね。
もう私の30代頃のように、本屋の雑誌で「歴史人」や「週刊 日本の城」などで調べて、メモを取って出かけるなんて面倒はいらない時代ですね。
そこで目に入った楠木正成ゆかりの河内長野に魅せられて、厚い気持ちを抑えられず行ったことを思い出します。
まだほんの数回しかこの河内の国には行けてなく、鎌倉にはよくサイクリングで1時間ちょっとで行きますから、足利尊氏氏と新田義貞氏ゆかりめぐりはできますが、、、。
さすると河内長野には、また小遣い貯まってきたらいこうと、思う次第ですが、いつになることやら、、、
それではまた次回も私のこのブログにお立会いして、ぜひお立会いをして下さい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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