田沼意次はイケメンだったとか?学校では習わなかったどんな政治をした人か?大河ドラマ「べらぼう」も楽しみ

NHK大河ドラマでは、毎年次々と歴史人をクローズアップして、その生涯をまるですべて見てきたかのように描かれています。

そんなNHK大河ドラマ2025年のタイトルは「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)」が放送されます。

今回は蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)氏にスポットライトを宛てたドラマになっていきます。

あまり知られていない重三郎氏の、皆さんも知られざる歴史の部分を赤裸々に描かれていくことになります。

今回はそのNHKドラマ2025年のべらぼうに出てくる、田沼意次(たぬまおきつぐ)氏に着目して、私なりの投稿をしていきます。

私の知るところの田沼意次氏は、中学の歴史の教科書にちらっと出てくるくらいでした。

江戸中期に何をした人なのか、すごい政治を行ったとか。

そして、かなりのイケメンだったとかが聞こえてくるところを記していきます。

2024年2月26日時点で公開された「べらぼう」のキャストの紹介もします。

今回も私のブログに最後までお立会いいただけたらうれしいです。



田沼意次はイケメンだったとか?学校では習わなかったどんな政治をした人か?大河ドラマ「べらぼう」が楽しみ!

田沼意次はイケメンだった?NHKドラマ2025年の「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」のキャストは?

今は「光る君へ」が放送されている中、「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」の撮影が始まっています。

NHK大河ドラマ2025年に放送を背景に、2024年度の放送の源氏物語と紫式部ゆかりのブログも投稿していますので、後で読んでみて下さい。

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千年ものずっと昔、まだ私たちが生まれもしていない古(いにしえ)の時代から、ずっと読まれ続ける「源氏物語」という誰もが知っている書物が書かれていました。 その作者はみなさんご存じ”紫式部(むらさきしきぶ)”です。 NHK大河ドラマ「光る君へ」...

そして、NHK大河ドラマ2025年の「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」の豪華キャストは?

まずは主人公となる蔦屋重三郎氏には、横浜流星さんが抜擢されています。

映画「嘘喰い(うそぐい)」の役柄は、なんとなく歌舞伎町のホストにいそうなキャラが、すごく印象的でした。

そんなキャラから一転し、華やかな泰平の江戸での成功者蔦屋重三郎氏を横浜流星さんは、どんな人物に描いていくのかが今から楽しみに思います。

そして今回、私の着目の田沼意次氏の役は、1987年度の大河ドラマ「独眼竜政宗」で最高視聴率を47.8%という驚異の数字をたたき出したドラマのメインキャストを務めた、渡辺謙さんが行います。

江戸時代の天下泰平の栄華を華やかにさせたとも、江戸時代の飢饉をつくった悪者とも評価されている、田沼意次氏を演じます。

どんなイケメンでしたたかな田沼意次を、渡辺謙節で見せていってくれるのか乞うご期待です。

この方もNHK大河ドラマではおなじみの片岡愛之助さんですが、鱗形屋孫兵衛(うろこがたやまごべえ)氏役で出演します。

「鎌倉殿の13人」では、北条義時氏の兄役の北条宗時(ほうじょうむねとき)氏の役は、まだ記憶に新しいところですが、TBSテレビ日曜劇場ドラマの「半沢直樹」での証券取引等監視委員会 統括検査官の黒崎俊一役は衝撃的でしたよね。

この人もNHK大河ドラマの顔にもなりつつある、染谷将太さんです。

喜多川歌麿(きたがわうたまろ)氏役で江戸時代の偉人役で出演します。

2003年「武蔵 MUSASI」で子役でてから、2020年「麒麟がくる」では、織田信長(おだのぶなが)氏役で出演し、役柄に徹した色んなカラーを見せてくれてますね。

今やこの方は女優としての波に乗ってきた人小柴風香さんです。

蔦屋重三郎と同じ親に捨てられ、吉原に育った幼なじみ役の花の井・五代目瀬川の遊女役で出演します。

他チャンネルのフジテレビ系2024年版「大奥」で五十宮倫子(いそのみやりんこ)を演じ、迫真に迫る演技に注目が集まっています。

その他これからいいキャストがエントリーされて、2025年の大河ドラマを彩り鮮やかな仕立てがされていくんでしょう。

脚本は「おんな城主 直虎」や「世界の中心で、愛を叫ぶ」などを担当してきた森下佳子さんが、2度目のNHK大河ドラマを手掛けます。

さあ!どんな2025年のNHK大河ドラマが繰り広げられるのか、今から楽しみです!

田沼意次はイケメンだったとか?学校では習わなかったどんな政治をした人か?田沼意次の改革や評価は?

田沼意次はイケメンだったとか?学校では習わなかったどんな政治をした人か?教科書には出てこないその姿は

田沼意次氏とは一口に言えば徳川時代の栄華を引き立て、徳川吉宗(とくがわよしむね)の行なった「享保の改革(きょうほのかいかく)」から一転し、華麗な大奥の栄華を盛り上げて、一気に出世街道を駆け上った人でした。

その政治と日ノ本の経済改革は、江戸時代の士農工商の制度が敷かれた厳しい時代を、それは華やかに、また自由な風を送った人物ともいわれています。

先に記しておくと、10代目徳川将軍の徳川家治(とくがわいえはる)公が崩御してしまうと、田沼意次氏は失脚。

世代交代に松平定信(まつだいらさだのぶ)氏が配置され、質素倹約の「寛政の改革」により、江戸の自由な風は一転し、厳しい規制が敷かれました。

そんな田沼政治を憂いだ歌で、「白河の 清きに魚も住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」といわれました。

そんな田沼意次氏が行った政(まつりごと)には、享保の改革で公認された”株仲間”いわゆる問屋商人が集団化し利益より冥加金(みょうがきん)を上納させ、裏金=賄賂を幕府に入れることで、江戸幕府を金銭的に安定させました。

当時の政治に賄賂が行われていたことは、日常だったようです。

そこに大奥の繁栄と意見も取り入れるようになり、大いに徳川の華やぐ風潮を促しました。

2024年度フジテレビ放送されている「大奥」でも、安田顕さんが演じる田沼意次氏は、したたかに大奥の女子衆を操りながら政を進める、そんな描き方と感じます。

神田橋御門に屋敷が設けられ、この頃は神田様と呼ばれ、破竹に勢いをイケメン田沼意次氏は誇っていました。

しかし徐々にそのほころびの反動が起こり、問屋商人の集団化に属さない市民や重い増税に苦難する者たちからの不満が出始めてきます。

そのうえ、桜島や浅間山に三原山などの噴火が相次ぎ、「天明の大飢饉(てんめいのだいききん)」が起こり、とうとう餓鬼者もでて、疲弊に苦しむ市民が一揆(いっき)や打ちこわしが各地で頻発してしまいました。

その中財政を整える部分で、通貨の金、銀、銅は、金や銀の配合の比率の悪い通貨を製作し、市民にも評判が悪い通貨でありましたが、辛くも定着させていきます。

さらに蝦夷開拓のりだし、蝦夷地(えぞち:現在の北海道)の開発は、金銀銅山を開いて、ロシアとの貿易をして、利益を得ようとした試みでした。

そこにはアイヌ人や穢多(えた)・非人(ひにん)が蝦夷に送られ奴隷のように働かされて、幕府の存続を残そうとしました。

しかしあまり成果が出ずに、田沼意次氏失脚後は蝦夷地(えぞち:現在の北海道)開拓は頓挫(とんざ)してしまいました。

ただこの行動は、後々弘前藩が独占していた蝦夷地を江戸幕府の見立てになっていく、一つの糧となったことになりました。

「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」主人公の蔦屋重三郎とは?

さて田沼意次氏から離れて蔦屋重三郎氏へ移りましょう。

蔦屋と聞くと「TUTAYA」のほうが現在人には連想されがちですが、この蔦屋重三郎氏は、全くTSUTAYAと関りがないとも言えないようなんです。

蔦屋重三郎氏というお方は、鱗形屋孫兵衛氏の後ろ盾によって、吉原大門の前に書店を開いて成功させたといわれています。

そもそも吉原遊郭に勤め人だった父丸山重助(まるやまじゅうすけ)氏に捨てられ、喜多川氏の養子になったところから、ここ吉原遊郭のそばに店を開くことになったのです。

そこで、吉原細見(よしわらさいけん)という店ごとの吉原遊女を紹介した書を販売しました。

そのころの江戸では、吉原遊女を市民と同様に扱い、特に家庭が貧困で身売りされてくる下女たちに、偏見の目で見ることはなく、逆に応援するほう側の心意気で江戸っ子はいたようです。

そんなことも吉原を主にした、遊女評判記「一目千本」を出版し、その後さらに飛躍して、数多くの戯作や狂歌本を次々に刊行していきました。

そこには、先の田沼意次氏の自由な政が織りなした背景にのっかった全盛期だったのでしょう。

ビックネームでは、の喜多川歌麿(きたがわうたまろ)氏の浮世絵を世に送り出したり、歌川広重(うたがわひろしげ)氏の錦絵を販売しています。

しかし田沼意次氏が失脚後は、松平定信氏による寛政の改革により、娯楽や風紀の取り締まりが余儀なくされて、刑罰を受けることもあり、業務は縮小してしまったといわれています。

店の経営では、里見八犬伝の原型をつくった滝川馬琴(たきがわばきん)氏や、東海道中膝栗毛で有名な十辺舎一句(じゅっぺんしゃいっく)氏を店の番頭に務めさせるなど、先見の明をもって面倒を見ていたといわれます。

そんなことでまんざらですが、今のTUTAYA書店との関りは、全くないとは言えない現在の背景です。

江戸中期の華やかさに色を添えた一人の人物だったようですね。

「べらぼうでえ~、こちとら江戸っ子でえ。」とあの世から蔦屋重三郎氏の声が聞こえてきそうです。


田沼意次はイケメンだったとか?相良城を築き相良藩を繫栄させた相良藩相良城の今

田沼意次氏はイケメンだったという話は本当でしょうか。

歴史人物では新選組の土方歳三(ひじかたとしぞう)氏のように、写真は残っていません。

でも実際に江戸期に残された肖像画は、堀が深く、鼻筋も通っていて、切れ長の鋭い目や、薄く細い唇で描かれているところより、イケメンに間違いないですね。

そのイケメンは、やや病弱で、気後れな9代徳川将軍徳川家重公に重んじられたことは、側近としての威力を発揮し、一万石に加増されたことと共に、行動力も備わっていた人物と思われます。

先にも記した神田橋様と呼ばれた時期に、3重3階天守の建造も10代目徳川将軍徳川家治公に許され、相良藩(さがらはん)の大いなる繁栄となる近世の相良城(さがらじょう)の築城を着手しました。

萩間川と天の川を外堀とした本丸に二ノ丸,三ノ丸と成って、約7万坪におよぶ5万7000石にふさわしい、江戸期の城が築かれたといわれています。

しかし、徳川家治公が亡くなると後ろ盾がなくなり、松平定信氏が老中役に配置すると、意次氏は失脚し、その後相良城は完膚なきまでに取り壊されたといわれています。

その相良城の歴史は、平安末期から鎌倉時代にかけての地頭だった相良氏の相良館が築かれていた場所でした。

その後、戦国時代に武田勝頼(たけだかつより)氏によって、相良城が築城されます。

戦国期に武田氏は、織田信長(おだのぶなが)・徳川家康(とくがわいえやす)連合軍に敗退して、滅亡に追い込まれ、その後遠江は徳川家康氏の治める地となった頃は、家康氏の鷹狩りの場に用いられたといわれています。

そんな江戸期の相良陣屋の場所に、築城された相良城の現在の跡は、相良中学校そばの相良城跡碑と二ノ丸跡の土塁と松や、仙台河岸の石垣などのほんの一部の遺構のみが往時を偲ばせています。

本丸跡そばには、凛々しい田沼意次公銅像が設立されています。

その本丸跡には牧之原市史料館が運営されていて、田沼意次氏のことが中心の史料館ですが、牧之原市の歴史の石器時代や古代時期など、古墳から出土したものなどが展示されていて、郷土の歴史も学べます。

この先「べらぼう」効果で、この牧之原市史料館や相良城跡などもリニューアルされていくのでしょう。

地域活性に一役買いそうですね。

営業時間:9:00~16:00(月曜定休)

入館料:大人210円 高校生以下:100円

☎0548532625

〒421-0522 静岡県牧之原市相良275−2

相良城へアクセス 相良城へ行ってみよう!

公共交通機関(電車)

・JR東京駅~JR静岡駅(東海道・山陽新幹線:ひかり 岡山行)

・静岡駅前~相良本通(相良営業所行:バス):約2時間30分

マイカー

・東京駅より霞が関料金所より首都高速へ

霞が関~谷町JCT(3号渋谷線)~大橋JCT~東京料金所(東名高速道路)~横浜青葉JCT~港北PA~EXPASA~海老名JCT~伊勢原JCT~中井PA~大井松田ICで東名高速道路を下車

・国道255号線~松田橋~246号線~宮地~246号(裾野バイパス)~道の駅ふじおやま~途中右折して新御殿場ICへ向かう~新御殿場料金所(第二東海自動車道)~新東名自動車道路~新駒門高架橋~今里トンネル~桃園トンネル~富沢トンネル~駿河湾沼津SA~沼津トンネル~船津橋~明星山トンネル~富士川トンネル~清水PA~小河内トンネル~清地トンネル~和田島トンネル~新清水JCT~清水JCT~日本平PA~安倍川橋~日本坂トンネル~日本坂PA~大井川橋~牧之原SA~牧之原ICで東名高速道路をでる

・国道473号線(金谷御前崎連絡道路)大沢IC東信号を直進~萩間川手前のT字路を右折~牧之原市立相良中学校のそばのすぐ。(約3時間)

*お出かけの際、ETCカードの差し忘れがないことをご確認ください

相良城駐車場

牧之原市役所相良庁舎の駐車場のご利用をおすすめします。

乗用車10台駐車スペースあり

営業時間:8:30~17:00(土,日曜定休)

☎0548532600

〒421-0522 静岡県牧之原市相良275

田沼意次はイケメンだったとか?学校では習わなかったどんな政治をした人か?「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」あとがき

少し、田沼意次氏や「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」の主人公の蔦屋重三郎氏がどんな人だったのかが、わかって頂けたでしょうか?

2025年もNHK大河ドラマでは、この歴史ドラマがどう描かれ放送されていくのかは乞うご期待です。

今回このブログを作成しながら、また新たな城跡に巡り合えてうれしく思うと共に、私自身もまだまだ城跡を巡っていきたい感が湧きあがりました。

静岡県にもたくさんの城跡があるので、サイクリングがてら、生きているうち体が動くうちにまだまだ行ってみたいと思う次第です。

これからも色々、歴史に関わるブログを配信していきますので、ぜひお立ち寄りしていって下さい。

最後まで読んで頂きありがとうございました。


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